畑に吹く風

 春の雪消えから、初雪が降るまで夫婦二人で自然豊かな山の畑へと通います。

落胆のさつま芋掘り

2018-09-26 04:39:20 | 野菜

 9月に入ると雨が降り始め、あの日照りが嘘のように降り続く。

少し晴れ間が続き、さつま芋の葉も乾いたので、本格的に掘ってみた。

 

 「鳴門金時」絶不調。「ベニハルカ」も同様でめちゃくちゃ小さい。

戸惑いと、落胆の気持ちで「黄金千貫」を掘ってみたがやはりだめです。

 

 例年のこの時期のサイズと比べると半分くらいの大きさかなー。

大事なさつま芋の成長期、7月から8月半ばまで、ほとんど雨、水分が無かったのだから当然かもしれない。

 

 八月の半ばころからは葉の先が黄変し始めてさえいた。

さつま芋が水分を求めた結果が、この絡まるように伸びた根でしょうか。

 

 山の上の畑は山際から、入り口に掛けて少しこう配が下がっている。

そのために入り口はいくらかでも水分が多めだったのか、「安納芋」だけは少し小降りながらまぁまぁの姿。

 全体の収穫量は例年の半分にも満たないかも知れません。

天候に振り回されるのは、百姓の宿命とはいえ、毎年続く豪雨、そして干ばつと泣かされます。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北斎風に染まる空

2018-09-25 05:23:10 | 風景

 恒例の朝のブログアップを終えると、食堂にキッチンの窓越しに強い日差しが一瞬入った。

朝の空の風景を見ることも目的に入れて、山の畑へと向かう。

 一旦顔を出した太陽は再び雲間に隠れてしまったが雲の薄い山際が茜色に輝く。

そうだ、これは葛飾北斎の「東海道五十三次」の中にある空の色では無いか。

 

 秋の雰囲気が濃くなり、朝は霧に覆われる日が多い。

朝霧の中、我が家の畑のとなりの「イチカラ畑」の蕎麦が育ち、花も盛りとなっています。

 

 帰り道、平らな山の畑から農道が斜面に差し掛かる前で軽トラを停める。

下が大きな沢になり、霧が湧いてくるので越後三山は薄く影を見せるだけでした。

 

 ススキの穂も伸びすっかり秋の風景です。

猛烈に暑かった、経験もないような酷暑の夏も嘘のように変わってしまった。

 

 山栗もイガの口が開き始めています。

こんな風に秋が徐々に深まると、冬、降雪がそろそろ気になり出します。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナスの種を自家採種

2018-09-24 04:44:17 | 野菜

 種採り用にと他のナスと隔離栽培していた「山本ナス」が巨大な姿に成長。

頃は良し、とばかりに木から切り離しました。スベルべの手は小さいのだけれど、それにしても大きい。

 

 ピントが甘くなっちゃいましたが、白い果肉の間に熟して硬くなった種子が見えます。

手で壊しては、爪楊枝で一粒一粒取り出しました。腐っていると揉み出すようにして採れるのですが。

 

 数十粒採れたのかな。

実は、この前にも下半分が腐り始めた「山本ナス」からも採っています。それで記号は「山本2」という訳。

 

 これはヴィオレッタ・デ・フィレンツェです。

山の畑で種採り用に隔離栽培していましたが、しばらくぶりに見ると完全に腐っていました。

 

 完熟の「ヴィオレッタ・デ・フィレンツェ」の種子がこんなに採れましたよ。

販売するわけでも無いので、こんなに沢山の種子は要らないのだけれど、ついたくさん採ってしまうスベルべです。

 でも、自家採種って何だかワクワクしますよね。

出来る限り、F1ではない、伝統種、在来種の野菜の種子は自家採種したいと思っています。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載171「いじめられっ子の元祖みたいだった私」(その3終わり)

2018-09-23 13:15:39 | 暮らし

 数年前の同級会のシーン。最も元気な内の一人になってしまったようです。


 (なにせ、一人で全員の前で歌まで披露ですから。引っ込み思案だったなんて自分でも不思議。)


      いじめられっ子の元祖みたいだった私(その3終わり)


 でも、いじめって人間の持つ、一つの因果な資質なのかとも思う。

自分たちだけでグループを形成し、意に沿わない人間は仲間に入れないというのも、

一部には心地良いものなのでしょうね。


 いや、いつの間にか自分が気付かないだけでいじめる、仲間外れにしていることさえあるのかも知れない。

いじめの根本は根深く今も続いている。はるか昔、強者から身を守るために、

集団生活を選ばざるを得なかった弱い人間が、集団を形成することになったが故の性(さが)なのかなどとも思うのです。


 今も「イジメ」問題が毎年無くなるどころか繰り返し、ニュースで報じられます。

昔とは社会構造も違ってきているのに、やはり前述のとおり、これは人間の持つ悲しい性なのでしょうか。


 いや、人間が人間だと言えるのは「かばう」とか「守る」と言う自浄作用を持っているのではないかと思う。

ただ、現代は悲しいかなこの自浄作用「やさしさ」を発揮し難い世の中になっている。

幼稚な思いかも知れないけれど、正義の味方が活躍できる社会になってほしいと思う。

         (終わり)

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

完全無農薬の限界かなぁ

2018-09-23 04:32:01 | 野菜

 山の畑の野菜、うーん、これは蕪かなー。

色々な種子を蒔きまくったので、成長しないと分からないほど。

 ところが、農薬を全く使わないために、ずいぶん虫に食べられています。

春のジャガイモ植えから山の畑は始まりましたが、農薬使用は全く無し。でも農薬無しの限界も感じます。

 

 せっせと種蒔きを手伝った婿と発芽を喜び合ったのもつかの間。

葉物野菜は場所によってはこのように全滅しちゃっています。点々と見えるのは狸の足跡ですね。

 

 畝の始まりに少し見えるが、それからこちら側の一部が消滅。

夏の気温に高さを引きずると、虫たちも活動が活発でやられてしまうのです。

 

 大根はほぼ100%発芽し育っていますが、根切り虫にやられて無くなった所も。

でも、全体を見たら根菜類は蕪を除いては順調と言える育ち方。大根類は合計2000本くらいでしょうか。

 

 白菜の葉の上にダイコンサルハ虫を捕食する虫を見つけました。

口吻に加えているのが見えますが、こんな虫が増えたら、野菜の食害は減ると思うのですが。

 毎年全滅に近い食害に遭うと「農薬を使おうか」と悪魔の意識が頭をよぎる。

でも、その都度「もう少し頑張り、気温が下がれば大丈夫なはず」と我慢してしまうのです。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする