介護をするようになって、よ~く考える事があります。
考え方とか、信念とか、人それぞれだという事は頭では理解していたつもりです。
今まで、結構人と話す方だと思ってましたし、自分の意見ははっきりと述べる性格ですから、自分の気持ちや相手の気持ちを誤解して理解しているなんて、思っても見ませんでした。
とことん話せば、気持ちは理解しあえる・・・と思ってました。
でも、それは私の単なる勘違い、思いあがりに他ならないって事をつくづく感じるようになりました。
相手の言動から、その人の気持ちを推察しますよね。
その推察が、元々自分の経験からはじき出されたモノですから、かなり個人的なものなんです。
それに、気が付かなかった・・・。
はじき出された推察は、コンピューターの数値の様に唯一無二のモノ、動かせない万人共通の“真実”であると思い込んでいました。
違うんですね、これが。
銀婚式を迎えた私たち夫婦でも、お互いの考え方をきちんとは理解していなかったんです。
推察さえも、違ってた事に気が付いた時、ちょっと、愕然としました。
それは、私だけじゃなく、主人も、かなり私の事を誤解してましたね。
それを、今までも少々は気が付いていたんです。
でも、ま・・・いいかってな感じで、見逃してきたわけです。
それで特に支障もありませんでしたから。
でも、こういう事情になった時、それでは誤解が誤解を生み、物事を進めるのに、後々で大きな障害となる事もあり得ると気が付きました。遅まきながら・・・。
あ・・・、ここで、私が言う“誤解”とは、相手の事を間違って悪く考えるという意味ではありません。
悪く・・・ではなく、全く別な意味に取り違えていたという意味です。
それを防ぐには、やっぱり話し合う事が一番の方法だと思います。
細かいところまで・・・。
“こんなこと、言わなくても判ってるだろう”
ではなく、
“言わなくても判ってるとは思うけど、こういう意味で言った”
とかが必要だと思うんです。
相手の表情から、もしや、誤解してる?・・・と思ったら、その時に確認或いは訂正しておくべきです。
ただ、理解出来たからと言って、それを納得できるかというと、それはまた別の話です。
理解=納得じゃないんです。
理解したから、意見に同意してくれると思うのは間違いです。
これが、私は判ってなかった・・・。
血のつながった親子の間でも、それは同じ事。
長年連れ添った夫婦は勿論。
平行線・・・というのを、この年になって初めて感じています。
こうなると、どちらかが諦めないと話は先に進まないものです。
結論を先に延ばす事が出来ない時は・・・。
まぁ、考えてみれば、話をすり合わせるというのも、そういう事ですかね?
でもね、どちらか一方が諦めるんじゃなく、それは、やっぱり歩み寄りが必要でしょ。
こんなことをつらつらと考えているまぎぃです。
結論は出ませんし、先も見えません。
考え方とか、信念とか、人それぞれだという事は頭では理解していたつもりです。
今まで、結構人と話す方だと思ってましたし、自分の意見ははっきりと述べる性格ですから、自分の気持ちや相手の気持ちを誤解して理解しているなんて、思っても見ませんでした。
とことん話せば、気持ちは理解しあえる・・・と思ってました。
でも、それは私の単なる勘違い、思いあがりに他ならないって事をつくづく感じるようになりました。
相手の言動から、その人の気持ちを推察しますよね。
その推察が、元々自分の経験からはじき出されたモノですから、かなり個人的なものなんです。
それに、気が付かなかった・・・。
はじき出された推察は、コンピューターの数値の様に唯一無二のモノ、動かせない万人共通の“真実”であると思い込んでいました。
違うんですね、これが。
銀婚式を迎えた私たち夫婦でも、お互いの考え方をきちんとは理解していなかったんです。
推察さえも、違ってた事に気が付いた時、ちょっと、愕然としました。
それは、私だけじゃなく、主人も、かなり私の事を誤解してましたね。
それを、今までも少々は気が付いていたんです。
でも、ま・・・いいかってな感じで、見逃してきたわけです。
それで特に支障もありませんでしたから。
でも、こういう事情になった時、それでは誤解が誤解を生み、物事を進めるのに、後々で大きな障害となる事もあり得ると気が付きました。遅まきながら・・・。
あ・・・、ここで、私が言う“誤解”とは、相手の事を間違って悪く考えるという意味ではありません。
悪く・・・ではなく、全く別な意味に取り違えていたという意味です。
それを防ぐには、やっぱり話し合う事が一番の方法だと思います。
細かいところまで・・・。
“こんなこと、言わなくても判ってるだろう”
ではなく、
“言わなくても判ってるとは思うけど、こういう意味で言った”
とかが必要だと思うんです。
相手の表情から、もしや、誤解してる?・・・と思ったら、その時に確認或いは訂正しておくべきです。
ただ、理解出来たからと言って、それを納得できるかというと、それはまた別の話です。
理解=納得じゃないんです。
理解したから、意見に同意してくれると思うのは間違いです。
これが、私は判ってなかった・・・。
血のつながった親子の間でも、それは同じ事。
長年連れ添った夫婦は勿論。
平行線・・・というのを、この年になって初めて感じています。
こうなると、どちらかが諦めないと話は先に進まないものです。
結論を先に延ばす事が出来ない時は・・・。
まぁ、考えてみれば、話をすり合わせるというのも、そういう事ですかね?
でもね、どちらか一方が諦めるんじゃなく、それは、やっぱり歩み寄りが必要でしょ。
こんなことをつらつらと考えているまぎぃです。
結論は出ませんし、先も見えません。