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巨大ブラックホールの衝突が新宇宙を形成⇒循環宇宙論、有機物質から人間への進化メカニズム(循環論理の評価)⇒戦略的進化論

そもそも日英同盟が締結された発端は薩摩藩が世界一の英艦隊に互角以上で戦ったから

2017年02月27日 21時54分02秒 | 軍事外交
 当時、イギリスは世界一の大英帝国で鼻息荒く、日本は植民地対象の有色人種が住む小国だった。日英同盟が締結される最初のきっかけの一つが薩英戦争だったみたいなんだね。生麦事件に対する賠償を求めて世界一のイギリス海軍が鹿児島に来た。

 脅してやろうと、イギリスは艦隊を引き連れて来た。ところが丁度、薩摩藩の大砲の弾が届く位置にイギリス戦艦が来たため運よく撃沈や大破に至る。一方、海が荒れていたことが幸いして薩摩側の被害は最小に留まる。信じられない歴史が開いた。それまで白人は有色人種との戦いでは無敵だった。

 何と、イギリス軍は上陸せずに引き上げてしまった。その後の交渉(生麦事件の後始末)で薩摩側が一歩も引かぬ姿勢を取り、イギリス側はほとほと感心し信頼した模様。当時、幕府側は当時腰が抜けていた。

 その後、北京の55日で有名になった義和団の事件が起き、11か国の外国人居留区(日本人も住んでいた)が包囲される。欧米各国がその鎮圧のための戦いで略奪を繰り返したのに対して、日本軍は極めて紳士的に振る舞い関係国の尊敬を得た。

 これらの出来事やイギリスと日本の利害が一致した事も有り、日英同盟は1902年1月30日から3回結ばれる。それにしても、イギリスがよくぞ同盟を結んでくれたと感心する。日本人が反対の立場だったらどうだったかな。

 残念ながら日英同盟はアメリカと中国の工作で破棄される。これは日本にとって非常に痛かった。太平洋戦争に至るルートを作ってしまった。実はイギリスにとっても同様に痛かった。日本を良く知るイギリス人記者が、破棄されるまでの21年間がイギリスにとってもっとも繁栄した良い時代だったと言っている。

 開戦後、日本軍はプリンスオブウエールズ、レパレスを沈め、シンガポールの要塞も破った。イギリスから見て日本は信じられないぐらい強く、一瞬にして植民地を失い、奈落の底に落ちたのであった。東京裁判は日本が欧米の植民地を開放してしまったことに対する恨みでリンチだったんだ。
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