石原慎太郎は小池百合子を「首相になれるような器ではない」と語ったようだが、逆に言えば、石原慎太郎は首相になり得る小池百合子を相当意識している証だ。石原慎太郎は背も高く立派な体格をしているが、その割にはかなり女々しいところが昔からあった。
1968年頃かな、石原慎太郎は雑誌プレイボーイに記事を連載していた。その中で、慎太郎は若い女性と待ち合わせ、その場に行かず、離れたところからその女性を眺めているのが面白いなどと書いていた。ちょっと、感覚がおかしいんだね。フェミニストではない。
三島由紀夫がボディービルで鍛えているのに対して、慎太郎は「僕の身体はそんなに貧弱ではない」などと三島由紀夫に語っている。慎太郎が自分の身体が鍛え上げられていると考えたとしたら、勘違いも甚だしい。慎太郎は今、30cmぐらいづつ、すり足の様にしないと前に進めない。鍛えている人間の身体ではない。
かつて慎太郎はアメリカの議員らに会い「アメリカの兵器は日本の優れた電子部品を使っている。日本の電子メーカーがどちらを向くかでアメリカ軍事力が大きく影響する」みたいなことを告げた。この人は頓珍漢で物事を分かっていない人だった。アメリカ議員らは苦笑していたに違いない。
弟の石原裕次郎はスカッとして思いやりのある俳優だったけどね。裕次郎のオリンピック向け練習のリポートは思いやりのある内容だった。誰がモテたかと言って石原裕次郎ほど女性にモテた男はいなかっただろう。おかげで病気になった。
小池百合子はどこが凄いか?まるで時代の先頭を走るスーパービジネスマンの様な言葉がほとばしる。この度も、都議会における石原慎太郎の参考人聴取に対して「ファクト」の重要性を語っている。僕もこのブログで徹底した事実の究明が最も大切と書いているが、小池はまさしくその事を語っている。
「見える化」、とか「情報開示」、「改革」などを常々語っている。日本が現状の水没した位置から浮かび上がるにはこれらが必要なのであって、端的にその言葉が出るというところが凄い。優しい語り口は得してるね。
小池百合子が成長過程でとことん自分と向き合い、自分を把握した上で、社会を眺めてきたのが分かる。石原慎太郎は自分を分かっていないから、他人が分からない、社会が分からない。ベースが無いし、論理や哲学が無い。
小池百合子が首相になれるか否かは見えない。しかし、是非とも首相になって欲しい人物だ。
1968年頃かな、石原慎太郎は雑誌プレイボーイに記事を連載していた。その中で、慎太郎は若い女性と待ち合わせ、その場に行かず、離れたところからその女性を眺めているのが面白いなどと書いていた。ちょっと、感覚がおかしいんだね。フェミニストではない。
三島由紀夫がボディービルで鍛えているのに対して、慎太郎は「僕の身体はそんなに貧弱ではない」などと三島由紀夫に語っている。慎太郎が自分の身体が鍛え上げられていると考えたとしたら、勘違いも甚だしい。慎太郎は今、30cmぐらいづつ、すり足の様にしないと前に進めない。鍛えている人間の身体ではない。
かつて慎太郎はアメリカの議員らに会い「アメリカの兵器は日本の優れた電子部品を使っている。日本の電子メーカーがどちらを向くかでアメリカ軍事力が大きく影響する」みたいなことを告げた。この人は頓珍漢で物事を分かっていない人だった。アメリカ議員らは苦笑していたに違いない。
弟の石原裕次郎はスカッとして思いやりのある俳優だったけどね。裕次郎のオリンピック向け練習のリポートは思いやりのある内容だった。誰がモテたかと言って石原裕次郎ほど女性にモテた男はいなかっただろう。おかげで病気になった。
小池百合子はどこが凄いか?まるで時代の先頭を走るスーパービジネスマンの様な言葉がほとばしる。この度も、都議会における石原慎太郎の参考人聴取に対して「ファクト」の重要性を語っている。僕もこのブログで徹底した事実の究明が最も大切と書いているが、小池はまさしくその事を語っている。
「見える化」、とか「情報開示」、「改革」などを常々語っている。日本が現状の水没した位置から浮かび上がるにはこれらが必要なのであって、端的にその言葉が出るというところが凄い。優しい語り口は得してるね。
小池百合子が成長過程でとことん自分と向き合い、自分を把握した上で、社会を眺めてきたのが分かる。石原慎太郎は自分を分かっていないから、他人が分からない、社会が分からない。ベースが無いし、論理や哲学が無い。
小池百合子が首相になれるか否かは見えない。しかし、是非とも首相になって欲しい人物だ。