ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

さようなら 愛しきわが家…

2009-04-14 23:03:53 | 生き方
わが家のことを夢に見ることがある。
不思議なもので、夢に見るとき出てくる家は、子ども時代に過ごした家である。

私は、30歳過ぎまで、日本海まで歩いて10分くらいで行ける集落に住んでいた。
住んでいた家は、父と母が結婚した翌年に建った家であった。
さらに、私が生まれたのは、その家の建立の翌年となる。
その家でのまだ小学校にも上がっていない私の白黒の写真が、数枚残っている。
そして、父と母と弟と私の4人家族。一時期伯母・従姉の2人が同居し、6人で住んだこともあった。
少年時代を過ごした思い出の家…。

やがて、私は大人になり、勤務先が家から遠いので、勤務先に通える所に居を構えた。やがて、結婚し子どもも生まれた。妻と子どもとともに、この家を離れて暮らしていた。

私が28歳の時、父は、その家で亡くなった。
いつものように、仕事から帰って来て、いつものようにまず風呂に入り、そして晩酌をするはずだった。
しかし、父は、風呂場で倒れ、そのまま還らぬ人となった。

それから3,4年の後、勤務先も変わった私たち夫婦は、交通に不便な私の生地を離れ、10数キロ離れた少しだけ都会の住宅地に家を建て、移り住んだ。
私の生家は、その半年後、ある家族がどうしても住まわせてほしいと言ってきたので、住んでもらうことにした。

そうやって、20年が経過した。
貸して住んでもらっていたので、傷み方はいくらかましだったかもしれないが、もう屋根の一部は、だいぶ朽ちてしまっていた。

そこへ、新しい話が持ち上がった。
隣に住む従姉夫婦の息子が結婚して子どもも生まれたので、新しく家を建てたい。ついては、あの家と土地を譲ってくれと言う。
どうせ私たちはもうそこに住む気はないのだから、快諾した。
住んでもらっていた家族にも、事情を話し、気持ちよく出てもらった。

そして先日、押し入れに残っていたわずかな荷物の処理のために、20年来入ったことのなかった「わが家」に、入った。
父だけでなく、4年前に母も亡くなっていた。

しかし、家に入ると、父そして母のことが、いやおうなしに思い浮かんできた。
この家で、父と母は、家庭を築いてきた。
この家で、私は、生まれてからずっと育ってきた。
この家で、私は、父と母に育てられてきた。
この家で、私は、弟と遊び、育ってきた。
泣きそうになった。いや、少しだけ泣いていた。
どこを見ても、昔の思い出がよみがえってくる。

もうすぐこの家そのものがなくなる…。

30枚近くの写真を撮って、この家に別れを告げた。

そして、今日、その家が取り壊され始めたことを、従姉から知らされた。
さようなら、父と母との思い出の家。
さようなら、愛しきわが家。
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