ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

午後、たった一人の卒業式

2010-03-25 20:21:13 | 「育」業
来た。
来てくれた。
よかった。
精一杯のことをしてあげたいと思った。

すでに午前中、無事に卒業式は終わっていた。
今年の6年生たちは、一時期一部の子どもたちの行動が心配された。
前年度の6年生たちは、「学級崩壊」とまでは言わないが、教師や親の言うことを聞かず、心配な状況で最後の一年を過ごした。
担任の言うことを聞かない子、聞けない子が男女を問わず広がった。
そして、卒業式では呼名されても返事をしない子が続出した。
今年度の2学期、6年生の男子の数名が、今年もそのような行動になりつつあった。
周囲の子への影響力が心配された。
A女は、彼らの言動に悩まされ、不登校に陥った。

6年生の行動が不安な男子たちには、幸い次々と打つ手が功を奏し、昨年のような悲惨な状況にまでは陥らなかった。
周囲の子どもたちと、別な好ましい人間関係も生まれた。
多少の見苦しさは残ったが、昨年のような状況は回避することができた。
担任の呼名に、大きくなくても返事はしていた。
卒業証書を受け取る子どもたちは、きちんと目を合わせて礼をしていた。
いい目だった。
今年の卒業生たちは、大丈夫だ、と思った。
卒業生の歌う「YELL」の歌声は、男子の声は小さかったけれど、口が開いていた。
無事に卒業式は終わった―。
卒業式を終え、親と一緒に昼食会に参加した6年生の子どもたちは、中学校の新しい制服もまぶしく、はしゃぎながら帰って行った。

でも、呼名で返事のない子がいた。
当たり前だ。
なぜなら、彼女は、学校に来ていなかったのだから。
A女。彼女の不登校は、学級がある程度落ち着いた今も、続いていた。
卒業式。小学校最後の日なのに、学校に来られない彼女のつらさがわかるか。
来る勇気がないのではない。
来たくても、来られないのだ。
行かなくてはいけない。
でも、皆のいるところへ行こうとすると、足がすくんで動かないのだ。

午後になり、卒業生たちも親たちも皆が帰った。
今がチャンスだ。
担任が、家庭に電話をした。
今なら、学校に行けそうだ、と言う。
すぐに来てください。待っています。

職員室で、呼びかけた。
A女のために、できるだけのことをしてあげたい。
協力をお願いしたい、と。

ほどなく、彼女は母と、車で学校に来た。
「先生方、お願いします。」と叫ぶ私。
ピアノ伴奏の先生が、楽譜を持っている。
うれしい。
国歌と校歌、歌いましょう。
思わず、そうお願いしていた。

正装に着替えて、体育館に行った。
体育館には、まだ「卒業証書授与式」の看板が下げてある。
鉢植えのアザレアの花が並ぶ中に、ポツンと一人、いすに座っているA女がいた。
残してあった保護者席に座る彼女の母に近寄り、「精一杯務めさせていただきます。」と言って、お辞儀をした。

やがて、教頭先生の開式の言葉が、がらんとした体育館に響き渡る。
「国歌斉唱。」
「校歌斉唱。」
いずれも、音楽主任が指揮をする。
伴奏者がピアノを軽やかに奏でる。
周囲の先生方が、彼女のために、歌声を張り上げる。

「卒業証書、授与。」
進行係の声が響く。
担任が呼名した。
「はい。」
返事をして彼女は、たった一人自席から立ち上がり、演壇の前に立った。
目を合わせた。
「本校において、6ヵ年の課程を卒業したことを証する」
卒業証書を渡すと、A女は両手できちんと受け取り、深々と頭を下げた。
りりしく前を見つめ、目をそらすことはなかった。
やがて、証書を片手に持ち換え、しっかりと自席に戻った。

「学校長式辞。」
午前と同じ内容の、式辞を読む。なぜか。
この子にも聞いてほしかったから。
この子のお母さんにも聞いてほしかったから。
時折うなずきながら、聞いてくれるA女。
…式辞が終わった。
目を合わせて、お辞儀を合わせた。
彼女の母は、何度もハンカチで目頭をぬぐっていた。

「卒業生退場。」
彼女は、音楽に合わせて、一人で広い体育館を歩き、会場を後にした。
大丈夫。これからもいろいろあるだろうけど、生きていける。
彼女のこれからに、幸あれ。
その幸を、信じている。
コメント
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