ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

教え子T氏の結婚

2010-03-04 22:24:34 | 「育」業
 教え子のT氏から、招待状をいただいた。
 彼の担任となったのは、今から22年も前になる。彼の年代は、20年前の記念すべき平成初、平成元年度の卒業生である。
 小学校高学年を受け持ったことは、6回ある。子どもから、結婚式披露宴に招かれるのは、そんなに多いものではない。これで10回目である。そのうち招待してくれたうちの4人が、どういうわけか、この代の教え子の男子たちである。
 当時の私の年齢は、31歳~32歳。なんと今回招待してくれた彼と同じ年齢である。
 20年もたっているのに、ましてはるか昔の子ども時代のことなのに…と思うと、恐縮してしまう。

 彼は、3年前、長年の念願がかなって、私と同じように小学校の教師として採用された。まだ教師3年目なのだが、彼は、昨秋の公開研究発表会で授業者となった。いかに担任している子どもたちとは言え、こともあろうに小学校2年生相手の、英語表現の時間である。しかも、発表会の会場は、慣れた自校の自教室ではなく、別な学校の一室であった。
 多少心配しながら、私はその発表会に参加し、「T先生」の英語の授業を見た。
 すばらしかった。杞憂だった。
 「たくさんのくだものの名前を知ろう」という英語学習。なるべく日本語は使わない。ほとんど英語で、小学校の2年生に指示を出す。ちゃんと2年生が答える。はきはきしている。リズムがある。すばらしいテンポだ。英語を教えるにふさわしいすばらしい授業だった。
 もちろん、用意した教材を見ると、準備に莫大な時間をかけたことが分かるものが多かった。しかし、教材は、学級の全員の人数分が用意されていた。一人ではここまでするのは大変だ。 きっと、勤務校の周囲の先生方が手伝ってくれたのだろう。
 学校職員全体の共同研究ではある。でも、職員が皆でよいスクラムを組んでサポートしてくれたからこそ、このようによい授業になっているのだろう。彼を支えてくれている皆さんに感謝したくなった。
 それにしても、彼は、子ども一人一人をきちんと見ていた。いや見取っていた。しっかりとした一人前の教師として授業している「T先生」がそこにいた。
 安心した。私が心配することはない。そう思った。

 その証拠に、この結婚式の日、式が進んだところでサプライズがあった。
 学級の子どもたちが、式場にいっせいに登場したのである。その教え子たちが主役となって、スペシャルな映像と、歌を披露してくれた。
 子どもたちや周囲の先生方、保護者の皆さんと良好な関係が築けてなければ、このような展開はありえない。彼ががんばっているからこそ、手間がかかるのに、このように「すばらしい無形の贈り物」をしていただけるのだと伝わってきた。

 T氏が、高校3年生時、交通事故にあって手術。集中治療室で生死をさまよったことは、初めて聞いた。受験生となる直前のこと。どんなに大変だったことだろう。
 その話をするお父様には、万感の思いがあったに違いない。

 教職をなりわいとする者にとって、教え子の成長こそが、最大の喜びである。
 しっかり成人した。しっかり仕事をしている。しっかり生活している。そして、結婚。言うことはない。
 教師冥利に尽きる、佳き日であった。
 
コメント
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