ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(13)~救急の日に転室

2013-09-09 22:37:05 | 生き方
今日は、9月9日。

…皆さんは9月9日が何の日かご存じですか。
 9(きゅう)と9(きゅう)で「きゅうきゅうの日」、すなわち「救急の日」です。
 「救急の日」は、救急業務及び救急医療に対して皆様の理解と認識を深めていただくともに、救急医療関係者の意識の高揚を図ることを目的に昭和57年に定められました。以来、毎年9月9日を「救急の日」とし、この日を含む1週間を「救急医療週間」として、全国各地において応急手当の講習会を中心とした救急に関する様々な行事が実施されています。
…総務省消防庁救急救助課では、HPでこんなふうに今日のことを紹介している。

そう、今日は救急の日である。
その救急の日に、娘は、集中治療室を出て、一般病棟に移ることになった。
大部屋ではなく、個室である。
本来なら、回復へのうれしい歩みとなるのだが、今一つ不安がある。

娘は、食事は今や普通に自分でとれるようになった。
両手ききで、左手でも右手でも箸を持てる娘の姿は、ナースの皆さんを変に感心させたりしのであった。
また、「足が重い」と言いながら、キャスター付きの点滴の支柱と共に、あるいは車椅子を手押し車の代わりとしてつかまりながら、いくらか歩くこともできるようになった。
これらの姿は、確かにすでに集中治療室に入る患者としてはふさわしくないほど元気な姿である。

ただし、ということで懸念する内容が2つある。
1つ目は、けいれんの発作である。
ほぼ10日間に1回くらいの割合でけいれんが起こっている。
このひと月、けいれん止めのD剤を薄めていくと、けいれんが起こるという繰り返しである。
けいれん止めの点滴は、まだ継続している。
濃度を薄めるのが急過ぎて、それが悪くてけいれんが起こるのかもしれない。だから、長い日数をかけて少しずつ薄めていくという手法を取る。
…という主治医の話である。
個室で、人が見ていない時にけいれんが起こらないか、と不安がある。

2つ目は、記憶が積み重ならないことである。
昨日も、私と看護師さんと車椅子に乗った娘とで階上の展望室に行き、景色を眺めたが、そのことは、30分後には忘れてしまっていた。
昼下がりには、娘の弟である息子と看護師さんと共に売店に行ったのだが、コーラや菓子などを買ってもらったことも、忘れてしまっていた。
このひと月近く、娘の食事の付き添いに行くたびに、私は献立や娘の様子などを紙にメモ書きして置いて来ている。
時折、娘は、それを読んでは、自分の記憶がないことにがく然として涙を流している。
娘は、4月からの記憶がないそうだ。
そのうえ、昨日まで変わらぬICUの部屋のベッドを、毎日珍しそうに見ていた。
「父、髪切った?」と「今日、初めてここに寝る」ということを、毎日口にする。
案の定、今日、転室後も同じ言葉を言った。
転室で再会したこの病棟の看護師さんたちから、「久しぶり」と言われたが、本人は何も覚えておらず、少々戸惑っていたらしい。

そんな娘であるが、昨日は前日から昨朝になっても記憶が残ったことが1つだけあって、私はうれしかった。
覚えていたのは、「辛子ナス」をこぼしたことである。
一昨日、夕飯時に付いた辛子ナスの一つを、娘はコロリと下に落としてしまった。
それが、パジャマのすそやズボンに付いて、拭いても、黄色いしみになって残ってしまった。
その黄色いしみはどうしてできたのか、を昨日午前中に問うと、「ナス。辛子ナス」と答えた。
極めて珍しく、記憶が残っていたのである。

こんなちょっとしたことでもいいから、少しずつでも、記憶が残っていってほしい。
一般の人が会いに来ても、まったく記憶に残らないことが予想される。
記憶が少しずつでも蓄積してほしい。
そのために、今日9月9日の転室がよい方に働いてほしいと願っている。
コメント
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