週の半ば。
娘の環境に大きな変化があった。
転院である。
リハビリ専門の病院へ。
希望はしたが、転院先の病院から日を告げられたのは、あまりに突然、2日前だった。
だが、娘に経緯を説明すると、娘も、このまま退院するのではなく、少しでもよくなったと思える状態になりたい、ということが願いであることに、うなずいていた。
転院前日。
担当看護師のIさんがあいさつに来てくれたので、ちょっと引き留めて、記念に写真を撮った。
お世話になった。
何せ、入院してから約11か月である。
この病院では異例の長さの入院期間である。
娘と写真を撮った後、Iさんは言った。
「あなたのおかげで、私も変わることができたの。
あなたは、いつも私を笑顔で迎えてくれた。
だから、私も笑顔になれたの。
あなたのように、笑顔でいられるようになりたいって思ったの。
あなたから、教えてもらったんだよ、笑顔の大切さを。」
…言葉は多少違うかもしれないが、Iさんはこのような意味のことを、娘に対して語ってくれていた。
娘も大泣きであった。
Iさんの言葉が、どれだけ娘に入るかわからないが、もともとは感情にもろい娘である。
2人で涙をいっぱい流し合っていた。
娘の方が大泣きであったが、もらい泣きするような看護師のIさんに、涙をこぼしながらティッシュを差し出す娘のしぐさに、Iさんも見ている私たちも、笑い泣きであった。
その後は、さっぱりした性格だが仕事は確実なEさんが、薬を届けながら、顔を出してくれた。
「元気でね。」
と、手を振りながら言うEさんに、
「Eさんもね。」
と、手を振りながら答えた娘だった。
この後も、とてもお世話になった別の看護師のОさんとも、別れの時間を惜しんだ。
Оさんは、やはり30分近く娘のところで話してくれた。
娘は、このОさんに心を許していた。
「Оさん、髪の毛、寝ぐせ(がついてる)~。」
などと言いながら、Оさんのマンガ似顔絵はたくさん描いていた。
Оさんは、翌朝は、「明け」である。
娘に会えない。
その分、ハグしてくれたり話をいろいろしてくれたり、娘との最後のよい時間を過ごしてくれた。
ガチャピン。
娘は、ガチャピンが大好きである。
タオルや着ているもの、小さなぬいぐるみなど、ガチャピン・グッズに囲まれて入院生活を送ってきた。
大部屋に移ってから、トイレの方向や自分の部屋の位置がわからなくなる娘のために、看護師さんたちが知恵を絞ってくれたのが、「ガチャピン」であった。
このような掲示物を用意し、娘が迷わないようにしてくれたのである。
ロッカーにも貼ってくれた。
その結果、短期記憶がなくなってしまう娘であっても、ガチャピンを見ると、自分のことだと思い返し、迷うことが少なくなったのであった。
看護師さんたちの、娘をよく知るがゆえの解決策であった。
翌朝、退院の日、担当看護師のIさんからいただいた別れの手紙となったカードには、このようなことが書かれていた。
言葉が、前日のIさんの言葉そのものであった。
また、Iさんはじめ、看護師ではないがちょっとした世話係のAさんなど、たくさんの方が、やはり声をかけてくれていた。
この病棟では、人生の年輪を重ねた方が多い。
娘のような若い女性は珍しい存在であった。
しかも、笑いながら語りかけてくる娘は、たくさんの人に愛されていた。
そのことがよくわかった。
でも、新しい環境で、障害を負った脳の機能を少しでも回復したい。
それが、娘や私たちの共通の願いである。
娘は、言った。
「また、(新しい環境で)仲良くなればいいじゃん。」
なんとポジティブな思考であろうか。
そして、それができるという自信を持っているのだろう、こんな状態になっても。娘は。
そんな娘が、ナースステーションの皆さんに見送られて、病棟を後にした。
2度の外出をしたことも忘れている娘だが、3度目の外出は、こうして退院そして新たな病院への転院なのであった。
娘の環境に大きな変化があった。
転院である。
リハビリ専門の病院へ。
希望はしたが、転院先の病院から日を告げられたのは、あまりに突然、2日前だった。
だが、娘に経緯を説明すると、娘も、このまま退院するのではなく、少しでもよくなったと思える状態になりたい、ということが願いであることに、うなずいていた。
転院前日。
担当看護師のIさんがあいさつに来てくれたので、ちょっと引き留めて、記念に写真を撮った。
お世話になった。
何せ、入院してから約11か月である。
この病院では異例の長さの入院期間である。
娘と写真を撮った後、Iさんは言った。
「あなたのおかげで、私も変わることができたの。
あなたは、いつも私を笑顔で迎えてくれた。
だから、私も笑顔になれたの。
あなたのように、笑顔でいられるようになりたいって思ったの。
あなたから、教えてもらったんだよ、笑顔の大切さを。」
…言葉は多少違うかもしれないが、Iさんはこのような意味のことを、娘に対して語ってくれていた。
娘も大泣きであった。
Iさんの言葉が、どれだけ娘に入るかわからないが、もともとは感情にもろい娘である。
2人で涙をいっぱい流し合っていた。
娘の方が大泣きであったが、もらい泣きするような看護師のIさんに、涙をこぼしながらティッシュを差し出す娘のしぐさに、Iさんも見ている私たちも、笑い泣きであった。
その後は、さっぱりした性格だが仕事は確実なEさんが、薬を届けながら、顔を出してくれた。
「元気でね。」
と、手を振りながら言うEさんに、
「Eさんもね。」
と、手を振りながら答えた娘だった。
この後も、とてもお世話になった別の看護師のОさんとも、別れの時間を惜しんだ。
Оさんは、やはり30分近く娘のところで話してくれた。
娘は、このОさんに心を許していた。
「Оさん、髪の毛、寝ぐせ(がついてる)~。」
などと言いながら、Оさんのマンガ似顔絵はたくさん描いていた。
Оさんは、翌朝は、「明け」である。
娘に会えない。
その分、ハグしてくれたり話をいろいろしてくれたり、娘との最後のよい時間を過ごしてくれた。
ガチャピン。
娘は、ガチャピンが大好きである。
タオルや着ているもの、小さなぬいぐるみなど、ガチャピン・グッズに囲まれて入院生活を送ってきた。
大部屋に移ってから、トイレの方向や自分の部屋の位置がわからなくなる娘のために、看護師さんたちが知恵を絞ってくれたのが、「ガチャピン」であった。
このような掲示物を用意し、娘が迷わないようにしてくれたのである。
ロッカーにも貼ってくれた。
その結果、短期記憶がなくなってしまう娘であっても、ガチャピンを見ると、自分のことだと思い返し、迷うことが少なくなったのであった。
看護師さんたちの、娘をよく知るがゆえの解決策であった。
翌朝、退院の日、担当看護師のIさんからいただいた別れの手紙となったカードには、このようなことが書かれていた。
言葉が、前日のIさんの言葉そのものであった。
また、Iさんはじめ、看護師ではないがちょっとした世話係のAさんなど、たくさんの方が、やはり声をかけてくれていた。
この病棟では、人生の年輪を重ねた方が多い。
娘のような若い女性は珍しい存在であった。
しかも、笑いながら語りかけてくる娘は、たくさんの人に愛されていた。
そのことがよくわかった。
でも、新しい環境で、障害を負った脳の機能を少しでも回復したい。
それが、娘や私たちの共通の願いである。
娘は、言った。
「また、(新しい環境で)仲良くなればいいじゃん。」
なんとポジティブな思考であろうか。
そして、それができるという自信を持っているのだろう、こんな状態になっても。娘は。
そんな娘が、ナースステーションの皆さんに見送られて、病棟を後にした。
2度の外出をしたことも忘れている娘だが、3度目の外出は、こうして退院そして新たな病院への転院なのであった。