ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

娘よ(40)~点滴が外された

2014-04-03 23:47:16 | 生き方
新年度2日目というのに(新年度だからこそでもあるが)夜の会合があり、参加していた。
だから、病院の娘に会いに行けない。
そういう事情をかかえながら、会合に参加していたら、携帯が、着信アリを示す振動を伝えた。
こっそり見てみると、妻からのメールだった。
娘のことで、悪い知らせでなければいいが…と思った。
メールを開けてみて、驚いた。

 「点滴とれた」
 主治医から電話あり。
 思い切って、点滴なしにして、別な薬を半錠増量するとのこと。
 様子見て、外出や外泊等考えるようにと言われました。

ええ~っ!!?
ちょっと信じられない処置だった。
なぜなら、娘は、前日の夕食後、後頭部が刺すように時折痛くなると言い、そのため薬までもらっていたのだったから。
また、3日ほど前には、視点が定まらないぼうっとした様子になったために、その時一緒についていた息子が、横にさせたりしたのだった。
この1週間内には、明け方に顔のほおのあたりがしびれるようでおかしいと感じ、目をさました、ということもあったりした娘だった。
このような症状は、けいれんの発作時の症状と共通するものだった。
全身けいれんには至らないで済んではいるが、紙一重のような感覚を抱いていた私たちであった。
だから、なんとかけいれんの発作が起こらなければいいのだがなあ、やはりけいれん止めの薬の濃度を下げていくということはリスクが高いのだよなあ、と思っていたのだ。

ところが、点滴なしにした、というのだから、びっくらこいてしまったのだ。
なんでもすぐに忘れてしまう娘は、前夜の後頭部の痛みなど覚えていなかったと、帰った時に話を聞くと、妻は言っていた。

今日、大丈夫だろうかと思いつつ、夕食の時間に病室を訪ねると、勤務先が遠方になった妻と一緒の入室になった。
そこには、すでに息子が来て、娘の食事の付き添いをしていた。

なるほど。
点滴台はあるが、設置されていた機械と薬袋や液を入れたシリンダーがない。
もちろん、娘の体につながっていた管もない。
ただし、何か起こってもわかるように、心電図を無線で伝える機械は付いていたけれども。
今日は、本当に久しぶりに風呂に入ったのだという。
わずか2,3分しか湯船には浸かれなかったらしいが、シャンプーもして、さっぱりした顔をしていた。

点滴を外して、薬を増やした。
薬が効くのかどうか、試してみないとわからないから。
医師の言葉を看護師さんが改めて話してくれた。
本当に、これで大丈夫なのだろうか?
医師の判断に対する疑念も湧いてはきた。
だが、確かに、外れないことには、退院なんて遠い話だ。
また、胸から刺して入れていた点滴も長期化して、限界が来ていたことも事実だ。
うまくいくことを祈るばかりだ。

しかし、点滴の管がなくなって、少し自由になったように見える。
からむかどうかなどを気にしなくていいのは、はるかにいい。
液体のなくなった点滴台を杖替わりにして歩いてはいるが、かなり自由な感じに見えた。

本当の意味で自由にしてあげたいと思った。

隣のベッドの老女は、カチャカチャと音を立てている。
抑制帯をされているのを外そうとしている音だ。
数か月前、娘が同じことをしていたことを思い出した。
自由を奪われてしまい、なんとか外そうと試みる姿は痛々しく感じて見ていられなかった。
…ということを思うと、今は、ずいぶん回復に向かっているのだなと、改めて思う。
記憶が積み上がらないから、ちっともよくなった気はしなかったのだけれど、ハチャメチャな行動はなくなっている。

神よ。どうかこのままけいれんを起こさないで。
そして、脳の機能も回復に向かわせて。
改めて祈る思いの昨日・今日そして明日…。
コメント (2)
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