点滴の外れた娘。
まだまだ娘の認識は、行きつ戻りつのところがあって、忘れてしまうことが多い。
なのに、このままいけば外出はどうだろう、と主治医から言われてびっくりしたのだが、それならば、と日曜日に行うことにした。
何日か前から、妻が娘に外出できることを言い、どんな服を着ていきたいか、何を食べたいか、などを聞いていた。
娘の希望する服を家から持って来て着替えてみると、服がパンパンに張ってしまうほどになっていた。
脳炎の影響と長い入院生活で、歩く足どりもたよりなくなっているから、完全に運動不足になっている。
さらに、入院生活で、毎食完食を心がけている娘。
最近ではおやつの食べ過ぎ(?)もあって、太っていたのだった。
そのことが、本人にとっても苦笑いであった。
11時頃から、行動開始。
着替えた後の娘は、しっかりまつ毛を整えていた。
廊下でその姿を見て、よく知っている何人かの看護師さんに、「気合入っているねえ。」などと言われたが、「行ってらっしゃい」と声をかけてもらい、笑って手を振って応えていた。
エレベーターから、廊下をゆっくり歩き、院外へ。
車に乗せた。
新潟の平野部は、今、桜が満開のシーズンだ。
今日はよく晴れ、青空に白い桜の花々が美しい。
たくさん桜が咲いている通りを選んで、車を走らせる。
娘の目には、どう映っているだろうか?
季節感がないのでよくわからない、というのが本音のようだった。
本人の希望で、病院では食べられなかった、「ダブル・チーズバーガー」のセットをドライブスルーで購入。
やがて車は、家に到着。
11か月ぶりに、自宅に戻った娘であった。
エアコンが変わった、と言う。
エアコンは、昨年、娘が入院中に替えたものではない。
娘が元気だった一昨年の夏である。
なのに、変わったという娘。
娘の記憶は、2年ほど抜けている。
だから、昨年だけでなく一昨年の記憶もなくなっているものがある。
そのことを改めて感じた。
茶の間で、座椅子にもたれ、ゆっくり座った娘。
フライドポテトやハンバーガーをほおばって、満足そうに見えた。
ここでも、腹がぽっこりと出ているのがわかって、おかしな顔はしたが、食べる手は休まらなかった。
食後は、茶の間や自分の部屋で小物などを探したりした。
あとは、茶の間で弟が見ていたサッカーなでしこリーグ「新潟―神戸」戦をゆっくりテレビ観戦。
「うまいなあ。」と感心しながら見ていた。
家にいるので、かつてのように動こうとする。
だが、立ち上がる時は、まだ足元がふらふらし、よろけることが多いのだった。
あっという間に帰らなくてはいけない時間となり、病院に送っていった。
また、看護師の皆さんが、お帰りと集まってきてくれた。
うれしそうな娘だった。
パジャマに着替えて、トイレに行って戻ると、久しぶりに以前の職場の同僚(先輩)と上司(的存在)の人が二人でお見舞いに来てくれた。
インフルエンザ予防の面会制限があって、なかなか会えず、久しぶりの面会であった。
時々泣きながら話をして、約1時間を過ごした。
元気そうに見えてよかった、とお二人は喜んでくれた。
娘は、涙で目の周りは真っ赤だった。
ただ、私が帰ってからその数分後、うちの息子(娘の弟)が訪ねてみると、頬やあごをなでてしきりに気にしていたということだった。
しびれを口にし、うまくしゃべれない、ということだった。
すぐに看護師を呼んだが、間もなく改善した。
疲れが出て、発作のようなことが起こったのではないかと考える。
これだけ一日いろいろなことがあったのだ。
それも仕方ないのでは、と思う。
さらに夜7時半頃、私が訪ねると、娘は、家に帰って何をしたか覚えていない。と言った。
でも、テレビでのど自慢を見たでしょ?サッカーの女子の試合を見たでしょ?
などと聞くと、「うん、見た。」と言い、首を縦に振った。
11か月ぶりに家に戻った娘。
家で過ごせたということは、これからにつながる。
多少の体の変調は起こったようだが、大きな変調は起こらなかった。
今日は4時間の外出だったが、これが何度かできれば、やがて外泊となり、退院につながるはずだ。
そうあってほしい、と祈るように信じたい。
まだまだ娘の認識は、行きつ戻りつのところがあって、忘れてしまうことが多い。
なのに、このままいけば外出はどうだろう、と主治医から言われてびっくりしたのだが、それならば、と日曜日に行うことにした。
何日か前から、妻が娘に外出できることを言い、どんな服を着ていきたいか、何を食べたいか、などを聞いていた。
娘の希望する服を家から持って来て着替えてみると、服がパンパンに張ってしまうほどになっていた。
脳炎の影響と長い入院生活で、歩く足どりもたよりなくなっているから、完全に運動不足になっている。
さらに、入院生活で、毎食完食を心がけている娘。
最近ではおやつの食べ過ぎ(?)もあって、太っていたのだった。
そのことが、本人にとっても苦笑いであった。
11時頃から、行動開始。
着替えた後の娘は、しっかりまつ毛を整えていた。
廊下でその姿を見て、よく知っている何人かの看護師さんに、「気合入っているねえ。」などと言われたが、「行ってらっしゃい」と声をかけてもらい、笑って手を振って応えていた。
エレベーターから、廊下をゆっくり歩き、院外へ。
車に乗せた。
新潟の平野部は、今、桜が満開のシーズンだ。
今日はよく晴れ、青空に白い桜の花々が美しい。
たくさん桜が咲いている通りを選んで、車を走らせる。
娘の目には、どう映っているだろうか?
季節感がないのでよくわからない、というのが本音のようだった。
本人の希望で、病院では食べられなかった、「ダブル・チーズバーガー」のセットをドライブスルーで購入。
やがて車は、家に到着。
11か月ぶりに、自宅に戻った娘であった。
エアコンが変わった、と言う。
エアコンは、昨年、娘が入院中に替えたものではない。
娘が元気だった一昨年の夏である。
なのに、変わったという娘。
娘の記憶は、2年ほど抜けている。
だから、昨年だけでなく一昨年の記憶もなくなっているものがある。
そのことを改めて感じた。
茶の間で、座椅子にもたれ、ゆっくり座った娘。
フライドポテトやハンバーガーをほおばって、満足そうに見えた。
ここでも、腹がぽっこりと出ているのがわかって、おかしな顔はしたが、食べる手は休まらなかった。
食後は、茶の間や自分の部屋で小物などを探したりした。
あとは、茶の間で弟が見ていたサッカーなでしこリーグ「新潟―神戸」戦をゆっくりテレビ観戦。
「うまいなあ。」と感心しながら見ていた。
家にいるので、かつてのように動こうとする。
だが、立ち上がる時は、まだ足元がふらふらし、よろけることが多いのだった。
あっという間に帰らなくてはいけない時間となり、病院に送っていった。
また、看護師の皆さんが、お帰りと集まってきてくれた。
うれしそうな娘だった。
パジャマに着替えて、トイレに行って戻ると、久しぶりに以前の職場の同僚(先輩)と上司(的存在)の人が二人でお見舞いに来てくれた。
インフルエンザ予防の面会制限があって、なかなか会えず、久しぶりの面会であった。
時々泣きながら話をして、約1時間を過ごした。
元気そうに見えてよかった、とお二人は喜んでくれた。
娘は、涙で目の周りは真っ赤だった。
ただ、私が帰ってからその数分後、うちの息子(娘の弟)が訪ねてみると、頬やあごをなでてしきりに気にしていたということだった。
しびれを口にし、うまくしゃべれない、ということだった。
すぐに看護師を呼んだが、間もなく改善した。
疲れが出て、発作のようなことが起こったのではないかと考える。
これだけ一日いろいろなことがあったのだ。
それも仕方ないのでは、と思う。
さらに夜7時半頃、私が訪ねると、娘は、家に帰って何をしたか覚えていない。と言った。
でも、テレビでのど自慢を見たでしょ?サッカーの女子の試合を見たでしょ?
などと聞くと、「うん、見た。」と言い、首を縦に振った。
11か月ぶりに家に戻った娘。
家で過ごせたということは、これからにつながる。
多少の体の変調は起こったようだが、大きな変調は起こらなかった。
今日は4時間の外出だったが、これが何度かできれば、やがて外泊となり、退院につながるはずだ。
そうあってほしい、と祈るように信じたい。