ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

50代は人生のかなり後半に近くなっていることを実感した

2014-08-15 23:03:39 | 生き方
50代。
この盆でまた、50代がかなり人生の終盤に当たるのだということを様々なところから思い知らされた気がしている。

今年もまた、7年前急に亡くなった、高校時代の同級生のOのところに盆の水あげに行ってきた。
仏壇のOの写真は、本当に若く見えた。
亡くなったばかりの頃は、そうは見えなかった。
今は、ずいぶん年の離れた弟くらいの感じに見えてしまった。
彼の奥さんは、かつて私の母が入院していた時に同じ病室でベッドが隣同士だったことがあった。
おしゃべりなうちの母は、つれあいの夫(私の父)を突然亡くしたことや、私がどうしようもない情けない存在だったことなど、あることあること皆話したらしい。
だから、Oの奥さんは、「あの時50foxさんのお母さんが、突然未亡人になって困ったことを聞いていたけど、その後で、まさか自分が同じように突然未亡人になるとは思わなかったわ。」「あの時、そうなるとわかっていたら、もっともっと話をよく聞いておけばよかった、と何度も思った。」などという話を今日もしてくれた。

今年の盆は、昨秋亡くなったMの新盆である。
Mの家も初めて訪ねた。
3人残された娘がいるが、長女がしっかり応対してくれた。
近いうちに、勤務している大阪で結婚するとのこと。
彼女の叔母さんに当たる、Mの妹さん、そしてMの奥さんも途中から出てきて、いろいろと話してくれた。
Mと私の共通の高校時代の同級生だった、Cがガンで入退院を繰り返していること、新潟市の病院で診察してもらったら、やはり私たちの同級生に当たるTが定期的に点滴に訪れているらしいこと、Kは、自分だけでなく奥さんも突然倒れて介護が必要なこと……。
私の同級生たちは、すっかり具合が悪い人だらけになっていた。
人の話すことではあるけれど、単なるうわさだけではないことは伝わってきた。

突然、大学時代の「相棒」を喪ったという話も聞いた。
切ない話であった。
かける言葉も見当たらない。
ただ、OやMの奥さんに告げてきたのだが、「遺されたわれわれは、無理しすぎずに、元気に生きていきましょう。」と、言うばかりである。

娘の入院で、病院に入院している患者さんたちをたくさん見てきた。
その多くが、突然のことで倒れて自由に動けなくなった人たちである。
今日も、OやMの奥さんたちと話してきたが、皆、自分に突然の悲劇が起こるなんて考えてもいなかったことなのである。
まさか自分にそんなことが起こるはずはあるまい、と思っていたことが起こるのである。
「だから、人生って、やっぱりつらいことがおおいのですね。」
とか、
「でも、生きていかなくちゃいけないものね。」
などの言葉が、実感を伴って迫ってくる。
私も、父母や義父母を喪い、娘が去年からこの状態だ。
いつ、何が起こるか、本当にわからない。
だからこそ、今、やれることをやって、懸命に生きていくしかない、と思うのだ。

「まさか」がいつ、どんなことで訪れるか、わからない。
だけど、恐れていても仕方がない。
まず、前を向こう。
無理せずに、そして元気に、未来に向かって生きるのみである。
コメント
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