ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

30年

2014-11-16 21:32:28 | 生き方
父の命日である。
30年前のこの日、父は亡くなった。
われわれ夫婦は、当時1歳を迎えようとしていた娘とともに、70数km離れたところに住んでいた。
私はそこからさらに毎日勤務先まで30数kmかかる距離を通っていたのだった。
5日前に父母の住む家に娘を連れて訪ねたばかりだった。
娘は、1歳になる前から、もう歩いていた。
足腰の強い子どもだった。
その孫娘の名を呼んで、後を追いかけていたじーじが父だった。
その父が、勤めから家に帰って、いつもしていたように、風呂に入った。
風呂上がりの晩酌が一日の仕事に疲れた父の最大の楽しみだった。
30年前のその日も、そうだった。
ところが、風呂場で倒れた父は、2度と目覚めることも立ち上がることもなく、息を引きとったのだった。

あの時、父が追いかけた、小さくとも足腰の強かった娘は、今は、傾斜のある墓地に上るには、時折支えや後押しが必要になった。
1年半前までは、全く何事もなかったというのに。

砂地の坂道を上ると、父や母だけでなく、父の「本家」の人々や伯父伯母たちの眠る墓に着く。

今日は、北日本は完全に冬型から脱出しておらず、風が強い。
線香に火がなかなかつかない。
それでもなんとか火をつけ、妻や娘に線香を渡した。
すると、片手に線香を持った娘は、急に足元がおぼつかなくなった。
何もしないと、後方へしりもちをつきそうになった。
娘の分厚い上着の背中をつかみ、かろうじて娘は倒れずにすんだ。
なんとか線香を立て、神妙に手を合わせていた娘。


こんな娘ですが、祖父の命日を、祈りを捧げにここまで来ました。
あなたが30年前に慈しみ愛した孫娘です。
どうか、もっと状態がよくなるように見守ってください。

そんなことを考え、祈っていた。

最後に、墓地の地蔵に、もっとよくなりますように、とその頭をなで、自らの頭に手をやった娘であった。


無事に元気で育ってきた娘だから、墓では感謝の気持ちだけで祈っていたのだが、このような現状になるとは、想像できなかった。
今は、仏壇に仏様に、娘の快復を祈る毎日である。

30年がたったよ。
私はあなたの歳を超えた。
だけど、今、30年前の父のようになるわけにはいかないんだよ…。
娘がもっともっとよくなるまでは…。

親父、いや、じいちゃん、頼むよ。
娘をもっとよくしてくれよ。

何度もそう願いを念じながら、亡き父に語りかけ、帰ってきた、30年たった今日であった。
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