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今年の国体は、新潟で行われている。
新潟で国体が行われるのは、昭和39年以来とのこと。
県下各地で、さまざまな種目のスポーツが行われている。
私の住む近くでも、サッカーや軟式野球、ボートにラグビーなど、様々な市町村でその地域性が生かされたものが行われている。
観戦にも行きたいのだが、開催期間中の土日は何らかの仕事関係の予定が入ってしまい、ほとんど見に行けない。
昭和39年というがいったい何年前かというと、45年も前になってしまう。
1964年。東京オリンピックの行われた年である。
オリンピックが行われるということで、国体が6月に行われたのだった。
当時小学校低学年児だった私。国体の競技の話題は、何も覚えていない。
しかし、恐るべし。国体について、たった一つ覚えているものがある。
それは、当時の「新潟国体の歌」である。
1.弥彦の山から 輝きくだる
燃え立つ聖火に 気もはずむ
陽炎けりあげ 走れよ跳べよ
伸びゆく力 試すのだ
越路の大地に 勇まし愉し
若人のうたげぞ 新潟国体 新潟国体
(2番3番略)
たぶん私と同じ50代の新潟人たちは、かなりの人が歌えるのではないかと思う。
小学生の頃の自分が覚えたほどの歌。なぜ歌えるのだろうと思ってしまう。
TVやラジオで繰り返し流されただけでなく、きっと学校でも何度も聞かされた(歌わされた?)のかもしれない。
歌詞をみると、意気上がる感じだ。
歌ってみると、確かに、いっそう勇ましい感じになる。
今国体にも、歌はある。
イメージソング「ガムシャラな風になれ」がそれである。
前半を紹介する。
君にしか出来ないことが
未来へとつながるファンタジー
ため息ばかりで
なぜうつむいているの
見上げればほら
青空が広がってる
叫べばいいのさ
この空に触れたいと
そうさその手は
何だって出来るはず
勇気ひとつだけ抱きしめ
小さなハートためすのさ
ガムシャラな風になるのさ
その胸の情熱だけで
どこまで行けるのかさえも
知らずに君は駆け出す
まだ見えないのに感じてる
ときめきが導く未来を
心はそう白いままの
ページを自由に駆けて行く
「ガムシャラ」を曲名にしているが、柔らかさや優しさを感じさせる。
優しく支えようとしてくれるように感じる。
歌詞や曲。歌の性格の違いが、そのまま時代を映しているような気がしている。
あの頃の東京オリンピックは、戦後日本のたくましい復興を表していた。
同年の新潟国体も、そのたくましさ、勇ましさを持っていた。
だから、国体の歌にそれが表れていた。
今は、たくましさ、勇ましさだけを強調すればよい時代ではない。
競い合う相手とだって、支え合うような、心の優しさが求められている。
そんな気がする、新潟国体の歌、今昔である。
新潟で国体が行われるのは、昭和39年以来とのこと。
県下各地で、さまざまな種目のスポーツが行われている。
私の住む近くでも、サッカーや軟式野球、ボートにラグビーなど、様々な市町村でその地域性が生かされたものが行われている。
観戦にも行きたいのだが、開催期間中の土日は何らかの仕事関係の予定が入ってしまい、ほとんど見に行けない。
昭和39年というがいったい何年前かというと、45年も前になってしまう。
1964年。東京オリンピックの行われた年である。
オリンピックが行われるということで、国体が6月に行われたのだった。
当時小学校低学年児だった私。国体の競技の話題は、何も覚えていない。
しかし、恐るべし。国体について、たった一つ覚えているものがある。
それは、当時の「新潟国体の歌」である。
1.弥彦の山から 輝きくだる
燃え立つ聖火に 気もはずむ
陽炎けりあげ 走れよ跳べよ
伸びゆく力 試すのだ
越路の大地に 勇まし愉し
若人のうたげぞ 新潟国体 新潟国体
(2番3番略)
たぶん私と同じ50代の新潟人たちは、かなりの人が歌えるのではないかと思う。
小学生の頃の自分が覚えたほどの歌。なぜ歌えるのだろうと思ってしまう。
TVやラジオで繰り返し流されただけでなく、きっと学校でも何度も聞かされた(歌わされた?)のかもしれない。
歌詞をみると、意気上がる感じだ。
歌ってみると、確かに、いっそう勇ましい感じになる。
今国体にも、歌はある。
イメージソング「ガムシャラな風になれ」がそれである。
前半を紹介する。
君にしか出来ないことが
未来へとつながるファンタジー
ため息ばかりで
なぜうつむいているの
見上げればほら
青空が広がってる
叫べばいいのさ
この空に触れたいと
そうさその手は
何だって出来るはず
勇気ひとつだけ抱きしめ
小さなハートためすのさ
ガムシャラな風になるのさ
その胸の情熱だけで
どこまで行けるのかさえも
知らずに君は駆け出す
まだ見えないのに感じてる
ときめきが導く未来を
心はそう白いままの
ページを自由に駆けて行く
「ガムシャラ」を曲名にしているが、柔らかさや優しさを感じさせる。
優しく支えようとしてくれるように感じる。
歌詞や曲。歌の性格の違いが、そのまま時代を映しているような気がしている。
あの頃の東京オリンピックは、戦後日本のたくましい復興を表していた。
同年の新潟国体も、そのたくましさ、勇ましさを持っていた。
だから、国体の歌にそれが表れていた。
今は、たくましさ、勇ましさだけを強調すればよい時代ではない。
競い合う相手とだって、支え合うような、心の優しさが求められている。
そんな気がする、新潟国体の歌、今昔である。
昭和39年の6月だと,まだ我が家にはテレビが入ってなかった?
当時四歳になってなかった私には,当然国体の記憶は無いのですが,この唄は小学校で何度も何度も聞いた記憶があります。小学校って,なんだかよく分からない唄を延々と流してたな~。
「石けんで手を洗おう」ってのも印象に残ってますが,みなさん知ってますかねえ?
私にとり国体と云えば今から13年前の福島国体のことです。父が余命後3カ月宣告とされて入院加療していました。父の介護をしながらも是が非でも国体を見ておこうと思い、父の入院している病院の近くにある、野球場に出かけて観戦しました。現在大リーグで活躍中の福留選手がPL学園の3年生でした。7回だったか8回だったか、さだかではありませんが、何と彼が投手として、マウンドに上がったのです。当時の高校生としては、結構早いボールを投げていました。福留選手の投手登板は、この時が最初で最後だったのではないかと思います。
この試合が唯一の私の福島国体観戦でした。翌年父は春を待たずあの世に旅立ちましたが。国体と云うと、父がこの世との別離の宣告を受けた年との思いが強い私です。
>sunQさん
やっぱり小学校ですかねぇ。子どもの頃の「すり込み」は大きいですね。小さい頃のことは、細かいことは忘れるのですが、その中にもなぜか時折鮮明に思い出すものがあります。
>蜂さん
福留の投手目撃ですか。今となっては、「超レアな体験」かもしれませんね。PLは、大勝した時、あの清原も投手したりしましたよね。
お父様と国体がつながるお話、しみじみした思いがいたします。