なぜか自分でもよく分からないけれど、しばらく聴いていないけれど、先日、なんだかとても懐かしくて聴きたくなった歌があった。
その歌は、「カンパリソーダとフライドポテト」。
1977年11月に、吉田拓郎が出したアルバム「大いなる人」からシングルカットした曲だ。
その頃学生だった私は、このLPを買って、その曲をよく聴いたのだった。
今回、久々に自分のもつLPレコードでこの曲を聴いた。
あとで調べると、YOUTUBEにも上がっていたので、そこで聴けばよかったかな!?
「カンパリソーダとフライドポテト」って、一体何なんだ?この曲名?
当時は、フライドポテトは知っていても、カンパリソーダはどんなものか、わからない私だった。
おそらく、フライドポテトと合う炭酸で割ったアルコールの類なんだろうな、と思いはしたのだが、実物は知らなかった。
その曲の歌詞カードを見ても、どこにもカンパリソーダもフライドポテトも出てこなかった。
なんか、わけのわからない歌だな、と思いながら当時は聴いていた。
だが、曲のイントロに使われている笛のような音色が妙に懐かしいような気がする歌だった。
今にして思えば、「はっぴいえんど」のギタリストをしていた鈴木茂のアレンジだったんだね。
さすがにいい効果を生んでいた。
さて、曲名について。
後年、どこかで見たのは、カンパリソーダは、都会的な女性をたとえたものらしいということ。
そして、フライドポテトは、イモだけに田舎っぽい男性ということらしい。
そんなふうなものに男女を形容して、一緒に生きていこうということを歌ったものだということを読んだ。
そうだったのか。
そういえば、その頃の吉田拓郎は、2回目の結婚相手として浅田美代子と生活を始めていたころだったか、と納得。
歌詞の1番にも、「男と女が暮しを始めた」と言う部分があるからね。
改めて思い出してみると、この歌には自分の思いと共感できる部分が多かったから、懐かしさや心に残るものがあったのだろうなあ。
2番の「淋しさ寄り添い 温めあえば 人と人とは一つと信じて」
3番の「一人がいやで 肩よせた筈 子どものようにはしゃいだ日々もいい」
「風にまかれる人生がある たくましいだけで疲れるよりはいい」
5番の「くずれかけた砂の家で 木の葉のように舞うだけ舞えばいい」
「朝陽を見たかい 嵐の中にも 懐かしい歌が聴こえてくるだろう」
…こんなところを歌で聴いていると、人生のいろいろを感じてしまう。
だから、きっと、この歌を聴いてみたくなったのだろうな、と思った。
ところで、アルバムだとこの歌の次に、吉田拓郎がキャンディーズに作った「アン・ドゥ・トロワ」が流れてくる。
当時「普通の女の子に戻りたい」宣言があって、解散が予定されることになったキャンディーズのために作曲者だった吉田拓郎が歌ったという訳だ。
曲名も「アン・ドゥ・トロワ(ばいばいキャンディーズ)」となっている。
2番の部分だけを歌い、最後に「さよならキャンディーズ」と付け加えているのが、あの頃、拓郎なりの感謝を伝えているような気がしたっけ.
これもYOUTUBEにあった。
「カンパリソーダとフライドポテト」。
改めて聴いてみても、結構いい歌だと思うけど、ライブ盤やベスト盤などには入っているのを見かけなかった。
ひょっとすると、吉田拓郎は、その後森下愛子と3回目の結婚をしたから、2番目の結婚の時の歌は歌いたくなかったのかもしれないな…なんて思ったりもしている…。