ON  MY  WAY

60代になっても、迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされながら、生きている日々を綴ります。

娘よ(61)

2014-10-17 22:18:18 | 生き方
先月1回目の退院をしてから早くも1か月。
ただ、その1回目の退院の2日後には、浴室で痙攣を起こして救急車で運ばれる憂き目にあった娘であった。
その1週間後に早めの退院をさせてもらったが、幸いにしてその後3週間、大きな変化は起こっていない。
とはいうものの、足腰のふらつきは時々あって、ハッとすることがある。
ハッとするだけでなく、ドシンと尻餅をついたこともあるし、よろけた先で支えたこともある。
日中は、天気が良く調子も良ければ、近くの公園へ妻と二人で散歩に出たりすることもある。
およそ3,000歩ほど歩いて帰ってくるのだとか。
それ以外にも、体調が良ければ、買い物に同行させることもあるのだそうだ。
家にいれば、テレビをぼんやり見ていたり、ナンプレをしたりして過ごしている。
動くことが少ないので、体重が減らないのが難点だ。

1年前の「娘よ」を見ていると、時々今より認識はよかったなあ、などと思う。
主治医の先生に「12月の誕生日までに退院できるかな?」と聞いたりしたことや、以前の職場の同僚と電話で語り、泣いたり笑ったりしたことなどは、間違いなく現在の状況よりよい姿であった。
あの11月の1日5回の痙攣の発作が、本当に良くなかったことだと、改めて思う。
そのことが惜しく、悔しい。
あの後、それ以前よりよくなっていないなあと思う。
だけど、過ぎたことを「たられば」で語っていたって、現実が変わるわけではない。
今、娘は家でなんとか生活できている。
誰かがそばで見ていないと、不安が大きいが、今は家で過ごせている。
命の不安があった時もあったじゃないか。
その時に比べたら、はるかにいいじゃないか。
そのことを何より喜ぼうじゃないか。
そう思っている。
くだらないことを言って、笑い合うこともある。
不意の「発ガス」を、みんなで笑う時もある。
家でそんな瞬間があることを、何よりだと思って喜ぼう。
痙攣の不安はぬぐい去れないが、毎日毎日が大過なく過ぎていくことを何よりだと思いながら暮れていく日々である。

これは、先日、親類へ書いた手紙に添えた娘のメッセージである。
コメント (2)
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