kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

どうする家康  第37回さらば三河家臣団

2023-10-08 15:21:55 | どうする家康

 

 

小田原

今回はここが重要な地域のようですが、私は悲しいか

「小田原かまぼこ」「小田原ちょうちん」 

としてしか知らないのです

おせち料理の時だけ、ふんぱつして小田原蒲鉾を使います

 

さて、このドラマの時代はまだ蒲鉾はないのかなどうかな

 

そんな無知なところから書きますのでよろしくお願いいたします

 

茶々が秀吉の側室に!?

これは、今回はパスします

 

秀吉が関東北条攻めを、言い渡しました

 

なぜ?

秀吉が関白に任ぜられてから

四国征伐、九州征伐、これで西国はほぼ平定

 

次のターゲットは関東・東北

 

 

 

「関東・奥両国惣無事令」 発令 by関白秀吉

これは、

関東と奥(陸奥の国と出羽の国)での

大名同士の戦いを禁ず

有れば、直ちに関白により征伐

 

そしてその後、後陽成天皇を、聚楽第に招き

ここに列席すれば、条例に賛成

列席しなければ、反対

否が応でもそうなるのだそうです

 

北条氏政と氏直親子が欠席しました

 

秀吉は、北条を違反者として、打倒の狙いを付けた

 

北条の兵 五万六千  VS  秀吉側 二十一万

 

北条の籠城もむなしく、開城降伏

 

父北条氏政 切腹

息子氏直 高野山へ追放

でした

 

父の北条氏政は小田原城の陥落後、家康に言った

 

「徳川殿、この関東の地、

そなたが治めてくれるのであろう

我が民をよろしくたのみまするぞ」

 

 

 

ところで、

「鎌倉殿の13人」の北条家と「どうする家康」の北条家の関係

どうなのかあと思いました

鎌倉…は時政が父で、義時が息子

 

「どうする家康」の北条は「後北条」と書き

初代が北条早雲

四代が北条氏政(駿河太郎さんが熱演)

五代が北条氏直

 

ふたつの北条、血縁関係はほぼ無しと見ていいそうです

 

 

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 

北条を滅亡させた家康軍

その後の秀吉の命令は、家康家臣団も想像していた

国替えに違いないと

 

德川領(5か国)に北条領(6か国)を追加~

と言ってたくせに、徳川領は切り取られ

関東と江戸を与えると秀吉

まあ、いけしゃあしゃあと

 

小田原攻めに関して、家康と石田三成が話していた

三成 

「織田信雄も国替えを命ぜられた

不服を言ったため、改易と

德川様、ご辛抱を」

 

家康

今の殿下には付いていけぬ」

 

三成

「殿下は賢明なるお方

万が一人として間違ったことをなさった時は

この三成が、お留め致します

 

戦なき世…

德川様と同じ星を見ていると心得ております」

 

 

三成がお留めいたします

 

これは石田三成の大きな覚悟を感じました

 

星の大好きな優しい人ですね

 

抗うことを耐えた家康

 

~秀吉よりの国替え発表~

 

*三河を手放す

*北条領を与える

*重臣は国持となる

 

家康➡本多正信➡大久保忠世➡重臣各々へ

家康の知らないところで、国替えなどのことを伝えていた

そのおかげで、皆、不服も言わず従ってくれた

 

そうか~徳川四天王も、だれもかれも

独立するということなのですね

こんな大きな変化、受け止めるのって難しいでしょうね

 

雨降って地固まる

 

そんな感じに

 

ちなみにどこへ行くのでしょう

 

井伊直政:上野箕輪(12万石)

榊原康正:上野館林(10万石)

本多忠勝:上総万喜(10万石)

鳥居元忠:下総矢作(4万石)

平岩親吉:上野厩橋(3万3千石)

 

そして、

大久保忠世小田原(4万5千石)

あれ、大久保兄には、もっと高い石高がと思ってましたが

でも、すでに宿場町で発展してたのかもしれませんね

 

德川一門、団結していますね~!

主人は偉ぶらず、従者は抗わず

 

 

関東一円に家臣は夫々、城持ち大名として配された

そして

家康(+服部半蔵) は江戸へ

厭離穢土 欣求浄土

Only Edo 

 

江戸は居よいは住みよいか

 

新天地でのご活躍をお祈りしております

 

(確か、皇居近くには半蔵門という地名があったような…

服部半蔵さん関係の場所ですか?)

 

 

 

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どうする家康 第36回於愛日記

2023-10-01 16:52:57 | どうする家康

 

 

於愛日記

今回は、戦国を生きた女性たちの姿が描かれました

 

 

於愛は、先の夫を亡くし一時は自害をしようとしたが

それを留めたのは、まだ幼い我が子の眼差しでした

 

築山殿の勧めもあり

家康の側室になりました

築山殿を亡くした家康と夫を亡くした於愛

なんの壁もなく「1122」 あ、いい夫婦

になったと見ていました

 

屈託のない於愛の笑顔に家康は安らぎを覚えている

 

でも、於愛は亡くした夫を忘れることができなかったんですね

殿の前で笑っていよう、偽りでも

心のうちはそんなだったんですね

 

ドラマは突然、於愛のその気持ちを

クローズアップするもんですから

家康と於愛の仲をこじらせたいのか? 脚本家さんよ

 

まさか

於愛が病にかかっていて、もう長くないとは

 

 

 

あれは浜松の城の厨だったと思うのですが

近眼の於愛が、つまみ食いしている家康を

直政(万千代)と間違えて

バチィーーーッとお尻を叩きましたね

その時も明るい笑顔でした

その時家康の目にとまったんですね

 

 

「人生五十年」と織田信長から何度も聞きました

 

明日をも知れぬ毎日を、捨て身の覚悟で生きていたかも

 

お市、茶々、五徳、亀姫、お葉、おふう

もっともっとたくさんの女性が

敵方へ人質として嫁いで行った

もちろん、仲睦まじい夫婦となった人も多いですが

 

 

 

武田軍で忍びをしていた、千代

家康がどうしているかと案じていたそう、私も

千代さんどうしたのかな~と思っていました

 

 

 

築山殿、信康、穴山梅雪らと

戦なき世をと事を進めていたあの頃以来です

 

殿の命で鳥居元忠は探していたのだった

いつだったのか見つけたらしい

そして誰にも言わず一緒に暮らしていた

 

見つかった千代に

於愛は、鳥居を慕う気持ちはまことかと尋ねる

 

 

千代「さあ分かりません、きっと偽りでしょう

ずっとそうして生きて来たから」

 

鳥居をかばったのかなあ

 

家康「千代を恨んではおらん

かつて我らが夢見た世を、

穴山らと共に目指したひとりであろう

 

忍びの過去を捨て、鳥居と幸せに暮らせ

 

 

千代「今さら、人並みの暮らしが許されましょうや」

 

家康「幸せになることが生き残った者の定め

彦を支えよ、我が命じゃ」

 

千代は、命令を受け止めた

 

こういう命令は、なんぼあってもいいですね♪

 

まあ、家康さん、あまり好きでなかったけれど…

こんなこと思ってる人なんですね~

 

この場には、家臣団が勢ぞろいしていた

また、本多忠勝のむすめ、稲(いな)も居た

千代の話を聞いていて、何か心動かされたようだった

 

 

先だってより、稲は真田へ嫁入りをと言われていた

断じて応じなかったのだが

 

稲「真田家、我が戦場として申し分なし

殿、謹んでお受け申し上げまする

夫婦を成すこともまた、女の戦と思い知りました」

 

潔い稲さん

さすが、本多忠勝の娘ですね

ま、今の世ならブーイングですか

 

 

真田信之(信幸)の正室となるのですね

信幸はお父さんが真田昌幸

真田信繁(幸村)の兄

大河ドラマ「真田丸」では大泉洋さんが演じておられましたね

確か、のちには真田を離れ徳川方に付くのでしたね

 

凛々しいお嫁さんは、どんなだったんでしょうね

 

 

本多忠勝の娘

真田信之に嫁ぎ「小松姫」名乗りました

戦場に出たのでしょうか

勇ましい姿

 

らんまんのスエコさん然り、戦国の女性然り

世に名を残す人は、強靭な精神の持ち主ですね

 

山内一豊の妻、名は「千代」

この方を忘れてました

みんなすごい、すごいなあ~

あ~何が言いたいのか分からなくなりました⤵

 

 

 

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どうする家康 第35回欲望の怪物

2023-09-24 11:35:23 | どうする家康

 

 

秀吉のかか様の仲、人質として家康のところへ来ました

 

要らぬ飾り気のない優しそうな方です

 

人質という辛い毎日の中、見つけましたよ

心の安らぎを(^^♪

 

井伊直政

イケメンぶりに一目ぼれ

それから、娘の旭もそばに居てくれる

 

でも人質ですし…

 

井伊直政、顔では笑って仲のお相手をしてはいますが

今、関白殿下秀吉のところへ挨拶に行っている殿を案じ

相当な準備をしています

 

仲の部屋の前庭にどかっと薪

寒いといけませんからという建前

殿になにか起きれば、すぐさま薪に火を付け

ばあさんを焼いてやる!  という本音

 

可愛い顔してあの子

相当やるもんだね~

家康家臣は感心しておりました

 

頼もしいような、空恐ろしい様な

 

 

さて、秀吉の弟の秀長の屋敷に家康は通され

いよいよ関白豊臣秀吉との対面です

 

家康が、殿下にはもう陣羽織は着けさせません

との言葉を受けて

秀吉は諸国の家臣の前で一芝居打つことになった

 

家康「殿下の陣羽織を頂戴いたしたく…」

と、うやうやしく言います

すると、秀吉は激怒  のふりをする

 

家康「殿下には陣羽織を着させません

戦なき世をつくります」

 

それを聞いた秀吉はその家康の忠心に喜び

陣羽織を、自ら家康の肩に掛ける

 

という、猿芝居の一幕

 

その後、大坂城の廊下で、たまたま

石田三成と家康は会いました

三成は夜空の星の並び方を見ていた様で

家康に、その興味深い見方、星をつないで線を想像すること

教えてくれました

いつになく家康は楽しそうでしたね

 

 

江戸時代の家康は、様々な道具を手に入れたそうで

時計、鉛筆は聞いたことがありますが

他にもいろいろ集めたのでしょうね

一番実用的なのは漢方薬でしょうか

「薬研」

すでに築山殿といっしょに薬研をひいていた姿が

ドラマの中にありましたね、私もあれ、

一度体験してみたいです

 

話が反れました

 

石田三成が、家康に教えていた「ひしゃく型の星の並び」

「その横の星、外国では大きな熊に見立てている」

 

「北斗七星」

おおくま座の腰からしっぽと見立てる七つ星

 

    

              

 

家臣酒井忠次が

「殿は戦の話よりああいう話がしたかったのじゃろ」

 

石川数正と共に永らく仕えた重臣酒井忠次だけに

こころのうちはよお~く分かっておられるということですね

やっぱり、家康はよい家臣を持っていたんですね

 

 

   さて、差しあたっての難題は秀吉から命ぜられた

真田昌幸との談合

 

「沼田の地を北条に明け渡して頂けますか」 

 

俄然、真田は抗った

で、この方も一芝居してましたね

昌幸とその息子信之(信幸)の二人による

題して「壺は誰のもの」 勝手に付けました(^-^;

 

酒井忠次、本多正信らとの、すったもんだが有りまして

 

正信が「関白殿下の指図でもある」

といえば

昌幸は「たやすく殿下のお名前にすがらぬほうが

よろしいですぞ、格が落ちますぞ」

 

この言葉に徳川の面々、殺気立ちました

そこで家康は一歩引き、他の取引を提案すれば

 

昌幸「有り体に言えば、我らは徳川殿を信用できぬ」

 

そして、示した要求が

「德川の姫を息子に頂きたい」

「無理となれば、家臣殿の娘を…」

 

 

大河ドラマ「真田丸」で真田のお父さんは

なかなかの策略家と聞いていましたが

 

手強そうな相手ですね

 

さあ、どうする家康

 

 

 

秀吉のかか様は心の温かい方みたいですね

 

家康の母、於大の方は欲望の大きい方

 

信長の母の土田御前は、信長、市、その他の武将の生母

有り体に言えば、長男信長には手こずった母なのでは?

でも優しい母だったのでしょうね

晩年は、子や孫と暮らしたようです

 

余談なのですが、秀吉の関白に任命のことから

気になったことがあり

Wikipedia、お借りしました、下記のとおりです

 

天正7年(1579年)

 

信長がそれまで就任していた右大臣兼右近衛大将の官職を辞任したことで

朝廷は困惑した


天下統一を間近に控えた信長に官位を与えないということは、

朝廷の権威を損なうことになりかねない出来事だからである

そこで朝廷は天正10年(1582年)5月

信長に「征夷大将軍」「関白」「太政大臣」のうち

いずれか好きな官職を与えるとした


しかし、その翌月に信長は「本能寺の変」で亡くなってしまう

 

 

 

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裏切り者~豊臣の花嫁(33回~34回)

2023-09-08 12:57:09 | どうする家康

 

 

石川数正は裏切り者?

 

石川数正

石川家の松平の家臣として記録があるのは

祖父 忠成

父 康成

そして数正

石川家三代続いた松平~徳川の家臣だったのですね

 

数正は子供の頃から家康と共に過ごしていた

今川氏の駿府での人質時代から幼き主従のふたり

 

数正は頭脳派で交渉事など外交担当

数正は家康の命を受け、ひとりで出向くことが度々あった

家康の信頼を得ていますよね

 

 

印象深いのが信長と清州同盟を結んだあと

三河の今川氏真が

瀬名と子供二人、それに

瀬名の父母である関口氏純と巴を人質に取った時

数正はひとりで吉田城の今川本陣に向かった

 

 

赤ん坊(亀姫)を背負った瀬名と

数正に抱えられた竹千代(のちの信康)

川を渡り切って、家康の元に戻ることが出来た

じーんと来る場面でした

 

 

瀬名奪還までは困難だらけでドラマは三回にわたり

色んな人が登場しました

 

この頃木下藤吉郎が、初お目見えでごぜえやす

 

 

本能寺の変のあと

主君信長の仇をとったと

息巻いている豊臣秀吉との交渉に苦心した

その頃から、あれ、あれ?

若い家臣との意見の食い違いが増えてきた

 

 

 

秀吉の攻撃に負け、織田信雄は秀吉と和睦

もう、家康には秀吉と戦をする理由がない

 

それでも家康は数正の助言を受け止めない

昔の家康からは想像つかない攻撃な殿になったか

 

 

 

数正は折れた、殿に従おう

殿を天下人にすることこそわが夢

もうひと暴れしてして見せよう

 

そう誓った日が家康の家臣としての最後だった

 

天正13年(1585)数正出奔、秀吉の元へ

 

数正はもうここらが引き際と思っていたのでしょうか

 

こんな文を置いて徳川から去った

 

本心なのか、どうなのか分かりません私には

 

德川にとっては、思いもよらぬ一大事

 

数正とは気心の知れた酒井左衛門尉忠次にも分からない

 

若手家臣団は、数正を恨むばかり

本多正信は

「数正が秀吉方に行けばこちらのことを何もかも知られたも同じ」

皆のいらだち倍増しそうなことを

 

 

勝てる!と思ったのかどうか知りませんが

家康は「天下を取る、安寧な世をつくる」と宣言

 

秀吉と戦う、これが英雄の選択でした

 

ところが

人生登り坂あり下り坂あり そして「まさか」があった

 

夜半、巨大地震がおきる

 

 

(天正大地震)

安土桃山時代 天正13年(1586)11月29日

M7.8 (諸説あり)

震度 7

津波 有り

被害は甚大だったが、三河よりも

秀吉のおひざ元、畿内一帯は更に被害が大きかった

 

秀吉

「つくづく運のええ男だわなあ~家康って奴は~」

 

天災の後、秀吉は戦を避ける作戦を突きつける

上洛を求めるが家康は拒んでいる

妹の旭を家康の正室にと送り出した

 

 

既婚の旭を離縁をさせての輿入れというから、ビックリ😲

 

それでもだめならと

秀吉は大政所である母親を送るという、ビックリ😲😲

 

これでダメなら天下の兵を集めて攻め入るですと

 

 

皆、数正の行動についてもう一度、語り合った

 

直政「正論ばかりでうっとうしく好きではないが

敬っていた…

本多忠勝、榊原康政、右に同じ

 

皆それぞれに人を慈しみ、戦なき世を描いていた

 

心打つ言葉が、いっぱい出て来ましたね

 

*於愛の方 「お方様の目指した戦なき世は

他の方が作ってはいけないのですか」

 

 

 

 

*本多忠勝 「秀吉に膝まづいたら、お方様に顔向けできん

この想いを捨ててまで生きようとはせん」

 

*酒井忠次 「出奔すれば戦をしたくてももう出来ん

数正はそれが徳川を守ることだと思ったのだろう」

 

*本多正信 「だから誰も巻き込むことなく自分ひとりで

罪を背負った」

 

*酒井忠次 「殿 お心を縛り付けていた鎖を

そろそろ解いてもよろしいのでは

己を苦しめなさるな」

 

家康 「わしは天下を取ることを諦めてもよいか

秀吉に膝まづいてもよいか」

涙ながらに言った

 

雨降って地固まる、皆の絆が深まったのではないですかあ~

 

 

 

さて、当の石川数正は

 

 

奥様の鍋さん 「のんびり出来て嬉しゅうございます

このような職にあうと分かっていながら

まことに殿がお好きでございますな」

 

 

数正 「しーーーっ  あほたあけ

 

一線を退いた夫が、家でのんびり、妻ものんびり~~

 

 

追記

ところで、家康のかつての側室お万の方が

人知れず?育てている家康との子

「於義丸・おぎまる」が登場しました

お万はいつか殿のお役に立つよう育てます

と言ってましたね、その時が来ました

 

それは秀吉が家康の息子を人質として差し出すよう命じた時で

 

於愛との息子は幼過ぎた

そこで、お万の子の名が上がった訳で

お万もその子も武士として死も覚悟の上だった

なんとけなげな

 

於義丸の側にと石川数正は我が子

「勝千代」を伴わせた

 

このふたりは、秀吉側に行きました

さて、この子たちの未来はどうだったのでしょうか

今まで数多くのドラマの上で聞いたことがないのです

なんとか、この戦ばかりの世を生き抜いてくださいね

 

 

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どうする家康 第32回小牧長久手の激闘

2023-08-27 17:11:04 | どうする家康

 

 

小牧長久手の戦い

 

天正12年(1584)3月~

 

徳川家康と織田信雄連合軍  VS  豊臣秀吉連合軍

 

それもこれも織田信長の死が発端となった

 

秀吉はこの流れを読んでいたというか、待っていたように思えます

 

織田信雄が秀吉討伐の協力を求めてきた

 

軍の拠点は

家康と信雄軍が小牧山城

秀吉軍はそこから一里半離れた楽田城

にらみ合いが数日続く

 

この戦い、両軍の兵の数の差が大変大きい

 

両軍動きが無く数日経っている

 

そこで、本多正信の提案

悪口作戦を仕掛ける

 

秀吉の悪口を書いた立札を市中のあちこちに立てた

 

今ならSNSで、拡散させるんでしょうね

速い、広がりが大きいなど効率がいいです

 

 

秀吉側の重臣が、小牧山城の動きを見て取った

それは、どうやら堀を彫っている様子だという

 

秀吉はまだ攻め込む気はない様だが

 

重臣が自信があると策を出してくる

それは、信長も良く実行した

「中入り」

という兵法

これは、一部の兵を使い敵の虚をつく

奇襲に驚いている間に相手を倒す

 

結局、秀吉は三万の兵にて岡崎城を落とす命を下した

秀吉にとって三万の兵は三分の一弱の数でしかないんですよね

すべてで十万!

 

ところが堀を掘ってるだけと思っていた

家康軍の兵が、目の前に構えている状態

 

秀吉軍にすれば、なぜ、いつの間にここまで来ている⁈

 

これが、家康軍の秘策であった

提案者:徳川家康

具体的設計者:榊原康政

 

堀を拡張していると見せかけ

城からの逃げ道、出口を突貫工事で仕上げていたのだ

 

大成功でした

これが長久手でのこと

 

重臣の森長司や池田恒興が討ち死にし

秀吉は退却した

 

家康も兵を引き、小牧山城に勝どきが上がった

 

ただ、石川数正ですが

 

 

元から、秀吉とは戦わず和議をと言っていた人ですよね

秀吉の小分けの軍を落としただけのことと

この先の秀吉の出方を案じています

これで戦いが終わる訳はない、と

秀吉の手強さに不安を感じているようです

 

小牧長久手の戦いで

「徳川四天王」としてクローズアップされた家臣

皆若手?ほぼ若手です

勢いがあって、戦いましょう派

 

* 本多忠勝

 

幾つもの戦に出るも、「かすり傷ひとつ受けたことはない!」

が、決まり文句

戦いも強いし、気も強い

殿によく食って掛かってますが

殿をとっても好きで信頼しているのです

あなたのためならどこまでも、です

 

 

* 榊原康政

 

本多忠勝に憧れ、家康家臣になったはず

その頃は軽くて生意気で令和に居てもフツーな感じ

事が起きるたび、次第に賢く誠実になって来ました

忠勝の武力には勝てないと、方針転換

家康家臣団に頭脳派で出ています、売れてます♪

 

 

* 井伊直政

 

つい最近まで万千代君だったのに

TV番組「歴史探偵」では

「家臣団のZ世代みたいな…」と仰ってましたよ

井伊の赤鬼と呼ばれ、赤備えの兵を牽くまでになりました

速い出世ですね

この俳優さん、青天を衝けでは徳川昭武役でしたね

「プリンス・トクガワ」と呼ばれていたそうですが

ほんとに、歩き方などとても上品さを感じました

 

 

最後のひとりは

Z世代まとめ役

 

*  酒井忠次

今は(さえもんのじょう)と殿から呼ばれてますね

 

四天王の中でZ世代ではないものの

「安定感」は抜群

この方なくしては、成り立たないかも

ここぞ、というところにはピシッと居ます

 

「えびすくい」

(Z世代にはおじさん芸と思われるかな)

柔、剛揃えて信頼できる方です

家康も格別の信頼を置いていると思います

先生のような父のような

 

殿に信頼され、Z世代には慕われ

最強の德川家臣

四天王の手綱をにぎって

 

さえもんのじょうさんはどこまでも、救いの神です!

いつまでも、えびすくってくださいね♬

 

あなたは、扇の要です

 

 

 

 

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どうする家康 第31回史上最大の決戦

2023-08-20 19:22:23 | どうする家康

 

 

 

 

柴田勝家を倒し、織田信雄を擁した秀吉

 

僧や侍が秀吉の所へ戦勝祝いの品を持ってあいさつに来る

 

家康も石川を名代として、挨拶に

祝いの品は(大名物)の「初花肩衝(はつはなかたつき)」という

生前信長から賜った茶器である

大名物:名のある茶道具で主に千利休の時代以前のもの

 

 

 

家康は秀吉に従う気はないが争う訳にもいかない

秀吉は、形だけかもしれないが織田家を立てている

 

 

戻って来た石川数正は秀吉と会い

得体のしれない、つかみどころのない者

と告げた

「城ができたら遊びに来てちょ~で~」

 

今までのドラマの秀吉の中で一番胡散臭い、

いや~な感じの秀吉像をムロツヨシさんが演じ切っておられる

 

 

信長の次男の織田信雄、秀吉に安土城から追い出された

憔悴し怒りも表す信雄

家康に泣きつく

「あの盗人から天下を取り戻してくれ」

 

そうなんですね、天下は今や秀吉の手中にあるのですね

 

家康は信雄の言うことを聞いていたが

「織田と徳川、何をおいても助け合う」

「並大抵のことではござらぬ、差し違える覚悟はおありでしょうや」

 

なんとも無理難題を持ち込む

駄々っ子のようでもあり

 

家康は考えた、じっくりと

 

年をまたいで天正十二年二月

秀吉攻めが動き出した

秀吉に通ずるものが居るやもしれず、調略を進めるのも

慎重を要する

 

*信雄が池田恒興を味方に付ける約束をした

*内通者三家老を信雄が殺害

*徳川軍、岡崎城に集結

 

あくまで、織田信雄さまの元の行動である!が言い分です

 

*家康側として参戦した人

佐々成政(越中)

長曾我部元親(四国)

雑賀衆(紀伊)

 

池田恒興が美濃を出て、尾張に攻め込もうとしている

*池田が信雄側を裏切った

*秀吉を包囲したはずが、秀吉の大軍(十万)がやって来た

 

*池田軍、尾張領の犬山城を攻め落とす

 

*森長司、楽田城に向かっているとは服部党の集めた情報

 

 

 

 

え~ここで家康の陣地の様子を中継

信雄さん、「なぜこんなことになったんじゃ」

と怯えている様子です

自分が取り付けた規約です

 

家康の喝が入りました

「総大将がうろたえるな、信長の息子じゃろう

しっかりせい!」

 

ベテランも若手も、自分が打って出ると言う中

酒井忠次(さえもんのじょう)が

 

「お主らの出番はまだ先じゃ」

皆にはねぎらいの言葉をかけ、戦場に向かった

池田軍を夜討ちにし足止めをする策略だ

これで、秀吉の大軍がくるまでの時間稼ぎが出来るという算段

 

 

家康軍の団結を感じます

ま、ひとり、本多正信さん、これ見よがしに膝をなで

出陣拒否です

秀吉に劣らぬ、得体のしれぬ人ですね

 

榊原康正が、殿に言った

「策を献じまする

兵を引かず秀吉を迎え討つは、小牧山城が良いかと

 

小牧山城は、古くなっていてこのままで戦はちょっと

というお城なんですね

 

 

「城に梁を巡らせ、二重の土塁と空堀を造ります」

家康「何日で出来る?」

康政「十日で…

家康「遅い、五日じゃ」

康政「は、やってごらんに見せます」

 

家康、ぱきぱきと指示を出してますね~、強くなりました

康政も間髪入れず、鮮やかな回答でした♪

 

家康軍は小牧城へと移りました

 

秀吉本軍、もう犬山城に着き、すぐに楽田城も制圧

この小高い所に陣を置くと、小牧山城が見渡せるのです

 

新しく防禦の堀などを造った小牧山城と秀吉が陣を置いた楽田城

 

その距離、一里半

 

家康 VS 秀吉

 

 

 

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どうする家康 第30回新たなる覇者

2023-08-13 15:00:55 | どうする家康

 

 

 

手前の賤ケ岳の頂上から北を見下ろすと余呉湖

反対に南を見下ろすと琵琶湖です

頂上から湖が二つ見えます

 

 

 

今回は「賤ケ岳」がドラマに出て来ました

地図で余呉町の南の端が余呉湖なんですがこれでは分かりませんね

申し訳ありません

 

 

 

信長の仇を討ったのは

羽柴秀吉だった

 

「中国大返し」と言われる驚異的な動き

毛利攻めをしていたさ中、知らせを聞いて京へ

それも毛利と和睦しておいてからの

三万の兵を連れてという、G難度級の大技

ひねってますね~

 

ん~、戦っていた相手と

そんなに簡単に和睦できるくらいの戦なら

始めからしなくてもいいのに、やっぱり領土拡大のためだったですか

 

 

信長亡き後の体制を話し合う「清須会議」が開かれた

既に、秀吉が先輩風吹かしてますけど

 

柴田勝家

羽柴秀吉

丹羽長秀

池田恒興

 

この四人の合議であって

家康は参加出来なかったのでしょうか

決定事項を承諾しただけとは何故かなあ~

家臣ではなかったのでしたっけ?

 

 

決定事項

1:亡き信忠の嫡男、三法師を当主とする

2:成長するまでは、家臣が

秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興が政を支える

 

 

なんと言っても、お市さんは立場が苦しくなったでしょうね

そして、柴田勝家と結婚

秀吉の動きに警戒してのことなのか

 

戦国時代に一番輝いた三姉妹、出て参りましたね

 

長女、浅井茶々(1569~1615)淀君とも

出身 小谷城(現長浜市にあり)

父 浅井長政 母 お市の方

 

茶々の表情から、心に闇を持ってるようです

 

父長政は伯父信長に攻められ自害

その後、あちこちで保護されのちに信長の岐阜城へ

本能寺の変の後、母は柴田勝家と再婚

越前北の庄城(現福井市)へ

義父勝家が秀吉との戦に敗れ,お市の方と勝家は自害

三姉妹、秀吉の保護下に

 

こんだけ、大人に振り回されれば、幼いこころは

絶対傷つきますよね

 

そして、三姉妹は強くなり歴史に残る三姉妹となりました

この先、「どうする家康」でも三人のことは取り上げられるでしょうね

どのように描かれるのか、そこが問題

 

 

伊賀越えのあと城に戻った家康ですが

本多忠勝が、怒っているのを家康は見て取りました

 

忠勝「出陣していれば明智の首を捕り、しいては天下もとれたはず

それをなんでもたもたしておられたか、知りたい」

 

相手が殿でもズバッといいますね、忠勝さん

 

家康「他に成すべきことがある、目下の難題は、隣国

甲斐、信濃、上野、旧武田領だ

この三国を北条より先に手に入れること

秀吉はお市様に任せてその間に

揺るぎない実力をつけよう、さすれば

天下も自ずと近づいてくる」

 

昔、窮地には必ず助けに参ります

というようなことを、お市さんに言ったその口で

お市様は秀吉に任せて徳川の実力アップに力を注ごうとは!

あかん、お市さん家康はあきません

真っ直ぐ!がありません

 

さて、本多正信も加わり、隣国を北条から奪取する話が進む

最中に、井伊直政に思いがけないことが

武田敗北の中から召し抱えた武田の兵を直政に預けると言う家康

 

直政は嬉しそうな表情、まだ幼さの残る顔

家康は、その中に光るものを見つけたんでしょうか

その兵の居る辺りは、井伊家と関わりのある所

直政に地の利があると、見込んだかもしれません

うんジモティ、地元ですから

井伊の赤備え、そのルーツは武田の赤備えだったのですね

 

関ケ原の合戦で直政率いる赤備えの兵多数

屏風図でよく見かけますが

これはもっと先に延ばしてもらって、直政の活躍を

たっぷり見せて下さいね、小沢良太さん♪

 

隣国三国、そこにはつわものがいます

上野の真田氏

相模の北条氏

 

家康は真田氏を抱え込んだ

続いて、北条氏が和睦を申し出るまでに追い詰めた

家康、強くなりました

それもこれも、信長に鍛えられた故、かな

 

しかし、そんな中、足元に火が付いた

羽柴秀吉 VS 柴田勝家

 

秀吉と織田信雄

勝家と織田信孝と三法師

このメンバーで始まった

秀吉が長浜城、さらに岐阜城を落とした

そして、決定的なのが

 

「賤ケ岳の合戦」

 

 

びわ湖八景の一つ「新雪賤ケ岳の大観」

今も冬は雪深い所です

 

 

琵琶湖の北側にある余呉湖

琵琶湖と余呉湖の間に賤ケ岳がある

そこにて柴田勝家は、能登の前田利家の裏切りを受け敗戦

越前の北の庄城へ撤退したが、秀吉に敗れた

 

勝家は、お市と共に自害、三姉妹は秀吉の元へと行きました

悲しい、三姉妹

秀吉のハラスメントがこわい

 

 

 

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どうする家康 第29回伊賀を越えろ!

2023-08-06 16:51:22 | どうする家康

 

信長が死んでしまった…

 

火に包まれた本能寺

 

信長はもうこの世にいない…

 

信長を死に追いやった明智が京を制圧した

 

次は家康を殺すと気色ばんだ顔

 

自分はえらい、強い、すごいと常軌を逸している

 

家康、逃げるしかない、三河へと

 

「伊賀を越えろ!」

 

あの~

すんません、替え歌をちょっと歌ってみました

 

♪伊賀越え

 

隠し切れない うさちゃんの香が

いつしかあなたに しみついた

誰かにモラレる くらいなら

あなたを殺して いいですか

 

逃げ出して 隠れ寺

小川城 御斎(おとぎ)峠 

舞い上がり 揺れ落ちる

山の向こうにあなた 寺が燃える

何があってももういいの

くらくら燃える火をくぐり

あなたと越えたい 伊賀越え”

 

 

家康の三大ピンチと称される「伊賀越え」を

こんな茶化していいのでしょうか

申し訳ありません

 

 

明智に家康の首と、差し出されたのは穴山梅雪のでした

 

梅雪が家康には、二手に別れ逃げましょうと告げたのは

覚悟の上のことだったのでしょうか

武田から離脱し、徳川の家臣となり

本能寺の変あとは上記のように徳川を離れ、逃げようとした

これをどうとればいいのでしょうか

 

 

≪木津川≫

 

京都から大坂湾へと流れる淀川水系の川ですが

子供の頃よく父、母、妹と水泳に行った所です

橋脚まで泳ごう!

何て言ってましたが、危なかったのではないかと今、思います ヒヤッ

 

家康一行は、木津川を渡ったんですね

他にメンバーは

服部半蔵、大鼠、本多忠勝、榊原康正、井伊直政

一行が越えようとしている峠は

伊賀と甲賀を分ける峠で、小川城辺りは、甲賀が根拠地で

非常に危ない所だった

 

石川数正は人目に付きやすい桜峠を

酒井忠次は信楽の近江路を

 

追っ手を欺こうと名乗り出たが、今生の別れを告げる者もいる

 

助っ人に多羅尾光俊という甲賀忍者の親分

家康が今までに戦の手伝いを頼んだことのある人物

でも、昔と今では家康の立場上、形勢不利なような

でも、家康は相手を信じて依頼した

ここが家康の優れたところですよね

なかなか信じられませんよね、この状況で

 

まだある

信長を恨む者がこの峠にはうようよしているという

信長の家来の家康は、果たしてどう?

 

結局、信じなかったと言える動きとなりました

朝を待たずにこそこそっと、多羅尾の陣地より抜け逃げた

 

が、OUT!

 

山中で「百地丹波」を頭領とする伊賀集団に牢に放り込まれた、あ~あ

 

憎き信長の首を捕った明智に家康の首を差し出すというのだ

 

ところが、危機一髪

家康はほんとに運の強い人だと思います

あの、三河一向一揆の時追い出した「本多正信」登場で

家康たちは助かった

 

本多正信は百地丹波のもとで、軍師として働いていたのですね、へえ~

でも、まだ眉唾もんですけど~

ま、牢から解かれたことに関してはありがたいですね♪

正信は、何か恩を感じていたのかもしれませんね

 

こうして、三手にわかれ逃亡していた家康一行は

落合地点「伊勢の白子浜」にたどり着いたのでした

そして最終目的地、岡崎城へゴール

 

 

三大ピンチ

三河一向一揆、22歳

三方ヶ原の戦い、31歳

伊賀越え、41歳

これらは、クリアしましたが

まだまだ、家康の人生ゲームは続きます

 

 

 

 

 

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どうする家康 第28回本能寺の変

2023-07-29 00:08:24 | どうする家康

ときは今あめが下知る五月かな
明智光秀

是非に及ばず
織田信長

始めから終わりまで信長でした

いい信長でした

岡田准一さん殺陣が見事でした




信長はもう自分の最期を感じているようで

火の海になった本能寺の中を
家康を探し回っている


最期の願い
殺されるなら家康にと


明智の手勢に寝室に入られ斬られた
その体で家康を呼び続ける


幼き頃、信長は父信秀に言われた
誰も信じるな
どうにもならないのなら
こいつになら殺されても悔いはない
友はそう思えるひとりだけだ


そのひとりを炎の中にさがしていた



信長を地獄、狼と思う家康

信長を討つ決心はしたが揺らぐ

そこへお市さん
兄の命乞いに来たのでしょうか

恨んでもやはり妹なんですね


さて、信長の敵討ちに出るのか
或は
国に帰るのか

選択に迫られました


家臣を危険にさらすことは出来ない
我が身の未熟と詫びていました



家臣達は言います
今はその時でないということです、と
家臣達に好かれているのですね



信長が明智光秀に討たれたと
堺の茶屋四郎次郎が伝えた

家康は三河に帰ることを決めた

皆の者
誰も死ぬな、生き延びるぞ


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どうする家康 第27回 安土城の決闘

2023-07-21 21:19:00 | どうする家康

 

 

突然ですが、漢字のこと

 

准:地位や資格の名称

潤:水がしみこむ、しめす、うるおう

 

そんな意味を持っているそうで、なんかドラマにぴったりな気がして

 

 

 

 

*鳴かぬなら鳴くまで待とう時鳥

これほんとですか

 

あと二句

*鳴かぬなら鳴かせて見しょう時鳥

*鳴かぬなら殺してしまえ時鳥

 

 

三句あります、さてどれにする家康

 

 

 

富士遊覧で信長のご機嫌が良くなりその場で

安土城での宴に招かれることが決まりました

 

 

信長をもてなしている家康の行動に

家臣一同、違和感でいっぱいでした

本多忠勝が本当の心を知りたいと殿に聞きただしますと

 

 

「信長を殺す、天下を取る」

 

 

家臣は家康のおかしな行動の奥の心が分かりました

反対派は?

実際、安土城に向かうとなると、あれこれ心配事ばかり

それでも、天正十年五月

安土城へ出立です

重臣たちはみんなお供して行きました

 

 

 

見たこともない凄さの天主閣に井伊直政も仰天

他の者も驚きを隠せません

 

 

御殿ではいくつものお膳が並ぶなんとも豪華な宴です

 

 

そして、明智光秀

宴の供応の大役です

お膳が進んで行き、メインディッシュでしょうか

「淀の鯉」

 

淀川はまず琵琶湖➡瀬田川➡宇治川➡淀川➡大坂湾

と流れてますので、多分、瀬田川流域で獲れた鯉かと思います

 

 

光秀は、自信をもって宴席の皆に勧めました

新鮮で一番いい鯉を使ったのだと思いますが

まさかまさか、こんなことが

 

 

家康が鯉の器を持ち、しきりに匂いをかぎ首をかしげる

信長が

「匂うならやめとけ」

 

 

明智が慌てて、匂う筈はない、高貴な料理で馴染みがないからと

弁解に走ったが、その選んだ言葉が更に

信長を怒らせてしまった

出て行けと怒鳴り、蹴り付け

その後は酒宴どころではなかったでしょうね

 

 

宴席を離れ、家康と家臣が話していたことに、私は

光秀が怒られたことよりも驚きました

 

 

なんと、鯉が匂う振りをしていたとは

酒井忠次が 「目論見通り」 と言いました

明智光秀をおとしいれたんです

これで明智を遠ざけた、とも言ってます

 

 

鳴かぬなら殺してしまえ時鳥

の状態ですよ

 

 

光秀 「我が不手際により大変ご無礼を

然るべき始末をしたうえで

腹を召す所存でございます」

 

家康「いやいやこの陽気で悪くなっていたんでしょう

お気になさいますな」

家康、軽いやん

 

 

德川方が信長を殺すためには

 

側近の光秀が邪魔だから信長から引き離したい

 

そういうことだったとは

 

光秀の伝言に有ったとおり、家康と信長は話し合った

かなり長い話でしたね、どんなこと言ってたかな

 

 

信長「おい、本当に匂ったのか」

家康「きびしすぎる、明智殿のご処分はほどほどに」 よう言うよね~

信長「甘すぎる、使えぬのは切り捨てよ」

家康「先に行って京で待っております」

信長「京で待ち伏せして、俺を討つつもりか、お前には無理」

信長「腹の内を見せなくなったな」

家康「我が妻と子の死をくだらんと言うか」

信長「これからなんじゃ、大変なのは

戦なき世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難

傍でおれを支えろ」

家康「私はあなたの真似をしたいとも思わん

弱ければこそ出来ることがあるんじゃ」

 

 

信長「おれは僅かな手勢を引いて京に向かう

おれの代わりをやる覚悟が本当にあるのなら

おれを討て

待っててやるぞ、やってみろ」

 

 

信長は子供の頃、尾張の那古野城で父信秀にいつも言われていた

「誰よりも強く賢くなれ

お主の周りの誰もが、敵ぞ

信じられるのは己ひとり」

 

 

信長は京に向かった

わずか百人の供の者と…

 

 

 

 

 

 

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