第6回 お江戸日本橋
ドラマ終わりのシーン
よかったですね~
美しい外灯とその光に照らし出された日本橋の石畳
それとレール?これは何ですか?人力車のための?
明治44年、それまでの木造のお江戸日本橋は石造りに変わりました
でも、この見事な橋の風景は、
昭和38年(1963)、この上に実に無粋な、高速道路がかかり、
お江戸日本橋は、暗い圧迫感の中に押し込められてしまいました
あれから55年、平成最後の年
高速道路を撤去し、昔の日本橋の姿に戻そうと計画が進んでいます♪
で、また明治の世に戻ってもらってと、
明治44年の夜の日本橋
オリンピックランナーにならんと、浅草から芝への道を
毎日駆け抜ける四三くん
ストックホルム大会のコースに似ている道だと、
播磨屋さん?車夫の清さん?が教えてくれたのでした
片や、落語家にならんと、橘家円喬の弟子となり
落語は足で覚えろ、と言われ、
人力車を曳きながらひとり、落語を一席伺う美濃部孝蔵くん
日本橋の上で、すれ違った…
その存在を、知ってか知らずか
お江戸日本橋を翔け抜けるふたりの青年
そのふたつの燃える魂は、真っ向からぶつかり、
夜空いっぱいの花となりました
ふたりのこれからを日本橋は、しかと見届けることと思います
とは言うたものの…
ま、ここまでの境地になるまでの四三くんには紆余曲折がありました
何と、オリンピックって何ですか?
知らんかったのね…
海外でマラソンに出る自信も持てなかったかも
他に、金銭問題がありました
なにしろ助教授たるお方の7~8年分の給料に匹敵する費用がかかる、
ストックホルムオリンピック大会
四三くん、行く行かない、嘉納先生たっての頼みでも、
二つ返事で受けることは出来ませんでした
負けたら切腹ですか?
生きて帰れんとですか?
四三くん、そぎゃんこつは、なかばってん
でも、ここはさすがに校長先生
弁舌は達者ですわ
理路整然たる嘉納先生、ここは柔軟路線で攻めました
四三くん、落ちました…
かいつまんで申しますと
嘉納体協会長のおことば
1、我が国の運動競技は欧米に比べ遅れを取っている
マラソンにその活路があると考える
2、学生が先頭に立ち国民の体育熱をあおるんだ
さすれば世界に通用するようになる
3、切腹せんでもいい、勝ってこいと言うのではない
最善を尽くせばいいんだ
*何事も最初はつらい
しかし誰かがその任務を負わねばならない
次の機会は4年後になってしまう
君しかおらんのだよ!
と四三に頭を下げた
「行きます」
四三は承諾してしまった
そのあと、だらだらとお金のことも付け加えた嘉納先生
なにそれ!
助教授の衝立裏からのサインも、なにそれ!
右も左も分らんような純朴な青年を
詐欺だわ
四三くん、だめだめ、ちゃんと体育協会に用意してもらって
ストックホルムに行ってね♪
スエーデン喰わぬは男の恥
って言うばってん
<m(__)m>