kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

佐野藤右衛門さん

2016-05-05 00:53:19 | 京都

 

今年も 「植藤造園」16代目、桜守りの佐野藤右衛門さんはお元気そうです

 

と言ってもテレビ番組でお見かけしただけですが

 

 

今までにも何度か聞いた言葉を今回も聞くことが出来ました

 

それは、

 

『 桜は花の時だけでなく、一年を通してみてほしい。

どれか自分の好きな桜を決めて、よく通る道で見る桜でもかまわんから

葉の時、葉も散る時など見てほしい 』

 

ということです

 

この番組に、小さなお皿を持って来られました

それは素朴な感じですが、そこに焼き付けられた色は

桜の枝を燃やして出来た灰を使って作ったそうです

やわ~い、素朴な桜色でした

灰を利用して焼くとあんな色になるなんて、驚きでした

(灰をつけるのか、灰汁をつけるのか聞き漏らしました)

藤右衛門さんは桜を最後の最後まで無駄なく使いたかったので

とおっしゃってました

 

思えば、桜は、花の塩漬け、葉は桜餅を包む葉に、

また木は茶筒など木工品、桜チップ、布の染色にと

様々に使われていました

最後の灰も生きた使い道があったのですね

 

藤右衛門さんの庭が広沢の池の近くにあります

数年行ってませんが、桜の様々な種類が揃っています

 

まだ若い桜や、見事な花を付けてる大木までいっぱい!

 

桜の季節には、庭には篝火が焚かれ、お邸の横の通路に

緋毛氈の敷かれた床几が置かれ、一服することが出来ます

お邸も風情のある古民家風です

 

桜は木の傍まで行って見て、触れて鑑賞することが出来ます

 

あ、もうひとつ興味深いことを聞きました

桜は咲いているうちは虫がつかないが、咲き終わると

毛虫がつき始める…

 

そろそろ桜の木の下は注意しないと。

 

今年は一年を通して観察する「オンリーワン」を見つけようかな

 

 

 

2010年に行った時の記事3本にリンクします ↓ よろしければ

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/578654b850bb51d017241057320a3a12

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/d6539bd790198bf33bde9ffa67c29220

 

http://blog.goo.ne.jp/7u6n4c1h4a9n7/e/ec252917d277bb3e4e2b8bf825b68704

 

 

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妙心寺のお坊さん

2016-05-03 15:21:26 | 京都

 

妙心寺の、雲水(禅宗の修行僧)

 

どこへ行っておられたのか、夕方お寺の外から帰ってこられた姿を

見かけることが出来ました

 

子供の頃、寒の入りになるとこの出で立ち(ほぼ)で歩いてこられたものです

数人まとまって来られますが程よい距離をおいて

 

頭にはあじろ傘をかぶって 

足もとは、足袋は履いてない、裸足だった様に思います

 

 

 

『お~~~~~え、お~~~~~え』

という声に聞こえていたのですが、どうやらほんとは

 

『ほーーーーー(法)ほーーーーー(法)』

らしいです

 

自分の家の前を通られるのを見計らって、小銭を持って待ちます

そして、アイコンタクト

立ち止まって下さると、お互いにおじぎを

お坊さんは、首に下げた頭陀袋を両手でうやうやしく

お盆代わりのように、お布施(小銭です)を受け止められます

 

その目の前に広げられた頭陀袋は藍色の袋に白抜きで

「妙心寺…」

と書いてあったと思います 

 

この袋ですがお坊さんは「看板袋」と呼ばれているそうです

 

お坊さんと向き合っている時はドキドキするのであまり詳しく覚えてないのですが

少し、お経を唱えられ、再びおじぎをして立ち去れます

 

最近は、雲水の成りすましがあるらしいですが

見分け方は

頭陀袋にはお寺の名前が入っている

入ってない場合は「僧林同盟」から出ている証明書を持っていること

雲水自ら、各家の玄関に立ち止まり托鉢することはない

また、通りにじっと立って托鉢することもない

数人で行に出る

という点だそうです

 

 

法堂(重要文化財)

明暦2年(1656)建造で重要な儀式の行われるところです

天井には狩野探幽の「雲龍図」があります

今まで見た雲龍図の中で一番大きかったです

 

妙心寺鐘(黄鐘調鐘)が納められています

もう吊り下げず台の上に置いてあり、鐘の音は録音されたものを

流していました

黄鐘調鐘 (妙心寺鐘) (国宝)

文武天皇2年(698)

今は、この鐘楼にはなく、隣の法堂に納められています

 

この鐘は、徒然草にある 「およそ鐘のこえは黄鐘調なるべし…

浄金剛院の鐘の声また黄鐘調」  の鐘でして、

もとは浄金剛院にあったものです

 

仏殿

 

 三門

 

浴室(明智風呂) (重要文化財)

天正15年(1587) 密宗和尚が明智光秀の菩提を弔うため創建しました

浴槽(蒸し風呂)、洗い場、休息室、竃室があります

 

 

北総門から南総門へ抜けようとしてますが広くてなかなか着きませんでした。

 

またお坊さんの会いました

今度は修行中ではなく、何かの行事があったような

 

 

土塀に白線が五本入っていますが、門跡寺院だという印です

 

 

 南総門

京都の花園にいた頃はよく見た門です

妙心寺の北側と南側ではかなり離れていて、私は

北総門は見慣れてないのです

拝観するのも初めてでした

まだまだ知らないお寺がいっぱいです

 

妙心寺近辺に、

こんなおうちを見ました

そう言えば、この辺りの地名は「花園」 でした

 

 

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京都散策

2016-04-30 12:30:40 | 京都

 

4月の初めにきぬかけの道を歩いて、

 

龍安寺~堂本美術館~仁和寺~妙心寺

 

と行ってきましたが、龍安寺と仁和寺しかアップ出来てません

 (べつに見たくない?)

 

 眠くなる前に、ひとつアップしよう~

(とは言ったものの、寝落ちして今になりました)

 

まずは、

 

≪ 堂本印象美術館 ≫

 

 

昭和41年に出来ました

 

なんとも個性的な建物です、一度見たら忘れられません

 

内装外装ともにデザインは堂本印象さんです

  

 

 

 摩訶不思議

 

真ん中のマスクは、印象さんのお母さんをモデルにされました

 

屋根に、 何でしょうか?

 

私にはタコに見えるのですが…すみません

 

 このパネルはドアの外側の取っ手です

ご本人の象徴的なデザインです

 

本来、日本画家とのことなのに、美術館の内外ともに

抽象的なものでいっぱいでした。

 

また、館内にはゆったりとしたスロープがあるのですが

まだバリアフリーをやかましく言わなかった時代から

印象さんが高齢の母のためにと設計されたそうです

 

美術館に母への想いをいっぱい詰め込まれたのですね

 

 

前庭にあったベンチ、これも印象さん作です

 

この日は甥にあたる「堂本元次」展が企画されていました

 

『 絵というものは構図(造型性)と色のバランスが完全に

均衡を保っている状態でなければ、生きた作品とはいえない 』

 

この様な言葉を残されています

 

( 俳句で言えば、どのような言葉を如何にバランスよく組立てるか

ということでしょうか )

 

堂本元次は、壮絶な戦争体験を持ち、

 

『 再び生きて帰れる望みも薄い戦地に赴きましたが、

もし生きて帰れるなら、

両眼と右手だけは決して失いたくないと強く思っていました 』

と言っていたそうです

 

また、広島では被爆し死線をさまよいながらも描きたいと強く思っていました

 

こんな戦争体験を持ちながらも絵に表現することはありませんでした 

 

元次にとっての創作の原動力は「喜び・感動」であり、

その中に戦争はかなかったという事でしょうか

 

元次の芸術に一貫して流れているのは

「静かで精神的な世界の追及」

 

展示されていた作品は油絵だそうですが、水彩画のようで

爽やかで、静かさを感じました 

 

この日、案内をして下さったのは身内の方で、

それはそれは、印象さんや元次さんへの愛を感じるお話でした

 

子供の頃接した叔父、印象さんの事を話される時は、

大好きなおじさんを懐かしんでおられるようでした。

身内の方だからこそのお話だなあと思いました

 

私は画才もこれまた、ありませんが素晴らしい絵の数々を

久しぶりに見れて、よかったです

美術館はなかなか敷居が高くて、

 

 

さて、この後は立命館大学で!

 

なんと!

 

学食で!

 

お昼ごはんです

 

こんな体験めったに出来ません!

 

何しろ、大学の校内に入ったのは節分に、吉田神社にお参りした際

チラッと外観を見ただけなので… 

 

 

いきなりドアップで (^_^;)

 

ハンバーグシチューと大学いもとサラダとおひたしだったかな

 

なんとこれで、484円ポッキリ

 

安いですね~ 

 

メニューはとても多いのですよ~

 

と、食事の話だけで終わってはいけません

 

 

校門です、印象美術館前から撮りました

 

このグリーンの広がってる辺りは以前はグラウンドだったと

知人が教えてくれました 

 

 時計がシンボルになってるのかな

 

建築なったばかりのピッカピカのキャンパス内施設、多分図書館 

コーヒーショップ、〇リーズがあるのは分かったのですが… 

 

法学部基本棟、ここの中に入ります

 

故末川博名誉総長の言葉

 

法というのは社会悪と戦う武器ということでしょうか

 

学食です

 

12時前で学生さんはチラホラ 

 

本屋さんです、教科書、辞典などがいっぱい平積みで

 

このビラは、催事の案内や勧誘だったかな

新入生は、クラブ決まったかな

 

折りしも、桜の季節であちこちの桜の木が満開でした

 

私の知人はここで学び関東に戻りました

京都に来てもなかなか母校に立ち寄る時間がないそうで、

写真いっぱい載せました

見てくれるかなあ~

 

もうすぐ5月、新入生も新しい生活に馴染んできた頃でしょうか

 

青春ですね~

 

 

 

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京都駅にて、アクアファンタジー

2016-04-21 18:19:34 | 京都

 

京都駅で、噴水見ました

 

 

 

 

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龍安寺~石庭

2016-04-20 19:36:38 | 京都

 

きぬかけの道を歩いた日、龍安寺にも行きました

 

 

大雲山龍安寺

臨済宗妙心寺派

 

元は徳大寺氏の山荘だったものを、

宝徳2年(1450) 官僚細川勝元が譲り受け創建しました

開山は、妙心寺の義天玄承禅師

 

「石庭」   

 

十五個の石を配してあるものの、十五すべてをひと目で見るのは難しく、

 

なぜ見えにくい様にしてあるのか、

 

「満つれば欠くる」

 

「15」を完全なものとすると、完全は決して良い事ではない

 

という考え方です

 

人間は、完成し満たされるより、

 

未完のところから、完成へ近づこうと一生懸命励んでいる事を良し、とする

 

だから、敢えてすべての石を見尽くしにくい様にしてあるとも言いますが

 

この石庭の意味するものは、謎に包まれています

 

 

この庭は優れた禅僧達によって造られたと伝わります

 

石庭を囲む土塀は、なたね油が土に混ぜてあり、

 

それ故、油が変化するに連れ塀の色を変えてきました

 

 

 

皆さん熱心に鑑賞されていました

外国の方も、修学旅行の女学生も 

 

 

 

水戸光圀公の寄進といわれる「つくばい」 

 

茶室「蔵六庵」の露地にある、蹲踞(つくばい)

 

「つくばい」

茶道の習わしで、客人が這いつくばるように手を清めたのが始まりである

茶事を行うための茶室という特別な空間に向かうための結界としても作用する


と、Wikipediaにありました

 

(パンフレットより)

 

 

中心の 「口」 を四文字が共用していて、

 

『 吾唯足知 』 

ワレ タダ タルコトヲ シル

 

となり、禅の格言を謎解きに図案化された、つくばい

 

「佛遺教経・ぶつゆいきょうぎょう」

お釈迦様の遺言のお経の中にある教えからとったもので、

禅の真髄であり、茶道の精神でもあるという

 

「知足のものは貧しといえども富めり、不知足のものは富めりといえども貧し」


こうして拝観していると、禅問答の様ですが、

心安らぐ光景も見ることが出来ました

 

鏡容池

 

平安時代には貴族が舟遊びをしたり、またおしどりの名所でもありました

 

江戸時代の「都名所図会」にも紹介されていました

その頃は、「石庭」よりも、回遊式庭園である「鏡容池」のほうが

有名だったようです

 

 都名所図会(江戸時代)

 

 

 鏡容池

 

 

 

 

しがらみに寄りてからまる花筏 

 

 庫裡

階段の左端の竹垣は 「龍安寺垣」 と呼ばれる

 

方丈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 石庭の外側 「油土塀」 

 

 

 湯豆腐、看板だけ見て、スルー 

 

 

 

山門より入り山門より出ました

 

境内はとても広く、沢山歩いたので疲れた人もちらほら…

 

”  花疲れ一万五千歩靴を脱ぐ  ”

 

 

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御室仁和寺

2016-04-13 00:03:45 | 京都

 

土曜日は、京都市北区のお寺に行ってきました

 

毎月恒例のシニアのためのカルチャークラブで、遠足です

京都、きぬかけの道をブラタモリならぬ、ブラシニアしました

 

あの~最後のまとめで言うほうがいいと思うのですが、

早く言いたくて、言いたくて、

 

と大風呂敷をまた広げてしまいました

 

 

シニアクラブのメンバーに、かれこれ80歳くらいの男性がいらっしゃいます。

多分、クラブ内での一番のご高齢と思います

 

この方、腰が曲がっていて、一歩踏み出されると、30cmくらい進まれます。

 

この方、歩き切られました

 

その行程

JR京都駅~バス~堂本美術館~立命館大学

 

~龍安寺~仁和寺~妙心寺~JR花園駅

 

休憩時間もあまりなかったけど

 

すごい

 

感激でした。

 

 

そんな中、例のごとく迷カメラマンは張り切りましたが

 

案の定…

 

ピントと構図が大事なのですね…

 

  

ひるむことなく、御室仁和寺の様子をお送りします

 

仁和寺は真言宗御室派の総本山で

明治維新まで皇子、皇族が仁和寺の門跡(住職)となったお寺です

 

 

 

仁和寺二王門 (重要文化財) 

 

江戸時代(1644年頃)完成

純和様で創建当時(888年頃)の姿を復元しています

この門は境内側から撮りました

 

 

正面の仁王像(啞像)

 

(吽像)

 

 

桜は満開で、人出も最高だったと思います

 

 

五重塔 (重要文化財) 

 

さて、京都には五重塔はいくつあるでしょうか?

答えの前に、次の建物を

 

金堂 (国宝) 本堂

本尊 阿弥陀三尊像(国宝)

 

仁和寺は、応仁の乱で堂塔伽藍のほとんどを焼失

慶長時代の御所紫宸殿を寛永年間にここに移す

現存最古の宮殿建築を伝える紫宸殿の遺構

 

 

中門 (重要文化財)  1641年から数年の間に建立

 

 

中門の 持国天(東方天)

 

同じく、多聞天(西方天)

 

 

列をなして桜の園に 

 

 

 

 

 

ここ御室の桜は、遅咲きで、背丈が低く、根元から枝を張り花が咲く

珍しい桜です

 

 

 

 

 

 

 

 ” わたしゃお多福御室の桜 はなは低とも人は好く ”

 

という俗謡があり、私も子供の頃から聞いていました

 

御室の桜は木の丈が低いのと、お多福は鼻が低いのを

掛けて歌われたものです

なんて、説明は要りませんね 

 

 

江戸時代初期にはすでにこの場所に植えられて、中期には桜の名所として

有名になっていたようです

 

その頃の 「都名所図会」 に描かれています

 

 

山桜

 

染井吉野

 

さて、京都の五重塔はいくつある?ですが、

 

教王護国寺(東寺) 1644年 54.84m   国宝

醍醐寺 952年 37.44m  国宝

法観寺(八坂の塔) 1440年 36.40m  重文

仁和寺 1637年 32.70m  重文

海住山寺 1214年 17.70m  国宝  (府下相楽郡)

と、市内4か所、府下に1か所あります

 

御室仁和寺、何十年ぶりになりますか、

記憶していたお寺の様子とは打って変わって

参拝者も多く、華やかな雰囲気でした

どうもどこのお寺も、昔に比べ賑やかになっているようです

「龍安寺」 もこの日行きましたが、同様に大勢の参拝者でした

 

 

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泉涌寺の塔頭、今熊野観音

2016-03-29 12:18:34 | 京都

 

泉涌寺を参拝したあと、その境内の塔頭のひとつ、

 

「今熊野観音」 を参拝しました

 

鳥居橋

泉涌寺参道を外れて今熊野観音寺に入ると、

「鳥居橋(とりいばし)」 の赤色が目に飛び込んできました。

観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる今熊野川に架かる橋です



 

 子護弘法大師

 

鳥居橋を渡り境内に入ってすぐです

子供達を護り育む弘法大師像が立っています



本堂 と 医聖堂(山中の多宝塔)

 

ここは西国三十三か所霊場の十五番目にあたります。

 

 

omaedachi.jpg(22178 byte)

 

本尊は、十一面観音 (参考写真です)

弘法大師作と伝わります

 

ずっと厨子の中におられるので、見ることは出来ません

 

多宝塔の「医聖堂」 

は医と宗教が手を携えて明るく健康な世界が築かれる様に

との願いのもと、建立されました

 

 

もうなんとありがたい

ぼけ封じ観音 の御朱印

頂きました

御利益ありますように

 

 

境内には

  

 

軍歌「同期の櫻」

まさにそのままです。

陸軍飛行学校出身で、出撃し戦場に散った兵士、

また、復員し戦後の日本の復興を担い天命を全うした戦友の御霊のために

植えられた、枝垂桜です

 

もう今頃は咲き始めているでしょうね

 

 

 

参道を歩いていると、ふきのとうが、

だいぶ背丈が伸びてました

 

 

 

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泉涌寺~涅槃会

2016-03-24 16:09:34 | 京都

 

 

 

泉涌寺涅槃会

 

 

 

大門(だいもん) 重要文化財

 

 

先日、行ってきました

 

 

仏殿(重要文化財)

 

天皇家ゆかりのお寺なので

 

御寺泉涌寺(みてらせんにゅうじ) 

 

 

堂内撮影禁止で外からわずかに涅槃図が見えます

 

 

 

「涅槃会・ねはんえ」 は

約2500年前の旧暦2月15日、お釈迦さんが80歳で生涯を終えられた日に

法要を行うものです

 

「涅槃・ねはん」とは人の場合の「死別」と区別するものです

 

新暦3月15日、仏殿内正面に涅槃図が掲げられ

多くの僧によって遺教経(ゆいきょうぎょう)が唱えられます

 

遺教経はお釈迦さんの最後の説法とのことです

 

涅槃図は縦16mx横8mで、日本最大級のものです

 

北に枕を、西向き(西方浄土の方角)に横たわるお釈迦さんの姿は

悟りの世界を表しています

 

沙羅双樹の木が季節外れの花を咲かせ、

その花びらがお釈迦さんを覆ったとか

 

涅槃図では、お弟子さん、天女、十二支、昆虫等、生きとし生けるものが

別れを悲しんでいます

 

 

 

 

仏殿より出てこられたお坊さん 

 

この法衣は…

皆さん、一緒です…

 

高僧もいらっしゃるはずなのに

 

お釈迦さんに対する敬意からかな?

 

 

浴室

 

 

舎利殿

 

 

 

 

勅使門

 

奥には御車寄せがかすかに見えます

その奥が御座所、中には入れたのですが、全貌が写せてません

 

 

御座所の庭園

これは一部分です、左右に広がりがあるのですが 

 

 

 

霊明殿(れいめいでん)

 

霊明殿、入ることは出来ません 

 

 

月輪陵

 

数十年前に訪れた時はこの門あったかなあ~?

向こうの御陵が見れたと思うのですが…

 

記憶が曖昧になってしまいました

 

 

「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」

清少納言の歌碑がありました

この歌は、百人一首にもある有名な歌ですね


著名歌人の清原元輔(亡き父)の山荘がこの地、東山月輪辺りにあり

清少納言も晩年、この辺りに住んだと言われています


 

泉涌水屋形(せんにゅうすいやかた)

泉涌寺の名の由来となった清泉を覆う屋形

 

今は少し水量が減ってるのかなと思いましたが、

中は神秘さを感じました

 

東山の麓は湧水が多いと聞いてますが、こちらもそうなのですね

 

泉涌寺には、まだまだ境内に沢山の塔頭があり、まだまだ歩きます

 

 

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三十三間堂 2

2016-03-07 15:33:47 | 京都

 

3月3日に行った、三十三間堂の 「春桃会・もものほうえ」

 

 

 

 

ここは、初春の通し矢で有名な所…

と、コメント頂きました、ありがとうございます

 

この門をくぐり、左に行きますと

 

 

 

ここが、行われるところです

 

通し矢

昔は本堂の廊下、全長約122m、廊下の幅約2.4m

その空間を射通してました


現在は成人を祝う 「大的大会・おおまとだいかい」 として行われていますが

三十三間堂の廊下ではなく西側の庭で行われており、

弓道の遠的競技と同じ60mで実施されています。

 

ルールは制限時間2分で2本を射て、2本とも的に当たれば予選通過、

決勝は外した者が脱落していき、最後まで的中した選手が優勝となる。


女性が着物に袴姿で矢を射る光景を見ると、

ああ、私も通し矢してみたいなあ~と思います


参加資格が、弓道初段以上で、新成人


はい!アウト!

初めっから分かってますけど…

 

 

 

境内には、いろんな花が咲いていました

 

悲しいかな、名前が分からないのですが…

どなたか、教えて頂ければ幸いです

 

 

これは立札がありました 「河津桜」

 

椿、

と大雑把には分かるのですが…

 

こういう花なのか、枯れてきてるのか?

 

 

通し矢場に入る門の横にあったのですが、

大きな木でした

やっぱり桜の仲間でしょうか?

 

 

 

紅梅

 

 

白梅

 

 

しまそだちさんの所で見た金縷梅(まんさく)に似てるけど、こんな枯葉は

なかったですよね?

 

 

ボケの花?

 

 

馬酔木?

 

餅花(笑)

 

春でした

 

 

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京都三十三間堂

2016-03-05 02:11:34 | 京都

 

しょうぐうさん

 

比叡山に住んでいて、好きな食べ物は湯葉とそばだという情報が入りました

 

天台宗伝教大師最澄の「一隅を照らす」という精神の運動のキャラクターです

 

可愛いいゆるきゃらさんに会えました

 

 

3月3日、京都三十三間堂

もものほうえ 『春桃会』 に行ってきました

 

三十三間堂なので3月3日だそうです

 

この日だけ拝観は無料! ラッキー!

それから、瀬戸内寂聴さんの法話がありました。

 

 

入院されてる時の事や、親交の深かった作家の方の事とか、

最後は観衆の質問を求められたり、

93歳とおっしゃったと思うのですが、お元気でした。

すごいなあ~と思いました。

 

 

三十三間堂は、何十年ぶりでしたでしょうか

ズラーッと並んだ千体の仏像、やっぱりすごいです

 

お堂の中は、撮影厳禁でしたので、パンフレットから写真を、

 

パンフレットの表紙

千体千手観音と二十八部衆の中の一体、五部浄居天(ごぶじょうごてん)

五部浄居天さん、何だか変身のポーズみたいです

後ろは、仏像千体だけに、 戦隊もの… (^_^;)


千体千手観音

 

ふと、このお顔は誰かに似てる…

と思えます

 

私は誰に会えたかと言いますと~

 

IKKOさん(^_^;) 元仕事場の同僚(^^♪

 

そして、母

 

皆さんも、逢いたい人に会えるかも…

 

千分の一の確率です

 

 

 

お堂の中央には、 中尊丈六千手観音座像  ↑

 

 

風神、雷神像

 

 

↑ 密遮金剛像 (みっしゃこんごうぞう)  那羅延堅固像 (ならえんけんごぞう) ↑

 

主な仏像だけでしたが…パンフレットから

 

拝観して、寂聴さんの法話を聞いて

 

おなかも少し減って

雛うどん、おいしかったです

 

めずらしい、一味が用意してありました

 

境内を見て回りました

 

 

法話も終わり、人が帰りだしています

 

南北に118.2m、幅16.4m

 

三十三間堂という名前は、内陣の柱の間数が三十三あるからです

正式には 「蓮華王院本堂」

 

ここは近くにある 「妙法院」 の仏堂にあたります。

妙法院が所有、管理しています

 

創建は平安時代で、当時は後白河上皇の離宮 「法住寺殿・ほうじゅうじでん」

の一角にありました

 

桃山時代には豊臣秀吉の建立した 「方広寺(東山大仏)」 に吸収されました

その時には、土塀や門なども整備されました

 

あまりに長くて、お堂はカメラに収まり切りません

 

お堂の中央です

法話が終わり、片付けが始まってます

 

東大門

 

正門かと思います

 

 

門と門の間は回廊が結びます

 

 

だいぶ静けさを取り戻しました

 

真夜中にアップしてるのですが、

ダメです、眠たいです

この後はまた明日にします

 

 

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