kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

岡崎城

2017-05-14 00:38:57 | おんな城主直虎

 

 

4月28日、浜松ツアーにはここも含まれていました。

ほんと、周り過ぎ

 

岡崎城 

 

 

 

 この2本の松は、門松が大きくなったん?

 

と、素人は思うのであります(^_^;)

 

 

なんとか松を除けたい!

と、接近して撮りました

 

 

徳川家康の銅像

 

天守閣の周囲は岡崎公園として、自由に入ることが出来ました。

 

大手門

 

ここから先は、またいつか来れる事を願います。

 

 

 

「わが命旦夕(タンセキ)に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し

 

されども将軍の政道その理にかなはず億兆の民、艱難(カンナン)することもあらんには

 

たれにても其の任に変らるべし

 

天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり

 

たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして

 

万人その仁恵を蒙(コウム)らばもとより

 

家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし 元和二年」

 

という石碑が天守の前にありました。

 

 

 岡崎公園を歩いていると、天守閣を囲むように、

この様に谷を成す所や、古い石垣が何か所かありました。

 

 

 

昨年の「大河ドラマ・真田丸」で、散々出て来た「空堀」ではないでしょうか?

 

真田信繫(幸村)が真田丸を築いたのは慶長19年(1614)

 岡崎城は、享禄4年(1531)に

松平清康(家康の祖父)が、この地に移築しました。

 

築城と同時にこの堀を掘ったのなら、こちらが早いことになりますね。

 

 

風呂谷という名前の、曲輪(くるわ)の跡

 

曲輪

城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称で郭とも書きます。

 

大切な曲輪内には、これらが整備されます。

 

*虎口(曲輪の出入り口)

*虎口を封鎖する門

*最前線の塀

*物見や攻撃を与える櫓


主たる曲輪は、

*司令本部となる城主の居所

*兵糧を備蓄する蔵

*兵たちの食事を仕込む台所


曲輪この様な施設を備えていたのですね。

 

いつの世も、最前線を任される者は、大変ですね。 

 

 

 

 

 

 岡崎城の見取り図

 

守りの固いお城だったのでしょうね。

 

桶狭間の合戦の時、

今川義元が討死し岡崎城が空っぽ同然になったその隙に、

この岡崎城に入り、今川に反旗を翻したのが 「松平元康」

「NHK大河・おんな城主直虎」 でその話ありました。

 

今、井伊家、直虎にとって脅威は、今川だけでなく、武田、

そして、松平。

 

下手をすると、直虎が巻き込まれてしまう。

と、小野政次は直虎を憂いその気持ちは直虎にも通ずるようになった。

 

そんなところで、第18回 「あるいは裏切りという名の鶴」

 

あるいは献身という名の鶴

 

見守ります。

 

 

添乗員さんの案内からして岡崎公園では、藤棚の鑑賞がイチオシだった様です。

入城の時間の設定は、はなからしてないです(^_^;)

 

その藤棚、少し時期が早かったのか、まだ花房は短かったです。

 

 

 

 

甘い匂いに誘われてか、蜂が飛んでいまして、

鑑賞もそこそこに、藤棚を離れました。

 

それでも、集合時間ギリギリで、忙しいツアーです。

 

と言いつつ、この先のツアーまた申し込んだりして(^_^;)

 

ひとりで行けばこれだけこなせませんものね。

お世話になりました

 

 


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2 コメント

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岡崎城 (しまそだち)
2017-05-14 17:08:14
お城って良いですね
どちらのお城も見惚れてしまいます
家康さんの遺言、 なんかリンカーンのと相通じるものが
あるように感じました

家康さんの最初の奥さん 築山殿と嫡男(?)の壮絶なお話が ありますね
ちなみに、直虎は築山殿の従姪となるそうです

藤の周囲には クマバチが、多いですね
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築山殿 (koh)
2017-05-15 12:56:53
コメントありがとうございます。
織田信長の命で、家康は正室と嫡男を討った。
この位しか知らないのですが(^_^;)

大河「おんな城主直虎」に出て来ます。
築山殿は「瀬名」と言う名前で、松平元康(家康)と同じ屋根の下で(イマガワ家)暮らし、
のちに正室となった、その辺りを描いていました。

恐妻だった様に描かれています。
でも、家康の我慢強さに何かを感じてもいました。

直虎の大叔母、佐名さんの娘が瀬名(ツキヤマ殿)なのですね。
佐名と南渓和尚は井伊直平の子供。
直平は直虎の曽祖父、
直虎と瀬名は、今川館で、少女時代にあったと設定されています。
その頃から瀬名は気の強い女の子でした。

今川傘下の井伊は、いよいよ織田、武田、上杉、松平と
あれこれ、こじれて行きそうな…、ドラマはそんなところに来ています。

クマバチ、確か、黒くてコロンとしてたと思います。
蜂はイヤです
痛いですよね
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