4月28日、浜松ツアーにはここも含まれていました。
ほんと、周り過ぎ
岡崎城
この2本の松は、門松が大きくなったん?
と、素人は思うのであります(^_^;)
なんとか松を除けたい!
と、接近して撮りました
徳川家康の銅像
天守閣の周囲は岡崎公園として、自由に入ることが出来ました。
大手門
ここから先は、またいつか来れる事を願います。
「わが命旦夕(タンセキ)に迫るといへども将軍斯くおはしませば天下のこと心安し
されども将軍の政道その理にかなはず億兆の民、艱難(カンナン)することもあらんには
たれにても其の任に変らるべし
天下は一人の天下に非ず天下は天下の天下なり
たとへ他人天下の政勢をとりたりとも四海安穏にして
万人その仁恵を蒙(コウム)らばもとより
家康が本意にしていささかもうらみに思うことなし 元和二年」
という石碑が天守の前にありました。
岡崎公園を歩いていると、天守閣を囲むように、
この様に谷を成す所や、古い石垣が何か所かありました。
昨年の「大河ドラマ・真田丸」で、散々出て来た「空堀」ではないでしょうか?
真田信繫(幸村)が真田丸を築いたのは慶長19年(1614)
岡崎城は、享禄4年(1531)に
松平清康(家康の祖父)が、この地に移築しました。
築城と同時にこの堀を掘ったのなら、こちらが早いことになりますね。
風呂谷という名前の、曲輪(くるわ)の跡
曲輪
城の内外を土塁、石垣、堀などで区画した区域の名称で郭とも書きます。
大切な曲輪内には、これらが整備されます。
*虎口(曲輪の出入り口)
*虎口を封鎖する門
*最前線の塀
*物見や攻撃を与える櫓
主たる曲輪は、
*司令本部となる城主の居所
*兵糧を備蓄する蔵
*兵たちの食事を仕込む台所
曲輪この様な施設を備えていたのですね。
いつの世も、最前線を任される者は、大変ですね。
岡崎城の見取り図
守りの固いお城だったのでしょうね。
桶狭間の合戦の時、
今川義元が討死し岡崎城が空っぽ同然になったその隙に、
この岡崎城に入り、今川に反旗を翻したのが 「松平元康」
「NHK大河・おんな城主直虎」 でその話ありました。
今、井伊家、直虎にとって脅威は、今川だけでなく、武田、
そして、松平。
下手をすると、直虎が巻き込まれてしまう。
と、小野政次は直虎を憂いその気持ちは直虎にも通ずるようになった。
そんなところで、第18回 「あるいは裏切りという名の鶴」
あるいは献身という名の鶴
見守ります。
添乗員さんの案内からして岡崎公園では、藤棚の鑑賞がイチオシだった様です。
入城の時間の設定は、はなからしてないです(^_^;)
その藤棚、少し時期が早かったのか、まだ花房は短かったです。
甘い匂いに誘われてか、蜂が飛んでいまして、
鑑賞もそこそこに、藤棚を離れました。
それでも、集合時間ギリギリで、忙しいツアーです。
と言いつつ、この先のツアーまた申し込んだりして(^_^;)
ひとりで行けばこれだけこなせませんものね。
お世話になりました
どちらのお城も見惚れてしまいます
家康さんの遺言、 なんかリンカーンのと相通じるものが
あるように感じました
家康さんの最初の奥さん 築山殿と嫡男(?)の壮絶なお話が ありますね
ちなみに、直虎は築山殿の従姪となるそうです
藤の周囲には クマバチが、多いですね
織田信長の命で、家康は正室と嫡男を討った。
この位しか知らないのですが(^_^;)
大河「おんな城主直虎」に出て来ます。
築山殿は「瀬名」と言う名前で、松平元康(家康)と同じ屋根の下で(イマガワ家)暮らし、
のちに正室となった、その辺りを描いていました。
恐妻だった様に描かれています。
でも、家康の我慢強さに何かを感じてもいました。
直虎の大叔母、佐名さんの娘が瀬名(ツキヤマ殿)なのですね。
佐名と南渓和尚は井伊直平の子供。
直平は直虎の曽祖父、
直虎と瀬名は、今川館で、少女時代にあったと設定されています。
その頃から瀬名は気の強い女の子でした。
今川傘下の井伊は、いよいよ織田、武田、上杉、松平と
あれこれ、こじれて行きそうな…、ドラマはそんなところに来ています。
クマバチ、確か、黒くてコロンとしてたと思います。
蜂はイヤです
痛いですよね