kohは今日も元気です

思うようにブログアップが出来ませんが、俳句のこと、テレビ番組のこと等、日常をぼちぼち書いていきます。

センバツ高校野球が始まりました❗️

2025-03-18 10:41:38 | スポーツ


第97回選抜高校野球大会

開会式

3月18日























第1試合は

柳 ケ 浦(大分)
二松学舎大付属
(東京)

今日は第3試合までの予定


最近は選手たちに
大きな負担がかからないよう
様々なルールが出来てますね


春は暑さは心配ないけど
夏は熱中症に備え
お水補給タイム有り
お水取りですか😅


試合の運び方も
時間的に異常に長くならないように出来てますね


思い出します
松坂大輔のチーム
延長延長で
さすがの高校球児も
精魂尽きる

いやいや

最後まで

一球入魂

頑張りました

でもさすがにゲームセットで
松坂大輔君の顔が
ホッとしてスッとして

私の選ぶ
高校野球史No.1


と、したいのですが
やっぱり孫が出た
夏と春と
2度も出場できて
応援にも行けて
幸せです🎵


第1試合

4回の裏
二松学舎の攻撃

0対1

柳ケ浦がバッテリーを変えました
キャッチャーも一緒に
変えるのは珍しい?

監督さんはバッテリーの相性を大切にされてるそうですよ

もっとじっくり見てたいのですが
生協の注文分が来ましたので
片付けます

常にも増して
誤字脱字乱文です
お許し下さい


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べらぼう~瀬川は言いました、おさらばえ…

2025-03-16 17:08:28 | べらぼう

 

 

 

瀬川は落籍し吉原を出て行く

 

 

「落籍」とは

花魁や遊女たちが大金を払い遊郭を抜けること

 

自らお金を用意する遊女はいないか、いても稀か?

 

後見人、うしろだて、支援者、スポンサー

パトロン、タニマチ

 

 

鳥山検校みたいに経済的に支援してくれる人のこと

こんなに色々な呼び方が

 

 

「タニマチ」?

と言えば地名として知ってはいますが…

調べてみますと

明治時代のことで

大相撲が発祥で大阪の谷町のお医者さんで

相撲好きから怪我した力士を無償で

看てあげていたからだそうです

 

 

 

五代目瀬川(元花の井)は

安永四年(1775)に千四百両で

鳥山検校に身請けされました

 

 

 

子供の頃、親に捨てられ吉原の松葉屋に引き取られて

何年が経っていたのでしょうか

 

 

瀬川にとっては先の見えない長い長い

年月だったでしょうね

 

瀬川の心の中にいる人と沿うことは出来ない

と諦めて大富豪鳥山検校に身請けされました

 

鳥山はいい人だと瀬川は言うてましたが…

 

 

 

千四百両というのは約1億4,000万円だそうです

すごい!

 

松葉屋の女将いねさんと主人半左衛門さんかな?

一番得したのは

 

半左衛門さん、ちょっと良いとこありました

 

 

出来上がった錦絵本「青楼美人合姿鏡」を

瀬川に渡してほしいと蔦重に言われて

 

「暇がないから自分で渡せばいい」

 

半左衛門さん、幼い頃の蔦重をずっと見て来て

人柄も知っていて瀬川とのこと

どうしてやることも出来なくて

 

「これしか中橋」

でした

 

 

 

さて、気持ちを切り替えて

蔦重はこの錦絵本「青楼美人合姿鏡」

をベストセラーにしたい

 

絵師は

北尾重政(一目千本の作者)

勝川春章(売れっ子絵師)

を選んだ

 

お二人は

松葉屋の遊女たちの仕事の時間外の素顔も

蔦重のおかげで見ることできて参考になったでしょう

 

蔦重は、こんな錦絵本を考えていたのですね

今までにはなかったパターンのでしょうね

 

 

「吉原を昔のように江戸っ子の憧れの

場所にする

花魁や遊女は身請けだったり

良い出会いだったり

どんどん幸せになる」

 

蔦重はなにより瀬川を喜ばせたかった

 

そのための策を思い付いた

 

吉原の錦絵を将軍に献上する!

 

平賀源内の力を借りよう

そうすれば田沼意次の所までは確実に届く!

 

吉原の親父さんたちも説得できた

 

こうしてみると、蔦屋重三郎という人は

 

なかなかのビジネスマンですね

企画して生産して販売して

そして人を喜ばせる

 

令和の時代に現れても時代に沿ったアイデアで

優良企業へと育てていくでしょうね

 

やり手ですね~

奥手ですけど~

 

瀬川落籍の日、瀬川を訪ね出来上がった

「青楼美人合姿鏡」

を瀬川に贈りました

吉原を出る自分なのに載せてもらってる

この事に瀬川は大層喜んだ

 

本を読む瀬川

この姿がいちばん似合う

蔦重はそう考えてのこの錦絵だったのだ

 

最後に蔦重は

「俺と花魁を繋ぐものはこれしかねえから

俺はずう~~っとその夢を見続けるよ」

 

涙ぐんだ顔で瀬川は

「そりゃまあ、べらぼうだねぇ」

 

 

 

白無垢の花魁道中

 

「おさらばえ…」

 

瀬川は堂々と外八文字のかたちで歩む

 

蔦重が瀬川を見据え大通りに突っ立っている

 

すれ違うふたりはお互い無言で

 

一瞥すらなくすれ違った

 

大門を出る瀬川

 

もう、花魁道中の外八文字の歩みではなかった

 

そこに待っていた鳥山検校に手を取られ

 

吉原を去った

 

 

べらぼう

蔦重と瀬川をツートップとして見てました

もうふたりのやりとりは見れないのでしょうか

おさらばえ…でしょうか

淋しくなります

 

 

 

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べらぼう~蔦重のば~か

2025-03-06 17:02:05 | べらぼう

 

 

瀬川(花の井)の身請けの話が出て

 

蔦重はようやく嫉妬している自分に気づいた

 

九郎助稲荷さんに

ば~かば~かば~か、と言われても仕方ないわ

 

相手の鳥山検校は立場を利用し優遇されてる

それをいい事に大金稼いでると非難した蔦重

 

瀬川は怒って言い返した

蔦重も五十両欲しがったり蛭みたいなもんだ

 

ゲンが悪いと皆が嫌う「名跡・瀬川」を

襲名したのは蔦重の出す「吉原細見」が

よく売れるようにという思いだったしね

 

「行かねえで!

おれがお前を幸せにしてえの…」

 

涙目で言ってましたね

 

蔦重の決断の早さが裏目に出たのかな

あまりにも突然ではないですか

 

昔からお嫁さんにすることは出来ないと

心には決めていたんでしょうね

 

ひょっとすると洗脳されるくらい

吉原の掟はきつ~いものだったのか

 

ここで蔦重が爆発するとは

驚き桃の木山椒の木

 

いいお嫁さんになるようにと

「女重宝記」(女性のための百科事典みたいな本)

を渡して幸せになるように

と言ったのはどの口なん?

 

あの時の瀬川の落胆の顔を見てないの?

 

足抜け計画も松葉屋の主人と女将(いね)の

海千山千には

蔦重なんか赤子の手をひねるようなもの

 

その手は桑名の焼き蛤

 

でした~~

 

蔦重は真面目で一本気で「出版」のことには

一生懸命でいいアイデア出してきてますね

こちらの

べらぼう

はいいんですよね

 

 

 

せつないです

 

瀬川も花魁花魁と持てはやされても

辛かったんでしょうね

鳥山検校を選んだのを間違ってるとは

言えないですよね

 

さて、小田新之助とうつせみも

足抜け失敗

 

 

皆これからどうするんでしょう…

私もあれこれ考えたのですが

ほんと涙が出そうにせつないです

 

 

松葉屋の女将のいねさんが言いました

 

 

「ここは不幸なとこさ

けど人生をがらりと変えることが

ないわけじゃない

そういう背中を見せる務めが

「瀬川」にはあるんじゃないかい

 

 

 

思いがあふれてしまった蔦重が

吉原大門を抜けるのにいる「通行手形」を

本に挟み瀬川に渡してましたが

半分破ってまた本に挟んで

瀬川は返しました

 

 

「ばからしい話を重三が渡してくれたこと

うれしかったよ、一生忘れないよ」

 

 

 

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紀元節と初午祭

2025-02-23 18:38:29 | 行事

 

 

お火焚きの準備が出来てます

 

 

護摩木を積み上げました

 

今年は護摩木の数が少なかったそうです

もうちょっと護摩木があったら

富士山みたいになったかも

 

 

お火焚きの炎の中で護摩木も燃え上がりました

 

 

紀元節の祭礼は本殿で

初午の祭礼は境内に祀られた

稲荷大明神の祠の前で執り行われました

 

 

「初午」は2月6日がほんとなんですけど

一日にまとめて行われました

 

 

 

朝9時  

参拝に来られる方に振舞うきつねうどんの準備

 

13時半

ふたつの式典列席

きつねうどんを振舞う

 

①うどん玉を湯通し~湯切り~どんぶりの中へ

②お揚げをのせる

③おつゆを入れる

④おねぎをのせる

⑤並んでる参拝者に渡す

 

②の担当でした、私

 

行列も一気ですから、ふう~

 

自分なりにがんばりました

 

どうぞ私のこころも

祓えたまえ~ 浄めたまえ~

 

 

 

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お江戸の言葉もべらぼうで

2025-02-19 19:00:56 | べらぼう

 

 

 

ドラマ「べらぼう」には分からない言葉が

ぽんぽん出て来ます

 

あ、また聞き取れなかった~と

専門用語もありますし

 

エイッ

調べるしかない

 

こんな言葉がでましたね

 

「改・あらため

 

情報を集め原稿を新しいものに編集する

 

蔦重は「吉原細見」の「改」をしていた

 

でも本に関わる仕事の「仲間」にしてもらえなくて

鱗形屋に入って「改」の仕事をすることに

 

まあ、仲間もいけずですね

 

 

「赤本」と「青本」

 

「赤本」は子供向けの絵のある読み物

「青本」は大人向けの絵入り読み物

 

売れてない

どうやら飽きられてるようです

 

花の井「青本が面白くなれば読む」

それを聞いた蔦重「面白くすれば売れる!」

 

 

 

「早引節用集」

 

室町・江戸時代にあったいろは引きの

国語辞書のこと

「節用」は節約

早引き…辞書を「字引き」とも言いますね

 

第6回「鱗剝がれた節用集」で

「新増早引節用集」は「増補早引節用集」の

にせ版で

企んだ鱗屋孫兵衛はしょっ引かれて行きました

 

本家本元が偽版を見つけたんですから

 

ちょっと前に蔦重は鱗方屋と西村屋の

ひそひそ話から自分が利用されている事

 

他に早引き節用集は海賊版で

鱗形屋や作ったと言う事を知った

 

また蔦重は、偽節用集のロスを厠で見つけた

これは動かぬ証拠ですね

 

ただ、訴えたり本人達を正すことは

出来なかった

蔦重

 

 

「金々」

蔦重の居た時代の江戸に

細い髷、着物の裾をだら~と長く

 

こんな身なりでカッコつけて歩いてた男性を

「金々」という

ドラマの中で金々を描いた錦絵が映りましたが

今も錦絵残ってるのかな

 

 

 

「半可通・はんかつう」

 

いい加減な知識しかないのに知ったかぶりする人

 

蛇足ですが国語辞典で

「半可通」の前には「ハンカチーフ」

「半可通」の後には「蛮から・ばんから」

が載ってました

はんかちーふ~はんかつう~ばんから

 

それがどうした <m(__)m>

 

 

花の井に売れる本の相談に行った時

そこにいた花魁たち

 

「金々なやつが面白い(半可通な奴)だから」

 

金々を本に載せたらいい、と花魁仲間が

ナイスな助言♪

採用! かな?

 

 

求愛ダンスの派手な黒光りしてる鳥がいますが

「カタカケフウチョウ」

 

みたいなのが金々?

鳥さんか人間さんかどちらに失礼だったかな

 

 

 

花の井はいつもタイミングよく蔦重を

バックアップしてくれてますね~♪

 

吉原で共に育った幼なじみ

蔦重は一歩踏み出すことは出来ないんでしょうね

 

歯がゆいなあ~

 

今や!言うてしまおう

 

なんてお茶の間から声かかってるんでは

 

「光る君へ」との共通点

 

1、本を作り上げる

2、生きていく境遇の違い

 

「花魁」はう~んと高い所にいる女性

 

 

蔦重と花の井はどうなのか

さっぱりわかやまみかんぶね

 

なんか切ない…

 

 

 

 京都には「島原」「五条楽園」などがあった

 

京都定期観光バスの半日コースで「島原」行きました

 

島原の揚屋「角屋・すみや」見学しました

揚屋(あげや)は料亭のタイプ

太夫や芸妓さんを「置屋・おきや」から呼び

お客さんと遊宴を繰り広げる

 

「置屋」は太夫や芸妓を抱え教育するところ

呼ばれれば派遣させる

 

以外にも男女だれでも遊びに行けた遊郭だった「島原」

 

各藩の武士、新選組などもひんぱんに出入りした

 

 

観光ツアーで見学した部屋の壁が

薄紅色だったり独特の色合いでした

 

江戸では「花魁」 京都では「太夫」と

呼び方が異なる

 

 

京都には江戸時代「寛永三名妓」と称えられた太夫がいた

 

太夫は知識、品格、遊芸すべて優れていた

踊り、楽器、和歌、俳諧、茶道、花道

諸々修行を積んできた女性

 

 

 

吉野太夫

 

江戸時代初期の島原の太夫

武家の娘だったとか

14歳⁉ で二代目吉野太夫を襲名

 

関白近衛信尋(このえのぶひろ)と

灰屋紹益(はいやじょうえき)が

身請けを争った

どちら様も大富豪~

 

 

夕霧太夫

 

嵯峨釈迦堂(清凉寺)で夕霧太夫の

太夫道中を見たことがあります

 

夕霧祭

夕霧の法要(本堂にて)のあと⇒太夫道中

清凉寺の境内を太夫道中が通ります

禿ふたり、傘をかざしてあげる男性を引き連れて

 

カメラマンの数が凄かった!

 

太夫はきれいな方でした

まっすぐ前を見て歩く

結ってる髷も着ている着物も履いてるぽっくりも

非常に重たそうで

それでもあのぽっくり裁きのきれいなこと

素足で「内八文字」で

からからからから…と

 

 

( 履物の呼び方分かりませんでしたので子供の頃

「ぽっくり」とか「おこぼ」と言ってたもので

ぽっくりと書きました

分かり次第「改」いたします<(_ _)> )

 

清凉寺の近くに生まれた方でお墓も近くにあるそうです

 

 

 

京みやげに生八つ橋がありますが

「夕霧」と銘打った生八つ橋もあります

販売元は「井筒八つ橋」です

 

あ、思い出した!

京都の嵯峨野に住んでいた時、

肉桂の香りが遠くから漂います

 

井筒八つ橋の会社が近くにあったんです

生八つ橋の切り落としを安くで売ってました

美味しかった(^^♪

 

 

 

桜木太夫

 

歌人

島原の太夫で和歌に秀でた人でもある

当初は桂小五郎、その後伊藤博文の愛妾

伊藤博文がハルビンの駅で暗殺された後

尼となる

 

 

 

歴史ある「角屋」や島原の町並み

揚屋も置屋も残されている

 

今も定期観光バスで訪れる事できるかなあ

 

 

 

蔦重は23歳の頃から3年程の間に

 

*蔦屋の一角で貸本屋「耕書堂」開店

*「吉原細見嗚呼御江戸」

*「一目千本」

*錦絵本「雛形若菜初模様」

あれこれ工夫をこらしながら

板元や出版を自ら行い本を出す

もめ事もある

 

でも折れる時は折れる!

これには感心します

 

「ぬれてにあわもち」も頂いた

 

頑固一徹ではないんですね、蔦重

 

頑固な私には、よく辛抱しゃはったなあ~

と驚きます

それにつけても鱗形屋さん、西村屋さん

そちら悪よのう~

 

でも長谷川平蔵が逮捕しましたね

お願いです

唐丸はどうなったんでしょう

大捜査網をひいてくださいね<(_ _)>

 

唐丸~!

帰りにくいかなあ~

蔦重は怒らないと思いますよ

生きてるなら蔦重のところに帰って来てね

 

 

 

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