『わしの家を守るため、名前を変えてきたのじゃ』
ということですか
竹千代~元康~家康
松平~徳川にも変化していますよね
更にその間に、何かと挟み込むのが昔の名付け方
それは、偉くなった証しみたいで
「源朝臣徳川次郎三郎家康」
なのか
「徳川次郎三郎源朝臣家康」
なのか
どちらか分からなかったのですが、
これだけ網羅してます、じゅげむじゅげむ…程ではないけれど
それぞれに意味があるようで
*「徳川」 名字(家名) 自分の家を表す
*「次郎三郎」 字(あざな) 通称(その時の役職の場合あり)
*「源」 氏(うじ) 一族を表す
*「朝臣」 姓(かばね) 地位を表す
*「家康」 言韋(いみな) 本名
名前に込められた思いの深さ
これ、今の名刺に入れ込むと…
ずっと後のことですが、梵鐘の銘文の中の
「国家安康」
に怒り、豊臣秀頼に難癖付けて、とうとう戦になった
大坂の陣
これにて、豊臣家は滅んだ
京都の方広寺は、創建は秀吉ですが大地震で倒れたあと再建は
秀吉と家康の共同作業だったのに、「国家安康」は
家と康を分断したと、まさに豊臣を倒すのが目的の難癖ですよね
さて「家康」の名、生まる! には妻の瀬名の発想が強いのでした
v( ̄Д ̄)v ィェィ
この時、この名がこの先、何百年と偉人、英雄として
呼び続けられることになると考えたでしょうか
三河ではもう三年も戦が続いているという
心穏やかでないのは当然
食べ物も無くなってきているというし
そんな中で、三河の武士が謀反を起こしたからと
信長の呼出しです、どうする家康
こっぴどく叱られて、家に飛んで帰りました
家康は何とか謀反を治めたものの、不安はつのります
家臣の妻たちは朗らかに食事の支度です
そしてなんと楽しい所があるから夫に内緒で行こうと言っている
「本證寺・ほんしょうじ」という一向宗の門前だそうで
家康も行くことになった、瀬名に内緒です
本多平八郎と榊原小平太と共に村人に扮装して門前町に来た
驚いたことに、我が城下町よりも賑わい、栄えているではないか
それもそうだが、もっと凄いことがある、と思ったのが
寺は小高い所にあり、その周りが強固な要害で
寺というよりまるでお城、要塞
これは、殿として見逃してはいけないことですね
そうこうしているうちに、旅芸人の踊りが始まった
妖艶な踊り、可愛い女性
若き三人組の心も踊って当然ですが、
まずいことが起きそうな予感です
あら、平八郎と小平太が於大と酒井忠次の妻の登与に鉢合わせました
家康は瀬名にばったり
何故か、バトルなし
お互い、後ろめたいのかな~
このお寺の見せ場は「空誓上人」の説法
空誓は笑いで民衆の心を引き寄せる ”つかみはオッケイ!”
そんな、たわいもない話から説法は始まりました
そして、徐々に核心へ近づく
それは、捨てられた子の話、親の辛苦
すべて、戦を起こすものが悪いのじゃ
「現世の罪は現世限りじゃ」
民衆は手を合わす、陶酔しきったようです
怖い
こんな風に、一向宗は成り立っていたのですね
家康ら三人は、その話を身動きもせず聞いていた
家康は、空誓にじかに話を聞きたくなった
巫女舞いのセンターを取っていた千代という人物が
空誓と話せるようにしてくれた
家康「なぜ、一向宗だけ年貢を払わないか」
空誓「寺にその務めは無い
戦をするものはあほーじゃ、あほには払えん」
家康「戦をしたくてしてる訳でない、せずにするにはどうするか」
空誓「知らん、生きてる世界が違う
苦しみを与える側 と 苦しみを救う側じゃ」
そう言い捨てて、空誓はその場を去った
「不入の権」
家康の父が今川氏を真似て与えた権利だという
当時、一向宗の寺の勢力は甚大で、そうせざるを得なかったようだ
家康は、これを破り一向宗の寺より年貢を強引に取り立てた
すると、一向宗徒は取り返しに来た
空誓「仏敵だ、殿さんでも許さん」
千代は宗徒に武器を持ち寺に集まれと指示を出した
さあ、家康にとって何度目の戦になるのか、
また戦、という思いがしますが…
札幌絵手紙 楽描堂と申します。
GOO BLOG在籍中は
大変お世話になりました。
温かいフォローを頂き
ありがとうございました。
どうぞお体くれぐれも大切に。
益々のご健康とご活躍を
お祈り申し上げます(^-^)
別のブログへのお引越し、もう落ち着かれたことと思います
何度かアクセスチャレンジしました
Gooブログのようにすんなりいかず、只今苦戦しております
いずれアクセスできると思います
パソコン、やっぱり苦手
今後共、楽しませてください