【阪神タイガース】:オウ オウ オウオウ“六甲おろしのふるさと”川崎も歓喜 作詞、佐藤惣之助の出身地
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神タイガース】:オウ オウ オウオウ“六甲おろしのふるさと”川崎も歓喜 作詞、佐藤惣之助の出身地
阪神が85年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた。
オウ、オウ、オウオウ、阪神タイガース-。球団歌「六甲おろし」を作詞した詩人、佐藤惣之助の出身地で、甲子園から400キロ離れた川崎市川崎区でも、関係者が日本一を歓喜した。
佐藤惣之助の生家があった川崎信用金庫前に設置されている碑の前に立つ小笠原功さん(共同)
佐藤に関する資料を収蔵する「東海道かわさき宿交流館」(同区)によると、六甲おろしは、1936年に始まった日本初のプロ野球リーグに参加した当時の「大阪タイガース」の球団歌として作られた。当時、川崎区に本社があったレコード会社で、現・日本コロムビアの社会人球団のエース若林忠志が鳴り物入りで入団。手土産に若林が同社に球団歌制作を依頼した。同社は近くの川崎宿出身・在住の佐藤に声をかけた。
名曲「赤城の子守唄」を一晩で書き上げたという佐藤。六甲おろし作詞のために大阪や甲子園を訪れた記録は残っていないが、同館企画担当の小笠原功さん(80)は「ボキャブラリーの天才なので、行かなくても書けたのだろう」と推測。「六甲おろしも短時間で書いたはず。その歌が今でも歌い継がれているのは不思議なものだ」と語る。
03年のセ・リーグ制覇の際は、佐藤の生家があった川崎信用金庫本店前にファンが集い、六甲おろしを歌ったという。小笠原さんは「佐藤のおかげで奇妙な縁を感じる。今すぐにでも行きつけのカラオケスナックで熱唱したい」と笑った。
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・プロ野球・阪神が85年以来、38年ぶり2度目の日本一に輝いた】 2023年11月06 08:05:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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