愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

NHKヒーローたちの名勝負無敗の王者を倒せ山下VS斉藤を観て、これぞ憲法平和主義の具体化!アッパレ!

2014-03-09 | スポーツと民主主義

昨日、NHKで放映されたヒーローたちの名勝負を観ました。感動しました。一つは、無敗の王者に立ち向かっていく斉藤仁さんの心技体を充実させるための稽古について。二つ目は、それを迎え撃つ山下泰裕選手の、それを上回る心技体の稽古について。山下選手は、向かってくる斉藤選手に対して心理作戦に出ます。しかし、斉藤選手は、それを上回る心を持って山下選手に稽古をつけてもらうために、日々、山下選手に挑むのです。山下選手に勝ちたいという一心あるのみです。

そこに心も身体も、そして技についても、イロイロな工夫が考案されていったのだと思います。迎える山下選手も、そうした斉藤選手の直向な心を試合において感じ、更に稽古を励んだのでしょう。斉藤選手の側に力点が置かれたドキュメンタリーでしたので、山下選手の苦労が見えてきませんでした。

山下選手の得意技大外刈に、如何に対抗するか、そこで編み出した技、脇の下をもつ組み手で山下選手の得意技を仕掛けさせないようにしながら、大外刈に来た場合、山下選手の軸足を払う技を考案。この駆け引きが素晴らしかった。そしてまんまと!しかし、判定なし!そこで足を痛めてタイムを取る斉藤選手に対して山下選手の心の中が披露される。投げる自身がなかったからこそ、編み出した攻め。如何に攻めるか!斉藤選手は受身に!あそこまで攻める姿勢で組んだ攻め技がピタリと止まるのです!

これは柔道だけではありません。どんなスポーツでも同じでしょう。いや政治においてもそうでしょう。およそ人間に関わるものにおいては、普遍的な理論だと思います。心理作戦での「間」です。剣道で言えば、「先(せん)、先(せん)の先(せん)、後(ご)の先(せん)の三つ」の「」です。良く使われる諺で言えば「機先を制する」です。

「先」とはお互いに我先に打ちあうこと、「先の先」は、相手の竹刀が動く前に意表に出て、相手の打撃を与えること、「後の先」は、相手の竹刀の動きを見てからその竹刀より一瞬先に相手に打撃を与えることを言います

これは人間関係においても同じです。この山下選手と斉藤選手のたたかいは、剣は持たないたたかいですが、この三つが、日常的に行われていたように思います。勿論試合の展開も同じでした。

こうして、お互いに高めあっていったのでした。全日本選手権のたたかいを終わって、山下選手は、斉藤選手に旗が上がってもおかしくないと斉藤選手を称えたこと、斉藤選手は、初対戦から4年、チャンスが訪れた全日本選手権の山下選手との決勝に負けた時に発した言葉、「簡単な話で、僕が山下先輩より弱かっただけ」ということに加えて「「何が足りなかったんだろう。も少し考えてどんどん前に出る工夫をしていたらもう少しいい試合ができたのかな。悔しさだけだった」と、潔い言葉が!

しかし、この敗北が、ソウル五輪の勝利に生きてくるのです。それは準決勝戦において、解説者として見守っていた山下選手との以心伝心の「間」が、斉藤選手の「攻め」の柔道をつくり出したのです。斉藤選手が山下選手の背中を見て、追いかけて、わずかの「間」で乗り越えられなかった、「心技体」の「心」の部分が、一歩前に進んだ一瞬だったように思います。勿論、この「心」が発揮されるためには、斉藤選手の全てが「稽古」となって、「心技体」がらせん状のように発展していったのだと思います。

愛国者の邪論は、剣道を少しやっていたことがありますので、こうした「心」のたたかいは、実によく共感できるのです。これは哲学用語を使えば、「弁証法」と言えるのではないかと思います。「矛盾」=「対立物の相互浸透」「量から質へ」「否定の否定」です。日々が「自分とのたたかい」です。同時に、相対する「相手とのたたかい」について、どのように打ち勝っていくか、です。

実は、このことは、柔道や剣道など、武道ばかりでなく、スポーツ全てにおいて言えるのではないか、そして更には日本の歴史の中でも言えることではないか、ということは、現在の安倍自公政権と国民との関係においても、言えることではないかということです。

安倍政権と国民、どちらが勝利を獲得するか、そのための「心技体」とは何か、です。同時に、たたかいには、武道やスポーツにおいて、「ルール」が必要であるように、政治の分野におけるたたかいにも「ルール」が必要であることは言うまでもないことでしょう。その「ルール」とは何か。それは日本国憲法と国連憲章にみる国際法です。「ルール」=人権尊重主義=民主主義=平和主義です。

ともすると、剣道や武道は、戦前において、軍国主義に利用されましたので、軍国主義の象徴的スポーツと捉えられがちです。確かに、そのようなものに利用する思想が現在もなお残存していること事実です。しかし、近代におけるスポーツを含めて、武道は、そのような解釈では、心技体の充実をとおして人間発達を獲得していくという点からみても、また試合だけではなく、スポーツ・武道の用具などの「技」=「科学」の発展から見ても、殺し合いを「良し」とする思想とは相容れないものだと思います。

このことは、昨年大阪の忌まわしい事件の際に記事に書いてきましたので、スポーツ=武道が「体罰」とは無縁のものであることも当然のことです。

そういう視点を踏まえて、山下選手と斉藤選手が相手に打ち勝つためにやった稽古は、実は自分に打ち勝つためにやった稽古なのです、そこに打ち勝つためには、お互いを意識するからこそ、できる、二人の心技体の極限なまでの営みです。このことは、結果的には、お互いを高めあっているのです。そこに相手を尊重する「こころ」が前提となります。ここがポイントです。相手を尊敬する「こころ」です。先輩後輩という関係もありますが、試合場では、またその試合に向かっていくプロセスは「対等平等」なのです。

現在の国際社会で緊迫しているウクライナとロシアの関係、その周辺にあるEU諸国とアメリカの、日本の、中国の関係、或いは中国・韓国・北朝鮮と日本の、アメリカの関係に置き換えてみることができるのではないかということです。

加害と被害をどのように認知し、どのように克服するか、ということです。その際のルールは、日本国憲法の理念です。紛争を非軍事的手段で解決するというルールに基づいて、「心技体」=「政府と国民の意識=「こころ」と政策」を高めあっていくということです。

このことは、同時に安倍自公政権と国民の関係にも言えることです。勿論、「ルール」は、日本国の最高法規である憲法であることは言うまでもありません。判断するのは、主権在民主義からすれば国民であることは当然です。国民は主役です。

以上のようなことをテレビを観ていて考えたのでした。スポーツと憲法、憲法を活かす場面は、実は至るところにあるということを強調しておきたいと思います。日本国民は、自民党政権が憲法記念日を祝日にはしても、国家として、「建国を祝う日」として位置づけていないためか、憲法を暮らしに活かすという点で、極めて弱いものと言わなければなりません。それは国策として行われてきたからです。その国策を批判し、国民のものとして祝う、使う日として、国民的に確認してこなかったことが、「憲法は旧い」「時代に合わないものは改正して」「アメリカから押し付けられた」など、スリカエを許しているのだと思います。

こういう視点に立つ時、今、憲法を活かす方向性と内容をあらゆる場面で確認し、憲法をあらゆる場面で「ものさし」として使っていくべき時です。国民の中に憲法の思想と条文が、国民という大地に沁み込んでいくようにしていくことが大切だと思うのです。

そういう意味で、このNHKの企画には、イロイロ問題のあるNHKですが、アッパレ!を贈りたいと思います。

それでは、実際にどうだったか、ご覧ください。

山下泰裕vs斉藤仁。最後の戦い。斉藤が放ったあの返し技は効いたのか  2013年11月29日

 

「無敗の王者を倒せ 柔道・山下×斉藤」 3月 8日(土)午後10時30分

NHK 総合ヒーローたちの名勝負 無敗の王者を倒せ 山下泰裕 対 斉藤仁
2014年3月8日放送22:30 - 23:00

オープニング

かつて、オリンピックの金メダルよりも難しいタイトルと言われたのが全日本柔道選手権。1985年の決勝では、ロサンゼルス五輪無差別級金メダリストで全日本選手権8連覇中の山下泰裕と、ロサンゼルス五輪95キロ超級金メダリストの斉藤仁が対戦した。斉藤には山下を倒すための秘策があった。一方の山下は現役最後に斉藤の挑戦を受けたいと考えていた。

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無敵の王者を倒せ柔道史に残る対決

1985年、日本柔道会は黄金期を迎えていて、その頂点に君臨していたのが山下泰裕。1978年以降無敗の記録を持っていた。この頃、頭角を現してきたのが斉藤仁。その2人がそろって臨んだロサンゼルス五輪。山下はケガのアクシデントを物ともせず、期待通りの金メダルを獲得。斉藤は95キロ超級に出場し、見事金メダルを獲得した。しかし、マスコミの注目は山下にばかり集まった。斉藤は「父親からもしょせん日本では2番手だと言われた」と話す。

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青森県出身の斉藤は、中学卒業後に親元を離れ柔道一筋の高校生活を送った。斉藤が大学1年となった年に山下と初めて対戦。1本負けしたものの善戦した。若手のホープと注目され、山下2世とも呼ばれた。当時のことを斉藤は「うれしかった」と話す。しかし、山下にとって斉藤は、数多い挑戦者の1人に過ぎなかった。その山下にあこがれていた斉藤は、何度も山下の胸を借りにいった。当時のことを山下は「嫌だった。やればやるほど技がかからなくなった。どうしたら来なくなるか考えた結果、恥をかかせてやろうと思ったけど、何度も何度も来た」と話す。

キーワード ロサンゼルスオリンピック 全日本柔道選手権大会 青森県

急速に力を付けた斉藤は、国際大会で優勝するまでになっていった。斉藤は「だんだん力が付いていくと、なんで俺の名前の前にポスト山下がつくのか。1回は勝たないと名前は取れないと思った」と話す。

無敗の王者vs 最強の挑戦者

初対戦から4年、ついにチャンスが訪れた。全日本選手権の山下との決勝。斉藤は投技で1本を狙っていたが、攻め込めないでいた。組手争いで優位に立った山下が主導権を握る。斉藤は自分の柔道をすることができなかった。斉藤は「簡単な話で、僕が山下先輩より弱かっただけ」と話す。一方山下は「思い通りに大外刈をかけたのにかからなかった。その時から倒さなきゃいけない選手という認識に変わった」と話した。

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まだ斉藤に負けるわけにいかないと、練習にも打ち込んでいった、翌年の全日本選手権では再び斉藤の挑戦を退け、8連覇を達成。しかし、ロサンゼルス五輪で山下は右足を大怪我。誰もが金メダルを花道に引退すると思っていた。しかし山下は「勝ち逃げのような気がした。彼が努力してきているのがわかっていた。もう1回チャレンジを受けるのが自分の最後の戦いだと考えていた」と語る。

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無敵の王者を倒せ見出した秘策

山下の柔道を徹底的に研究した斉藤は、攻略の糸口を見出した。それは山下の得意技の大外刈。大外刈をかけるために踏み出した時に不安定になる軸足を狙うことだった。

柔道史に残る名勝負山下泰裕 対 斉藤仁

1985年4月29日、日本武道館で行われた全日本選手権決勝。この試合、斉藤は意表を突く組手を見せた。山下は「嫌な組手だった。持ち味を殺すことに重点を置いた組手だと思う」と話す。一瞬の隙を狙う山下と、大外刈をひたすら待つ斉藤。その瞬間は4分過ぎに訪れた。最初にしかけたのは山下。大外刈ではなく支釣込足。大外刈だと思った斉藤は反射的に返し技に。山下は「しまったと思った」と話す。しかし、背中から倒れた山下に対し、主審からのコールはなかった。斉藤も仕留めたという感覚はなかったという。

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主審は技をかけにいった山下のスリップだと判断していた。その直後、斉藤は待ったをかける。倒れこんだ時に足を痛めていた。この時山下は「彼を投げる自信はなかった。精神的にプレッシャーをかければ彼がミスをするかもしれない。とにかく攻めようと思った」と話す。山下の動きが変わり、次々と技を仕掛けていった。対する斉藤は技が出ない。斉藤は「責めさせてもらえなかった」と話す。勝負は判定にもつれ込み、勝利したのは山下だった。またしても斉藤は山下の壁を超えられなかった。斉藤は「何が足りなかったんだろう。も少し考えてどんどん前に出る工夫をしていたらもう少しいい試合ができたのかな。悔しさだけだった」と話した。

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柔道史に残る名勝負継承される“魂”

山下の引退から3年後の1988年の全日本選手権で斉藤は初優勝。ソウル五輪代表の座も掴んだ。ソウル五輪では日本は最終日まで柔道での金メダルがなかった。全ては斉藤に委ねられた。最大のピンチは準決勝。両者ともポイントのないまま残り時間がわずか。テレビの解説席にいたのは山下だった。おたがい言葉を交わさずに目を合わせていた。攻め続けた斉藤が判定勝ち。見事斉藤は金メダルを獲得した。斉藤は「山下先輩に負けたからこそ、ソウル五輪の金メダルがあると言っても過言ではない」と話した。

キーワード ソウルオリンピック 全日本柔道選手権大会

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憲法の平和主義具体化番組NHK目撃日本列島 新たな絆を作りたい “国境”を超えた交流合宿にアッパレ!

2014-03-09 | 慰安婦

昨日NHKで放映された目撃!日本列島「新たな絆を作りたい~“国境”を越えた交流合宿~」 戦前強制連行でつくられた北海道朱鞠内湖雨竜第一ダムの地で開かれた若者たちの交流を観ました。日本の若者旭川教育大学2年の吉川真瑛さんと朝鮮大学校学生在日4世のキム・チユンさんの姿、苦悩を映し出していました。大変教訓的でした。

加害と被害を背負う両民族の若者、加害の側の吉川さんに象徴されている加害責任を背負わされなければならない感情=「反感」と被害民族である在日の若者の加害責任を問う「感情」の放映でした。

このことは、「人道に対する罪」に時効はないとする国際社会の到達点について、国民的議論に付してこなかった日本の姿が浮き彫りになります。同時に、そうした日本に税金を払って暮らしているにもかかわらず選挙権すら保障されていない在日の人たちの苦悩、苛立ちがあります。

そういうなかで、安倍首相派に代表される過去の歴史を正当化する潮流が闊歩していく日本、その是非すら問わない日本の若者という構造でした。

確かに若者の直接の責任はないことは明瞭です。そういう愛国者の邪論も戦後世代ですから、同じ立場です。しかし、安倍首相派の政治家を選出しているのは、日本国民なのです。そこに責任問題がクローズアップされてくるのです。安倍首相派の声が日本国中に席巻していったなら、どのような日本がつくられるでしょうか。そのような視点で考えると、戦後生まれだからと言って、或いは戦後第四世代だからと言って、その責任を免れることはできないでしょう。それは未来に対する責任でもあるからです。

そういう視点でみると、昨日も書きましたが、再度強調しておくと、ウクライナとロシアの関係は、東アジアにおける加害国である日本と被害国である中国と朝鮮(韓国・北朝鮮)の民族問題を想定しなければならないと思います。ウクライナ人がロシア人に対する感情、またその逆の感情が、今もなお続き、紛争の火種となって政治問題、暮らしの問題、未来の課題が浮き彫りになって、私たち「日本人」に問いかけているのです。

では、どうするか、です。

その点で日教組の国民教育研究所長として、沖縄・アイヌ・朝鮮人問題、核兵器廃絶・国際法教育など、若者に対する平和国際教育に取り組んできた森田俊男氏の最後の著作『平和・人権・民主主義の教育を わたしの89年に重ねて』(平和文化10年12月刊)は、示唆に富んでいます。この殿平善彦氏の取り組みについても、書かれています。そのなかで、特に、「平和のための教育」における内容として、以下のように結んでいます。

1.日米関係を、すでに60年にもなる、旧安保条約=対米従属の軍事同盟から、2010年代に、「対等・平等の日米友好条約へ」にとりくもう。

2.「核兵器のない世界へ」を確か展望する学習にとりくもう。

3.「近隣の国々―韓国・中国・やがて朝鮮ほか、つまり東アジア平和共同体へ」をしっかり展望する学習にとりくもう。そのために、「過去の日本の侵略戦争・植民地支配の史実」をしっかりと調べ、学ぶこと、と。(引用ここまで

もう一つは、朴裕河(パクユハ)『和解のために』(平凡社11年7月刊)です。これは加害の中の被害、被害の中の加害などに光を与え、「復讐」感情の「誤りの反復」を克服するためには何が必要か。以下の言葉は示唆的です。

韓日がともに闘うべきは、単一の主体として思い描く「日本」や「韓国」ではなく、互いの内部に存在する戦争を熱望する感性(小林よしのり)と、軍事武装の必要性を強調し過去の戦争に対して謝罪する必要はないと主張する戦争への欲望(西尾幹二)、そして他者を避難しながら田舎者と蔑み(李文烈)、他者の痛みに無知なまま恐怖をあおる(趙廷来)の言葉である。暴力的思考と憎悪と嫌悪を正当化することでみずからの居場所を確保しようとする、排他的な民族主義の言辞にともに抵抗できるとき、韓日間の「友情」は、はじめてその実を結ぶだろう。(引用ここまで

現在、日本のマスコミは安倍首相派の言質、政策、特に対中朝「脅威」論、韓国「反日」論を垂れ流しています。しかし、そこにあるのは、中国の「愛国教育」、北朝鮮の「先軍主義」、韓国の「反日教育」と同一線上のものです。ここに、非常な危険な方向に進んでいることが浮き彫りになるのです。今は見えていませんが、一線を越えた時、見えて来た時では遅いのです。

だからこそ、これらの動きを封じていくためにも憲法の平和主義を丸ごと具体化していくべきなのです。東アジアに日本国憲法の理念を具体化していくこと、東アジア平和共同体構想です。このことについては、すでに記事にしてありますので、ご覧ください。

そういう点では、問題の多いNHKですが、また「当時このダムでは過酷な労働を強いられ、日本人の他、朝鮮半島の人達が亡くなったとされている」などと、スルッと問題発言をしているところもありますが、この取り組みは評価できるものです。

それでは、以下、でた蔵に掲載された内容を掲載しておきますのでご覧ください。

目撃!日本列島 2014年3月8日放送 11:30 - 11:54 NHK総合
http://datazoo.jp/tv/%E7%9B%AE%E6%92%83%EF%BC%81%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%88%97%E5%B3%B6/705410

今回の目撃!日本列島は、北海道・朱鞠内で行われた18年間続けられている日本、韓国、在日韓国・朝鮮人の学生たちが交流を深めるワークショップに密着。日本と韓国、北朝鮮の関係が冷え込む今、彼らの交流は何を語りかけるのか。絆を作ろうとする若者たちを見つめた。

キーワード 北朝鮮朱鞠内(北海道) 韓国

新たな絆を作りたい “国境”を超えた交流合宿

北海道・朱鞠内にある旧光顕寺では、日本、韓国、在日韓国・朝鮮人の学生たちが交流を深めるワークショップが行われている。80年前に建てられて今なお戦争の歴史が刻まれた旧光顕寺には、戦時中に朱鞠内で命を落とした人達の位牌があり、そこにはこの地に動員された朝鮮半島の人の名前も少なくない。交流合宿を主催する殿平善彦さんは、朱鞠内に朝鮮半島の人達の遺骨が眠っている事を知って交流合宿を始め、合宿の参加者は述べ2000人に上っている。

キーワード 光顕寺朱鞠内(北海道) 韓国

2月15日、今年も交流合宿が開かれた。集まったのは日本人57人、在日韓国・朝鮮人31人、韓国人8人など、およそ100人。フェイスブックや口コミで合宿を知り申し込んできた。旭川教育大学2年の吉川真瑛くんは、異なる考えを持つ人達と交流したいと大学の仲間3人を誘ってやってきた。まず合宿参加者達が案内されたのは戦時中に過酷な労働で亡くなった日本人と朝鮮半島の人が亡くなった共同墓地で、降り積もった雪を掘って一緒に供養をした。小平市の朝鮮大学校に通う在日4世のキム・チユンさんも合宿の参加者の1人で、現在日本各地で差別的な言動を繰り返すヘイトデモが行われる中、自分達の置かれている状況を少しでも分かってもらいたいという思いから今回合宿に参加していた。

キーワード フェイスブック 北海道教育大学 小平市(東京)朝鮮大学校 韓国

夜7時には食事が行われた。寝食を共にしながら交流を深めるのも合宿の狙いで、夜10時になると若者達は平和をテーマにそれぞれの立場から意見を出しあった。

吉川くんは、戦争は自分が生まれる遥か前の事なのに、自分達が加害者と言われる事に戸惑っていた

キムさんは、在日への風当たりが強いのは日本人が社会を変えようとしないからだと訴えた。

若い世代まで加害者だと言われた事に吉川くんは納得が行かず、議論は平行線のまま終わった。しかし2時間のディスカッションが終わり、深夜になっても吉川真瑛くんとキム・チユンさんはまだ話し足りない様だった。2人がお互いの認識の隔たりに気づかされる中、合宿1日目は終わった。

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合宿2日目の2月15日。合宿には大勢の大人達も参加していて、かつて合宿で議論をしていたが今では裏方で食事の用意などをしている。今回が8回目の参加になるというリ・ファミさんは、「私たちがすごくいい経験をしてきたのでそれを返したい」と話した。

キーワード 韓国

合宿2日目は、過去の歴史と向き合うプログラムが用意されていた。参加者達は朱鞠内湖に向かい、戦時中に作られた雨竜ダムを見学。当時このダムでは過酷な労働を強いられ、日本人の他、朝鮮半島の人達が亡くなったとされている。

キーワード 朱鞠内湖雨竜第一ダム 韓国

ダム見学の後、参加者達は発掘された遺骨を見た。

吉川くんは、同じ人間として亡くなった人の無念さを思い浮かべていた。

一方キムさんは、亡くなった朝鮮半島の人と自分達との繋がりを感じ、憤りをぶつけていた。

この合宿で2日間話し合いを続けてきた吉川さんとキムさんが、結局認識が一致するには至らなかった。しかし、キムさんは自分の思いに真っ直ぐ向き合ってもらえたと感じ、吉川さんも大学で東アジアの歴史を学ぶサークルを作るという1つの目標を立てる事にしていた。吉川くんはキムさんにサークルの事を伝え、また議論をしようと約束した。

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交流合宿の主催者である殿平善彦さんは、「相手のことばをきちんと聞いて、相手の思いを聞いて、それを受け止めるというね、それも実は非常に大事な事。その受け止めた所から今度は自分が発信していく訳だから、そういう出会いの場所として続いていけばいいなと思っています」と話した。若者達がお互いの意見に耳を傾けあった1泊2日。若者達は来年の冬、再び朱鞠内に集まる。

キーワード 韓国 引用ここまで

以下、殿平氏の取り組みを紹介したものを掲載しておきます。ご覧ください。

笹の墓標: 解説1 殿平善彦 ”朱鞠内との出会い”

殿平 善彦 (とのひら よしひこ) - 日韓の人物評 その人を知りたい!

プロフィール殿平 善彦件 | Facebook

東アジア共同ワークショップ - カムイミンタラ.

念仏の鼓動 - 殿平善彦 - Google Books

徴用現場 大学生交流が東アジア連帯へ'飛翔' : 政治 : ハンギョレ

映画「笹の墓標」(その1) - 法学館憲法研究所

歴史認識の共有へ交流に汗 北海道と在日の若者が幌加内で学習会 ...

www.hokkaido-np.co.jp/news/chiiki4/521535.html

反対の立場からみているからこそ、判ること、ご覧ください。

#NHK 目撃!日本列島「新たな絆を作りたい~"国境"を越えた交流合宿

市民団体らが美瑛で朝鮮人遺骨調査 8月に共同発掘調査を計画/台湾

深川市多度志630 一乗寺と在日問題と強制連行と慰安婦と9条と北朝鮮 2013年11月26日

最後に、北海道には、朝鮮人・中国人強制連行の悲惨な事実の他に、明治期にも「囚人労働」による悲惨な事実、アイヌ(最近まで「土人」と称していた)に対する公民化・差別強制の事実があることを触れておかなければなりません。この国内の同一民族における「事実」と他民族を強制連行して使役させた事実を、日本人は、或いは未来を生きる日本の若者は、どのように受け止めていけばよいのでしょうか。

北辺に斃れたタコ労働

国道333号 北見峠旧道 囚人道路 1

開拓の基盤を作った囚人道路/月形町

博物館 網走監獄 監獄秘話「囚人が開いた土地」

中央道路開削犠牲者追悼建設期成会『ル・ペシ・ペの墓標 「中央道路」に斃れた囚われ人への鎮魂譜』(90年5月刊)

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