昨日、NHKで放映されたヒーローたちの名勝負を観ました。感動しました。一つは、無敗の王者に立ち向かっていく斉藤仁さんの心技体を充実させるための稽古について。二つ目は、それを迎え撃つ山下泰裕選手の、それを上回る心技体の稽古について。山下選手は、向かってくる斉藤選手に対して心理作戦に出ます。しかし、斉藤選手は、それを上回る心を持って山下選手に稽古をつけてもらうために、日々、山下選手に挑むのです。山下選手に勝ちたいという一心あるのみです。
そこに心も身体も、そして技についても、イロイロな工夫が考案されていったのだと思います。迎える山下選手も、そうした斉藤選手の直向な心を試合において感じ、更に稽古を励んだのでしょう。斉藤選手の側に力点が置かれたドキュメンタリーでしたので、山下選手の苦労が見えてきませんでした。
山下選手の得意技大外刈に、如何に対抗するか、そこで編み出した技、脇の下をもつ組み手で山下選手の得意技を仕掛けさせないようにしながら、大外刈に来た場合、山下選手の軸足を払う技を考案。この駆け引きが素晴らしかった。そしてまんまと!しかし、判定なし!そこで足を痛めてタイムを取る斉藤選手に対して山下選手の心の中が披露される。投げる自身がなかったからこそ、編み出した攻め。如何に攻めるか!斉藤選手は受身に!あそこまで攻める姿勢で組んだ攻め技がピタリと止まるのです!
これは柔道だけではありません。どんなスポーツでも同じでしょう。いや政治においてもそうでしょう。およそ人間に関わるものにおいては、普遍的な理論だと思います。心理作戦での「間」です。剣道で言えば、「先(せん)、先(せん)の先(せん)、後(ご)の先(せん)の三つ」の「間」です。良く使われる諺で言えば「機先を制する」です。
「先」とはお互いに我先に打ちあうこと、「先の先」は、相手の竹刀が動く前に意表に出て、相手の打撃を与えること、「後の先」は、相手の竹刀の動きを見てからその竹刀より一瞬先に相手に打撃を与えることを言います。
これは人間関係においても同じです。この山下選手と斉藤選手のたたかいは、剣は持たないたたかいですが、この三つが、日常的に行われていたように思います。勿論試合の展開も同じでした。
こうして、お互いに高めあっていったのでした。全日本選手権のたたかいを終わって、山下選手は、斉藤選手に旗が上がってもおかしくないと斉藤選手を称えたこと、斉藤選手は、初対戦から4年、チャンスが訪れた全日本選手権の山下選手との決勝に負けた時に発した言葉、「簡単な話で、僕が山下先輩より弱かっただけ」ということに加えて「「何が足りなかったんだろう。も少し考えてどんどん前に出る工夫をしていたらもう少しいい試合ができたのかな。悔しさだけだった」と、潔い言葉が!
しかし、この敗北が、ソウル五輪の勝利に生きてくるのです。それは準決勝戦において、解説者として見守っていた山下選手との以心伝心の「間」が、斉藤選手の「攻め」の柔道をつくり出したのです。斉藤選手が山下選手の背中を見て、追いかけて、わずかの「間」で乗り越えられなかった、「心技体」の「心」の部分が、一歩前に進んだ一瞬だったように思います。勿論、この「心」が発揮されるためには、斉藤選手の全てが「稽古」となって、「心技体」がらせん状のように発展していったのだと思います。
愛国者の邪論は、剣道を少しやっていたことがありますので、こうした「心」のたたかいは、実によく共感できるのです。これは哲学用語を使えば、「弁証法」と言えるのではないかと思います。「矛盾」=「対立物の相互浸透」「量から質へ」「否定の否定」です。日々が「自分とのたたかい」です。同時に、相対する「相手とのたたかい」について、どのように打ち勝っていくか、です。
実は、このことは、柔道や剣道など、武道ばかりでなく、スポーツ全てにおいて言えるのではないか、そして更には日本の歴史の中でも言えることではないか、ということは、現在の安倍自公政権と国民との関係においても、言えることではないかということです。
安倍政権と国民、どちらが勝利を獲得するか、そのための「心技体」とは何か、です。同時に、たたかいには、武道やスポーツにおいて、「ルール」が必要であるように、政治の分野におけるたたかいにも「ルール」が必要であることは言うまでもないことでしょう。その「ルール」とは何か。それは日本国憲法と国連憲章にみる国際法です。「ルール」=人権尊重主義=民主主義=平和主義です。
ともすると、剣道や武道は、戦前において、軍国主義に利用されましたので、軍国主義の象徴的スポーツと捉えられがちです。確かに、そのようなものに利用する思想が現在もなお残存していること事実です。しかし、近代におけるスポーツを含めて、武道は、そのような解釈では、心技体の充実をとおして人間発達を獲得していくという点からみても、また試合だけではなく、スポーツ・武道の用具などの「技」=「科学」の発展から見ても、殺し合いを「良し」とする思想とは相容れないものだと思います。
このことは、昨年大阪の忌まわしい事件の際に記事に書いてきましたので、スポーツ=武道が「体罰」とは無縁のものであることも当然のことです。
そういう視点を踏まえて、山下選手と斉藤選手が相手に打ち勝つためにやった稽古は、実は自分に打ち勝つためにやった稽古なのです、そこに打ち勝つためには、お互いを意識するからこそ、できる、二人の心技体の極限なまでの営みです。このことは、結果的には、お互いを高めあっているのです。そこに相手を尊重する「こころ」が前提となります。ここがポイントです。相手を尊敬する「こころ」です。先輩後輩という関係もありますが、試合場では、またその試合に向かっていくプロセスは「対等平等」なのです。
現在の国際社会で緊迫しているウクライナとロシアの関係、その周辺にあるEU諸国とアメリカの、日本の、中国の関係、或いは中国・韓国・北朝鮮と日本の、アメリカの関係に置き換えてみることができるのではないかということです。
加害と被害をどのように認知し、どのように克服するか、ということです。その際のルールは、日本国憲法の理念です。紛争を非軍事的手段で解決するというルールに基づいて、「心技体」=「政府と国民の意識=「こころ」と政策」を高めあっていくということです。
このことは、同時に安倍自公政権と国民の関係にも言えることです。勿論、「ルール」は、日本国の最高法規である憲法であることは言うまでもありません。判断するのは、主権在民主義からすれば国民であることは当然です。国民は主役です。
以上のようなことをテレビを観ていて考えたのでした。スポーツと憲法、憲法を活かす場面は、実は至るところにあるということを強調しておきたいと思います。日本国民は、自民党政権が憲法記念日を祝日にはしても、国家として、「建国を祝う日」として位置づけていないためか、憲法を暮らしに活かすという点で、極めて弱いものと言わなければなりません。それは国策として行われてきたからです。その国策を批判し、国民のものとして祝う、使う日として、国民的に確認してこなかったことが、「憲法は旧い」「時代に合わないものは改正して」「アメリカから押し付けられた」など、スリカエを許しているのだと思います。
こういう視点に立つ時、今、憲法を活かす方向性と内容をあらゆる場面で確認し、憲法をあらゆる場面で「ものさし」として使っていくべき時です。国民の中に憲法の思想と条文が、国民という大地に沁み込んでいくようにしていくことが大切だと思うのです。
そういう意味で、このNHKの企画には、イロイロ問題のあるNHKですが、アッパレ!を贈りたいと思います。
それでは、実際にどうだったか、ご覧ください。
山下泰裕vs斉藤仁。最後の戦い。斉藤が放ったあの返し技は効いたのか 2013年11月29日
「無敗の王者を倒せ 柔道・山下×斉藤」 3月 8日(土)午後10時30分
NHK 総合ヒーローたちの名勝負 無敗の王者を倒せ 山下泰裕 対 斉藤仁
2014年3月8日放送22:30 - 23:00
オープニング
かつて、オリンピックの金メダルよりも難しいタイトルと言われたのが全日本柔道選手権。1985年の決勝では、ロサンゼルス五輪無差別級金メダリストで全日本選手権8連覇中の山下泰裕と、ロサンゼルス五輪95キロ超級金メダリストの斉藤仁が対戦した。斉藤には山下を倒すための秘策があった。一方の山下は現役最後に斉藤の挑戦を受けたいと考えていた。
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無敵の王者を倒せ柔道史に残る対決
1985年、日本柔道会は黄金期を迎えていて、その頂点に君臨していたのが山下泰裕。1978年以降無敗の記録を持っていた。この頃、頭角を現してきたのが斉藤仁。その2人がそろって臨んだロサンゼルス五輪。山下はケガのアクシデントを物ともせず、期待通りの金メダルを獲得。斉藤は95キロ超級に出場し、見事金メダルを獲得した。しかし、マスコミの注目は山下にばかり集まった。斉藤は「父親からもしょせん日本では2番手だと言われた」と話す。
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青森県出身の斉藤は、中学卒業後に親元を離れ柔道一筋の高校生活を送った。斉藤が大学1年となった年に山下と初めて対戦。1本負けしたものの善戦した。若手のホープと注目され、山下2世とも呼ばれた。当時のことを斉藤は「うれしかった」と話す。しかし、山下にとって斉藤は、数多い挑戦者の1人に過ぎなかった。その山下にあこがれていた斉藤は、何度も山下の胸を借りにいった。当時のことを山下は「嫌だった。やればやるほど技がかからなくなった。どうしたら来なくなるか考えた結果、恥をかかせてやろうと思ったけど、何度も何度も来た」と話す。
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急速に力を付けた斉藤は、国際大会で優勝するまでになっていった。斉藤は「だんだん力が付いていくと、なんで俺の名前の前にポスト山下がつくのか。1回は勝たないと名前は取れないと思った」と話す。
無敗の王者vs 最強の挑戦者
初対戦から4年、ついにチャンスが訪れた。全日本選手権の山下との決勝。斉藤は投技で1本を狙っていたが、攻め込めないでいた。組手争いで優位に立った山下が主導権を握る。斉藤は自分の柔道をすることができなかった。斉藤は「簡単な話で、僕が山下先輩より弱かっただけ」と話す。一方山下は「思い通りに大外刈をかけたのにかからなかった。その時から倒さなきゃいけない選手という認識に変わった」と話した。
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まだ斉藤に負けるわけにいかないと、練習にも打ち込んでいった、翌年の全日本選手権では再び斉藤の挑戦を退け、8連覇を達成。しかし、ロサンゼルス五輪で山下は右足を大怪我。誰もが金メダルを花道に引退すると思っていた。しかし山下は「勝ち逃げのような気がした。彼が努力してきているのがわかっていた。もう1回チャレンジを受けるのが自分の最後の戦いだと考えていた」と語る。
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無敵の王者を倒せ見出した秘策
山下の柔道を徹底的に研究した斉藤は、攻略の糸口を見出した。それは山下の得意技の大外刈。大外刈をかけるために踏み出した時に不安定になる軸足を狙うことだった。
柔道史に残る名勝負山下泰裕 対 斉藤仁
1985年4月29日、日本武道館で行われた全日本選手権決勝。この試合、斉藤は意表を突く組手を見せた。山下は「嫌な組手だった。持ち味を殺すことに重点を置いた組手だと思う」と話す。一瞬の隙を狙う山下と、大外刈をひたすら待つ斉藤。その瞬間は4分過ぎに訪れた。最初にしかけたのは山下。大外刈ではなく支釣込足。大外刈だと思った斉藤は反射的に返し技に。山下は「しまったと思った」と話す。しかし、背中から倒れた山下に対し、主審からのコールはなかった。斉藤も仕留めたという感覚はなかったという。
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主審は技をかけにいった山下のスリップだと判断していた。その直後、斉藤は待ったをかける。倒れこんだ時に足を痛めていた。この時山下は「彼を投げる自信はなかった。精神的にプレッシャーをかければ彼がミスをするかもしれない。とにかく攻めようと思った」と話す。山下の動きが変わり、次々と技を仕掛けていった。対する斉藤は技が出ない。斉藤は「責めさせてもらえなかった」と話す。勝負は判定にもつれ込み、勝利したのは山下だった。またしても斉藤は山下の壁を超えられなかった。斉藤は「何が足りなかったんだろう。も少し考えてどんどん前に出る工夫をしていたらもう少しいい試合ができたのかな。悔しさだけだった」と話した。
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柔道史に残る名勝負継承される“魂”
山下の引退から3年後の1988年の全日本選手権で斉藤は初優勝。ソウル五輪代表の座も掴んだ。ソウル五輪では日本は最終日まで柔道での金メダルがなかった。全ては斉藤に委ねられた。最大のピンチは準決勝。両者ともポイントのないまま残り時間がわずか。テレビの解説席にいたのは山下だった。おたがい言葉を交わさずに目を合わせていた。攻め続けた斉藤が判定勝ち。見事斉藤は金メダルを獲得した。斉藤は「山下先輩に負けたからこそ、ソウル五輪の金メダルがあると言っても過言ではない」と話した。
キーワード ソウルオリンピック 全日本柔道選手権大会