北の大地の新聞名寄新聞に、以下の記事が掲載されました。戦争遺跡を継承する営みが希薄な日本の典型を見る記事です。こういう記事が、もっと書かれていれば、またテレビで報道されていれば、日本国民の歴史認識、侵略戦争に対する反省とそれにもとづく行動はどうなっていることでしょうか。
現在だけをみれば、幌加内町の3つの「日本一」ということになるのでしょうか。ワカサギ漁で過疎を食い止めていこうということも悪いことではありません。
しかし、この湖の恩恵であるワカサギ漁ができるのも、忌まわしい戦争の臭いがプンプンしているはずです。ちょっと考えれば、の話です。ちょっと勉強すれば、の話です。しかし、日常生活に追われている人間は、東日本大震災に被災地、とりわけフクシマゲンパツの汚染の苦しむ福島県民の苦悩を忘れてしまうように、また沖縄の米軍基地の被害に苦しむ沖縄県民に寄り添うのではなく、尖閣に領海侵犯する中国の無法を思えば米軍基地もやむを得ないという「風評」でいっぱいになっているかのように錯覚してしまうのです。マスコミの世論調査は、そのことを示しています。
しかし、「朱鞠内を北海道の人が誇れるような場所にしたい」というのであれば、日本の反戦平和の典型地として名乗りを上げれば良いのではないでしょうか。日本国憲法の平和主義を学ぶ「聖地」という発想です。このことはすでに記事にしました。
憲法の平和主義具体化番組NHK目撃日本列島 新たな絆を作りたい “国境”を超えた交流合宿にアッパレ!(2014-03-09 11:07:15)
サッカーの浦和レッズの一部サポーターがサッカーゴールの近くに皇軍の軍旗で軍国主義の象徴である「旭日旗」を振りながら「聖地」を設け、「ジャパーニーズオンリー」と、その「聖地」への足の踏み入れを拒否したことを思えば、平和の「聖地」づくりは、国際社会から、いやアジアか称賛の声があがることは確実です。
このような視点に、全国各地の戦争遺跡を持つ地域が名乗りを上げないのはなぜでしょうか?世界遺産化しないのは何故でしょうか。憲法九条をノーベル平和賞に、という一市民の行動を紹介しましたが、このことは、本来であれば、時の政権はやるべきことです。
しかし、こうした可笑しさに疑問も持たないというのが、日本国民の、偽らざる現実なのです。マスコミも、このことを問いかけることすら、していません。
こうした状況を反映した、可笑しなニュース・事件が、日々これでもか、これでもか、と国民に垂れ流されているのです。先日も「ごちそうさん」で、め衣子さんが言っていました。敗戦直後の闇市で、闇で手に入れたものを使って撃って飯を食っている国民を、政府は取り締まるのではなく、「飯を食わせろ」と。まるで「朕はたらふく食ってるぞ」というプラカードを掲げて不敬罪に問われた事件を想い出しました。また法を守る裁判官が、悪法であってもそれを守るために餓死をしてしまったという話がある一方、このような当たり前のことを言ったかどうか別にしても、普通の庶民のこんな叫びが新鮮に響いてくる現在日本の世の中、「しょうがないな」式のマンネリの中にあるのではないでしょうか?可笑しなことを可笑しいと言えない事実が、日本の中に満ち溢れていないでしょうか。「向日三軒両隣」ではなく「自己責任」と諦めていないでしょうか。
名寄新聞 朱鞠内湖悲話 2014/3/17 20:07
http://www49.atpages.jp/toms/charset.php?s=Shift_JIS&d=UTF-8&url=http://www.nayoro-np.com/kankodori/2014-03-17.html
風連公民館主催の「冬のアウトドア&料理体験」が幌加内町朱鞠内(しゅまりない)湖畔で行われ、ワカサギ釣りなどアイスフィッシングを楽しんだとの本紙報道を目にした。これに合わせ手打ちそば講座も好評だったとか、結構なことだ。この際、同湖の完成には、突貫工事ゆえの数々の悲話が隠されていることを知っておきたい
▲同湖は、幌加内町、雨竜川上流に位置する人造湖で、戦後、佐久間ダムが完成するまでは、日本最大の湛水面積(広さ2、373ヘクタール)を持つ人造湖とされていた。戦時中の突貫工事とあって、1941年(昭和16年)の着工から1943年(同18年)の完成まで延べ数百万人の労働者が動員された
▲その労働環境は、日本人のタコ部屋労働のみならず、強制連行された朝鮮人、中国人の多くが劣悪な環境と条件の中で強制労働に駆り出された。衰弱して労働に耐えられなくなった労働者の中には、ダムの湖底に生き埋め同様に投棄され、これまでに200人以上の犠牲者が判明(現地居住者の話)しているという
▲雨竜第1ダムの近くには殉難者の「慰霊塔」が建てられ、湖畔に近い光顕寺には、当時の犠牲者に関する資料も展示され、関係者による慰霊の催事が行われているが、悲しく痛ましい歴史が今なお語り継がれている。(引用ここまで)
明日、NHKおはよう北海道をチェック!!: 朱鞠内湖の釣り情報 2014年3月3日
朝日新聞デジタル:旧朱鞠内駅 - 北海道 - 地域 2014年2月2日
幌加内町には「日本一」が三つ、あるという。日本最大の生産量を誇るそば。日本最大の人造湖・朱鞠内(しゅまりない)湖。そして1978年2月、朱鞠内湖の北、母子里(もしり)地区で零下41・2度を記録した日本最寒の地。
もう一つの「日本一」が、かつてあった。「空気を運ぶ日本一の赤字路線」と言われた全長121・8キロのJR深名線だ。雨竜川上流をせきとめて造った朱鞠内湖で電力開発をする目的などで敷設され、41年に全線開業した。陰には強制労働の悲しい歴史もつきまとう。
朱鞠内駅は、深川と名寄両方面からの乗換駅。他の駅がどんどん無人化される中で、幌加内駅と並び、95年の廃止まで有人駅であり続けた。78年には国鉄総裁から零下60度まで測定できる特注の寒暖計を贈られたと町史にある。
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この深名線の廃止前後を足かけ5年にわたり追いかけた人がいる。 東京出身の伊丹恒さん(42)。写真を専攻した大学時代、卒業制作として選んだのが深名線だった。 東京から通いつめた。とある駅舎で寝袋にくるまっていると、近くの小学校の校長先生が様子を探りに来た。事情を説明すると、「それならうちに泊まりなさい」。ある時は、ソリに豆腐を載せて配達していた豆腐屋さんが「めしを食わせてやる。うちに来い」。 全国各地を回ったが、北海道ほどよそ者に温かい土地はなかった。撮りためた数百本のフィルムは写真集「幌加内~厳寒の地の生活鉄路・深名線とともに」に結実。こうした縁もあって、いまは北海道新聞社でカメラマンとして働く。
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朱鞠内湖はいま、ワカサギ釣りが最盛期。週末には夜明け前から車の列ができる。湖畔の宿泊施設「レークハウスしゅまりない」を運営するNPO法人理事長中野信之さん(39)も、縁あってここに根づいた一人だ。 大阪の高校を卒業後、働き口を求めて北海道を歩いた。朱鞠内にたどり着いたのは23歳のころだ。 「よそ者、ばか者、若者が、町を変える。お前がやってみろ」。漁協の組合長に目をかけられ、刺し網漁の禁止や必要以上に魚を捕獲しないなど、湖の資源の保護に乗り出した。いまでは幻の魚イトウに出会える湖として世界に知られるように。かつては空室が目立ったレークハウスも、順調に宿泊客を増やしている。 朱鞠内を北海道の人が誇れるような場所にしたい。それが、よそ者の自分を受け入れてくれた人たちへの恩返しだと信じている。(日比野容子)(引用ここまで)