「差別や政治問題化させる意図はなかった」トンデモ事件は、当時たちの思惑を超えて、トンデモナイペナルティーが課せられました。しかし、この問題について、真相は解明されている訳ではありません。
スポーツは自分と相手の選手や相手チームの尊重は相互関係をもっていることを前提としてはじめて成り立つ営みです。では、このような子どもでも判ることが、浦和レッズの一部サポーターに判らなかったのです。全く不思議です。別の視点で言えば、「ジャパニーズオンリー」、これは日本国憲法の以下の記述に関する無知・無理解があります。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。…われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。(引用ここまで)
日本国民は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」ことと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することで、「われらの安全と生存を保持しようと決意」したという憲法の思想を、スポーツを通して学ぶべきです。また、「いづれの国家(個人・人種・個人)も、自国(自分)のことのみに専念して他国(他人・他人種・他民族)を無視してはならない」ということも、スポーツを通して学ぶべきです。
この「政治道徳の法則(スポーツマンシップ)は、普遍的なものであり、この法則(スポーツマンシップ)に従ふことは、自国(自分)の主権を維持し、他国(相手の選手)と対等関係に立たうとする各国(アスリート)の責務であると信ずる」ということは、国家や人種・民族・国民・個人にも当てはまることです。
こうした当たり前のことが、憲法学習を通して、日本国民の中に充分蓄積されてこなかったからこそ、安倍首相派の憲法改悪勢力の跋扈が許されているのです。こうした風潮が、実は、今回の浦和レッズの「差別」事件の背景の一つを構成していることを、声を大にして言っておかなければなりません。
今回の横断幕「ジャパニーズオンリー」が掲示されることで、どのようなことが起こるか、その「想像力」の欠如の背景には、このような事象の常態化があったことを指摘しない訳にはいきません。この特定の人たちを排除することの常態化=マンネリ現象の奥に潜む憲法とスポーツを結びつけない、軽視・無知・無理解・身勝手が、実は日本全国中に蔓延っていたのではないかということを、今回の事件は浮き彫りにしたのです。
しかも、「国旗」=「日の丸」を使って、また「旭日旗」=「軍旗」が打ち振られることが常態化しているサッカー試合において起こされたことの意味を解明していく必要があります。それは、「差別や政治問題化させる意図はなかった」とする当事者たちの言い分と、それを容認する人たちの感覚です。百歩譲って、かれらの言い分を認めたとしても、また本人たちの自覚とは別だとしたとしても、彼らの歴史に対する無知から生まれる「想像力の欠如」が問題なのです。
近代以前の「日の丸」と「君が代」は、セットではなく、別々のものとして民衆の中に定着していたこと、また軍国主義とは無縁であったことは常識中の常識です。ところが、その民衆の中で定着していた「日の丸」と「君が代」を、「世直し」を求める民衆の「ご一新」をスリカエて、天皇制を構築するために利用したのが薩長藩閥政権でした。そうして大日本帝国憲法によって現人神となった天皇を支える装置として使われるのです。天皇制を利用する財閥(資本家)・地主・官僚、政党・軍閥などは、昭和期に入ると、天皇制を強化するための装置としていっそう強化するのです。それは対外侵略の精神的支柱=イデオロギーとするためでした。靖国神社と同じでした。
このことについては、たくさんの記事の書いてきましたので、ご覧ください。
愛国者の邪論は、サッカーの試合に打ち振られる国旗や旭日旗や熱狂的な応援の様子、林立する旗の数々など、統制の取れた応援などを見ていると、ナチスの政治集会、現在のヘイトスピーチや北朝鮮などを想像してしまいます。当事者たちは否定するでしょうけれど、よく似ているのです。サッカーの哲学的な意味を貶めていると思うのです。
サッカー試合における「日の丸」や「旭日旗」が、軍国主義とは無関係と主張するのであれば、これらを利用する人たちは、「国旗」=「日の丸」が、「君が代」=「国歌」とどのようにセットで、侵略戦争に利用されたか、「旭日旗」が、「皇軍の軍旗」としてどのような役割を果たしたか、説明してほしいものです。説明できないとすれば、それはそれで統制権限をもったサポーターとして、Jリーグとして、或いはチームの経営者として無責任ということになります。これは、もう大問題でしょう。
無自覚的に、軍国主義の象徴を使って、平和の土台づくりの重要な位置を占めているサッカースポーツを貶めているのですから。国際社会の笑い者になるでしょう。国際社会の恥です。
ところで、こうした身勝手が蔓延るには、それなりの理由と背景があります。それは、常識では考えられない写真をネット上に公開して会社が廃業を余儀なくされた事件、柏の通り魔事件など、最近の連日報道されている殺人事件の当事者たちが語っている身勝手な言動、食品や音楽・学問の世界の偽装事件などと、共通していることです。そうした身勝手な言動は、実は、政治の世界でも経済界の世界でも常態化していることは周知の事実です。こうした諸事実と政治家や経済界の重鎮たちの言動が、マスコミ等を通じて流布されることで、実は国民の思潮の中にも、その身勝手思想が沈澱しているのです。
それは、河野談話「見直し」を扇動する安倍首相派の言動、しかも安倍首相の言動は二枚舌ならぬ三重四重の舌があるかのようにクルクル変わるのです。その安倍首相の言動に対して責任を問う声は希薄です。更に言えば、安倍首相の「お・と・も・だ・ち」の政治家や小松法制局長官、一連のNHK役員の言動についても同様です。ブラック企業や非正規雇用のワーキングプアを野放しにしておいて大儲けしている財界とその役員たちの言動も野放しです。
東日本大震災の「風化」「風評」と原発再稼動と原発輸出問題、辺野古移設問題、集団的自衛権行使と武器輸出三原則空洞化問題、憲法「改正」国民投票要件の空洞化問題、消費税と社会保障・財政再建問題、橋下大阪市長や石原前都知事の挑発的言動、企業団体献金を受けながら政党交付金貰っている不道徳な政治家たちが道徳を説きながら、教育委員会制度を「改正」しようとする問題など、デタラメが闊歩しているのです。
そして何より「ねじれ解消」「決める政治」問題などにみるように、大ウソとデタラメ、スリカエとトリックに満ち溢れた世相が、日本中に覆っています。そうした状況を反映した事件が、日々、マスコミによって垂れ流され、拡大再生産されているのです。このような政治不道徳が氾濫し、「朱に交われば赤くなる」という諺にみるように、国民の意識と行動をつくっているのです。これが現在の日本の世相です。
このような「世相」「風潮」を反映して、一環として、今回の事件がサッカー界で起こったのです。これは、ある意味当然です。このことは、以下指摘しておきました。
ナショナリズムを煽る日本のマスコミに大喝!無自覚・無反省の旭日旗掲揚は良心・道徳心に反する! 2013年7月30日
最後に、以下の産経の記事で指摘されている「事実」はデタラメ・ゴマカシ・大ウソ・スリカエ・トリックの典型です。こうした思想と論理が、浦和レッズの差別事件を擁護するために使われていることを軽視してはならないと思います。しかし、ここに彼らの最大の弱点があります。「真実」を語っていないからです。検証してみます。
一つには、スリカエ、無知があります。中国では敗戦と同時に軍国主義の象徴として「桜」を切ったということですが、韓国では「桜」の発祥が日本ではなく韓国であるとする考えがあり、それで、現在もなお、桜祭りが行われているとのことです。このことは、ある日韓歴史の旅―鎮海の桜 (朝日選書): 竹国 友康に指摘されていることです。
二つには、「日本統治時代の都市計画の名残」と「日本と戦争したわけでもない韓国だけが気にしているのがどこか切ない」と中国やロシアとの戦争の兵站基地としての役割を持たせるために「植民地」としたことを意図的に隠し、ウソをつき、正当化しているのです。
因みに、朝鮮総督府の旧庁舎は、敗戦50年の8月15日光復節の日に尖塔切り離し式が行われ撤去解体されました。これは皇居の中に35年もの間、GHQが建物をつくって、日本を統治していることを想像してみれば、どんなことか、更には、朝鮮王宮内で閔妃殺害事件が起こされたことを、黒田氏はどのように説明するのか、お聞きしてみたいものです。このことを日本に当てはめて考えてみればいっそう植民地統治の不当さが判ります。それは皇后が皇居で米軍兵士、もしくはアメリカの無法者によって殺害されたという設定です。殺害された後の恥辱については、とても書くことはできません。黒田氏には、そのような視点も発想も想像力も欠落していることでしょうから、問題なし!ということだとは思います。ま、黒田氏にしてみれば、首都東京に巨大な米軍基地が配置されていることは従属でも屈辱でもなんでもないのでしょう。日米軍事同盟容認論者が、植民地正当化論者であり、大東亜戦争正当化論者であることを、証明してくれました。
社会科学者の時評: 旧「満洲国」植民地建築物 2012年8月30日
第三には、相変わらず皇軍の軍旗である旭日旗と朝日新聞の社旗を意図的に混同させ、揶揄し、皇軍の軍旗で、戦後自衛隊に引き継がれた旭日旗の歴史を正当化するのです。戦前であったなら、軍部からお叱りを受けるようなシロモノで、両者の違いを意図的にスリカエ、大ウソを振り撒くのだということも、ここで明らかになりました。これが産経の新聞記者としてソウルに派遣されているのです。色眼鏡をかけて歴史を視る性癖がある産経の本質は、似て非なるものの区別もできない新聞記者としての最低のモラルもありません。したがって産経新聞は新聞としての体をなしていないことが判ります。呆れます。
朝日新聞の社旗は旭日旗じゃないでちゅ。武田記者@hajimaru2さんの 2013年10月30日
朝日新聞の社旗と旭日旗 | タディの国旗の世界 2013年1月21日
【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 切ない旭日旗騒動 - MSN産経ニュース 2013年9月28日 2013.9.28 03:08
ソウルをはじめ韓国には道路の交差点が放射状になった「ロータリー」がよくある。日本統治時代の都市計画の名残だろうか、ソウル都心でも市庁前や大学街の新村(シンチョン)、再開発が進んでいる孔徳(コンドク)などの5差路はロータリーと呼ばれている。
そんな中で韓国最大の桜の名所として知られる鎮海(チネ)(昌原(チャンウォン)市)のロータリーについて、実は日本統治時代に軍艦旗(旭日旗)をモデルに放射状に造られたとする説があると、地元で聞いたことがある。鎮海は今も昔も軍港で春の桜祭りは「軍港祭」と言っているが、“ロータリー旭日旗説”には証拠はないため、韓国でよく耳にする「日帝(日本帝国主義)伝説」の一つといっていい。最近、韓国では朝の陽光をデザインした旭日旗を日本軍国主義の象徴だといって騒いでいる。日本と戦争した米国はもちろん中国だってそれほど関心はないのに、日本と戦争したわけでもない韓国だけが気にしているのがどこか切ない。この“旭日旗反日ブーム”に便乗した国会議員が、旭日旗を使うと法律で処罰するという法案を国会に提出した。「旭日旗模様を社旗にしている朝日新聞ソウル支局は困るよ」と韓国の新聞もからかっているが、いっそのこと鎮海市街地のロータリー大改造をぶち上げた方が話題になるのではないか。(黒田勝弘)(引用ここまで)