愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

浦和レッズの一部サポーターの他人種・他民族排除差別事件の背景には無知無恥思想あり!歴史偽装偽造!

2014-03-18 | スポーツと民主主義

「差別や政治問題化させる意図はなかった」トンデモ事件は、当時たちの思惑を超えて、トンデモナイペナルティーが課せられました。しかし、この問題について、真相は解明されている訳ではありません。

スポーツは自分と相手の選手や相手チームの尊重は相互関係をもっていることを前提としてはじめて成り立つ営みです。では、このような子どもでも判ることが、浦和レッズの一部サポーターに判らなかったのです。全く不思議です。別の視点で言えば、「ジャパニーズオンリー」、これは日本国憲法の以下の記述に関する無知・無理解があります。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。…われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。(引用ここまで

日本国民は、「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」ことと、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」することで、「われらの安全と生存を保持しようと決意」したという憲法の思想を、スポーツを通して学ぶべきです。また、「いづれの国家(個人・人種・個人)も、自国(自分)のことのみに専念して他国(他人・他人種・他民族)を無視してはならない」ということも、スポーツを通して学ぶべきです。

この「政治道徳の法則(スポーツマンシップ)は、普遍的なものであり、この法則(スポーツマンシップ)に従ふことは、自国(自分)の主権を維持し、他国(相手の選手)と対等関係に立たうとする各国(アスリート)の責務であると信ずる」ということは、国家や人種・民族・国民・個人にも当てはまることです。

こうした当たり前のことが、憲法学習を通して、日本国民の中に充分蓄積されてこなかったからこそ、安倍首相派の憲法改悪勢力の跋扈が許されているのです。こうした風潮が、実は、今回の浦和レッズの「差別」事件の背景の一つを構成していることを、声を大にして言っておかなければなりません。

今回の横断幕「ジャパニーズオンリー」が掲示されることで、どのようなことが起こるか、その「想像力」の欠如の背景には、このような事象の常態化があったことを指摘しない訳にはいきません。この特定の人たちを排除することの常態化=マンネリ現象の奥に潜む憲法とスポーツを結びつけない、軽視・無知・無理解・身勝手が、実は日本全国中に蔓延っていたのではないかということを、今回の事件は浮き彫りにしたのです。

しかも、「国旗」=「日の丸」を使って、また「旭日旗」=「軍旗」が打ち振られることが常態化しているサッカー試合において起こされたことの意味を解明していく必要があります。それは、「差別や政治問題化させる意図はなかった」とする当事者たちの言い分と、それを容認する人たちの感覚です。百歩譲って、かれらの言い分を認めたとしても、また本人たちの自覚とは別だとしたとしても、彼らの歴史に対する無知から生まれる「想像力の欠如」が問題なのです。

近代以前の「日の丸」と「君が代」は、セットではなく、別々のものとして民衆の中に定着していたこと、また軍国主義とは無縁であったことは常識中の常識です。ところが、その民衆の中で定着していた「日の丸」と「君が代」を、「世直し」を求める民衆の「ご一新」をスリカエて、天皇制を構築するために利用したのが薩長藩閥政権でした。そうして大日本帝国憲法によって現人神となった天皇を支える装置として使われるのです。天皇制を利用する財閥(資本家)・地主・官僚、政党・軍閥などは、昭和期に入ると、天皇制を強化するための装置としていっそう強化するのです。それは対外侵略の精神的支柱=イデオロギーとするためでした。靖国神社と同じでした。

このことについては、たくさんの記事の書いてきましたので、ご覧ください。

愛国者の邪論は、サッカーの試合に打ち振られる国旗や旭日旗や熱狂的な応援の様子、林立する旗の数々など、統制の取れた応援などを見ていると、ナチスの政治集会、現在のヘイトスピーチや北朝鮮などを想像してしまいます。当事者たちは否定するでしょうけれど、よく似ているのです。サッカーの哲学的な意味を貶めていると思うのです。

サッカー試合における「日の丸」や「旭日旗」が、軍国主義とは無関係と主張するのであれば、これらを利用する人たちは、「国旗」=「日の丸」が、「君が代」=「国歌」とどのようにセットで、侵略戦争に利用されたか、「旭日旗」が、「皇軍の軍旗」としてどのような役割を果たしたか、説明してほしいものです。説明できないとすれば、それはそれで統制権限をもったサポーターとして、Jリーグとして、或いはチームの経営者として無責任ということになります。これは、もう大問題でしょう。

無自覚的に、軍国主義の象徴を使って、平和の土台づくりの重要な位置を占めているサッカースポーツを貶めているのですから。国際社会の笑い者になるでしょう。国際社会の恥です。

ところで、こうした身勝手が蔓延るには、それなりの理由と背景があります。それは、常識では考えられない写真をネット上に公開して会社が廃業を余儀なくされた事件、柏の通り魔事件など、最近の連日報道されている殺人事件の当事者たちが語っている身勝手な言動、食品や音楽・学問の世界の偽装事件などと、共通していることです。そうした身勝手な言動は、実は、政治の世界でも経済界の世界でも常態化していることは周知の事実です。こうした諸事実と政治家や経済界の重鎮たちの言動が、マスコミ等を通じて流布されることで、実は国民の思潮の中にも、その身勝手思想が沈澱しているのです。

それは、河野談話「見直し」を扇動する安倍首相派の言動、しかも安倍首相の言動は二枚舌ならぬ三重四重の舌があるかのようにクルクル変わるのです。その安倍首相の言動に対して責任を問う声は希薄です。更に言えば、安倍首相の「お・と・も・だ・ち」の政治家や小松法制局長官、一連のNHK役員の言動についても同様です。ブラック企業や非正規雇用のワーキングプアを野放しにしておいて大儲けしている財界とその役員たちの言動も野放しです。

東日本大震災の「風化」「風評」と原発再稼動と原発輸出問題、辺野古移設問題、集団的自衛権行使と武器輸出三原則空洞化問題、憲法「改正」国民投票要件の空洞化問題、消費税と社会保障・財政再建問題、橋下大阪市長や石原前都知事の挑発的言動、企業団体献金を受けながら政党交付金貰っている不道徳な政治家たちが道徳を説きながら、教育委員会制度を「改正」しようとする問題など、デタラメが闊歩しているのです。

そして何より「ねじれ解消」「決める政治」問題などにみるように、大ウソとデタラメ、スリカエとトリックに満ち溢れた世相が、日本中に覆っています。そうした状況を反映した事件が、日々、マスコミによって垂れ流され、拡大再生産されているのです。このような政治不道徳が氾濫し、「朱に交われば赤くなる」という諺にみるように、国民の意識と行動をつくっているのです。これが現在の日本の世相です。

このような「世相」「風潮」を反映して、一環として、今回の事件がサッカー界で起こったのです。これは、ある意味当然です。このことは、以下指摘しておきました。

ナショナリズムを煽る日本のマスコミに大喝!無自覚・無反省の旭日旗掲揚は良心・道徳心に反する! 2013年7月30日

最後に、以下の産経の記事で指摘されている「事実」はデタラメ・ゴマカシ・大ウソ・スリカエ・トリックの典型です。こうした思想と論理が、浦和レッズの差別事件を擁護するために使われていることを軽視してはならないと思います。しかし、ここに彼らの最大の弱点があります。「真実」を語っていないからです。検証してみます。

一つには、スリカエ、無知があります。中国では敗戦と同時に軍国主義の象徴として「桜」を切ったということですが、韓国では「桜」の発祥が日本ではなく韓国であるとする考えがあり、それで、現在もなお、桜祭りが行われているとのことです。このことは、ある日韓歴史の旅―鎮海の桜 (朝日選書): 竹国 友康に指摘されていることです。

二つには、「日本統治時代の都市計画の名残」と「日本と戦争したわけでもない韓国だけが気にしているのがどこか切ない」と中国やロシアとの戦争の兵站基地としての役割を持たせるために「植民地」としたことを意図的に隠し、ウソをつき、正当化しているのです。

因みに、朝鮮総督府の旧庁舎は、敗戦50年の8月15日光復節の日に尖塔切り離し式が行われ撤去解体されました。これは皇居の中に35年もの間、GHQが建物をつくって、日本を統治していることを想像してみれば、どんなことか、更には、朝鮮王宮内で閔妃殺害事件が起こされたことを、黒田氏はどのように説明するのか、お聞きしてみたいものです。このことを日本に当てはめて考えてみればいっそう植民地統治の不当さが判ります。それは皇后が皇居で米軍兵士、もしくはアメリカの無法者によって殺害されたという設定です。殺害された後の恥辱については、とても書くことはできません。黒田氏には、そのような視点も発想も想像力も欠落していることでしょうから、問題なし!ということだとは思います。ま、黒田氏にしてみれば、首都東京に巨大な米軍基地が配置されていることは従属でも屈辱でもなんでもないのでしょう。日米軍事同盟容認論者が、植民地正当化論者であり、大東亜戦争正当化論者であることを、証明してくれました。

社会科学者の時評: 旧「満洲国」植民地建築物  2012年8月30日

第三には、相変わらず皇軍の軍旗である旭日旗と朝日新聞の社旗を意図的に混同させ、揶揄し、皇軍の軍旗で、戦後自衛隊に引き継がれた旭日旗の歴史を正当化するのです。戦前であったなら、軍部からお叱りを受けるようなシロモノで、両者の違いを意図的にスリカエ、大ウソを振り撒くのだということも、ここで明らかになりました。これが産経の新聞記者としてソウルに派遣されているのです。色眼鏡をかけて歴史を視る性癖がある産経の本質は、似て非なるものの区別もできない新聞記者としての最低のモラルもありません。したがって産経新聞は新聞としての体をなしていないことが判ります。呆れます。

朝日新聞の社旗は旭日旗じゃないでちゅ。武田記者@hajimaru2さんの  2013年10月30日

朝日新聞の社旗と旭日旗 | タディの国旗の世界  2013年1月21日 

 

【外信コラム】ソウルからヨボセヨ 切ない旭日旗騒動 - MSN産経ニュース 2013年9月28日 2013.9.28 03:08

 ソウルをはじめ韓国には道路の交差点が放射状になった「ロータリー」がよくある。日本統治時代の都市計画の名残だろうか、ソウル都心でも市庁前や大学街の新村(シンチョン)、再開発が進んでいる孔徳(コンドク)などの5差路はロータリーと呼ばれている。

 そんな中で韓国最大の桜の名所として知られる鎮海(チネ)(昌原(チャンウォン)市)のロータリーについて、実は日本統治時代に軍艦旗(旭日旗)をモデルに放射状に造られたとする説があると、地元で聞いたことがある。鎮海は今も昔も軍港で春の桜祭りは「軍港祭」と言っているが、“ロータリー旭日旗説”には証拠はないため、韓国でよく耳にする「日帝(日本帝国主義)伝説」の一つといっていい。最近、韓国では朝の陽光をデザインした旭日旗を日本軍国主義の象徴だといって騒いでいる日本と戦争した米国はもちろん中国だってそれほど関心はないのに、日本と戦争したわけでもない韓国だけが気にしているのがどこか切ない。この“旭日旗反日ブーム”に便乗した国会議員が、旭日旗を使うと法律で処罰するという法案を国会に提出した。「旭日旗模様を社旗にしている朝日新聞ソウル支局は困るよ」と韓国の新聞もからかっているが、いっそのこと鎮海市街地のロータリー大改造をぶち上げた方が話題になるのではないか。(黒田勝弘)(引用ここまで

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破綻ずみの「対話と圧力」論に固執する産経こそ拉致問題の解決を遅らせる!その証拠はこれだ!

2014-03-18 | 北朝鮮

横田夫妻の記者会見の笑顔を見ていて、もっと早く面会が実現できていれば、と思いました。月並な言葉を使えば、日朝両国政府に翻弄された悲しい事件と言えます。この事件の解決について、以下のような産経の「主張」が大手を振って、世間に振り撒かれるようでは、拉致問題を含めて、日朝問題、東アジアの平和の実現は難しいと思いました。そこで、以下検証してみました。

今回の面会は、拉致問題を含めて、日朝関係の改善に向けた貴重な一歩であったように思います。それは、今回の面会が、産経自身が「父親の滋さんは81歳、早紀江さんも78歳になる。高齢の夫妻」などと認めるように「人道」上の問題が大きな理由・要因となったことは明らかです。

しかも、今回の面会実現にあたって、北朝鮮に埋葬されている日本人遺骨収集などの動きがあったことを見過ごすことはできません。

しかし、「墓参りを定期的なものにし、日本からの外貨獲得も期待していることが考えられる。ただ、北朝鮮が熱心に呼びかける遺骨収集や墓参りには、極めてあいまいな点が多すぎるとの遺族の指摘も少なくない」などと、消極的な、不信感を助長する産経の主張は、この遺骨収集については、語っていません。

しかも、産経の北朝鮮政府に対する「憎悪」は、「夫妻の当然で普通の喜びの場を奪ったのは、北朝鮮である」と、半端ではありません。極めて扇動的です。しかも、一方では、「高齢の夫妻が初めて孫に会えた喜びは、どれほどだったろう」「何と残酷な年月だったろう」などと、情緒に訴えるのです。

しかし、こうした産経の主張のネライは極めて政治的です。それは、今回の面会の貴重な意義についての無理解にも顕れています。すなわち「高齢の夫妻が初めて孫に会えた喜びは、どれほどだったろう」「『一つのことをきっかけに、日朝会談が何とか良く進められ、全被害者救出のためになることを切望します』と記した夫妻の思いに日本政府は応える責務がある」としながらも、「だが拉致事件の解決に向けて、事態は何も進展していない」と、今回の面会の貴重な経験が、一つも教訓化されていないからです。

こうした「無理解」は、実は、産経の特異な政治的立ち居地に、その原因があります。それは、「日本政府は拉致被害者の全員帰国へ向け、北朝鮮への圧力を緩めてはならない現状で制裁の一部解除や経済的な見返りを求められても応じられない。核やミサイル開発についても、北朝鮮は放棄への具体的行動をみせていない」「日本政府は国際社会とともに、北朝鮮への圧力を強めるべきだ」などと、政治的なネライを浮き彫りにさせていることに示されています。

そもそも、拉致問題は、「昭和52年11月、13歳だっためぐみさんを拉致して北朝鮮に連れ去った」とあるように、1970年代に発生した問題でした。しかし、「めぐみさんらの行方不明事案を北朝鮮による拉致と認定した」のは、「日本政府はようやく平成9年5月」とあるように、相当の時間を費やさねばならなかったのです。この「日本政府」の責任を棚上げすることはできないことは当然ですが、産経は、このことについては、ここでは語っていません。

勿論、北朝鮮政府に、その責任があることは言うまでもありません。問題は、こうした認識に至るまでの日本政府は何をやってきたか、ということと、判明して以後、日朝平壌宣言(平成14 (02)年9月17日)以後、何をやってきたか、ということです。今回の面会は、これまでの取り組みが、全くムダであったとは言いませんが、それにしても、「人道上の問題」から、面会が可能になったこと、しかもモンゴルにおいて実現したことは、貴重な一歩であったということです。

問題は、この貴重な経験から何を学ぶかということです。産経の言うように、「拉致を含む北朝鮮の人権侵害を『人道に対する罪』と断じた」からとして、「圧力を緩めてはならない」「圧力を強めるべき」一辺倒では、解決の糸口は見えてこないでしょう。そのことは「一つのことをきっかけに、日朝会談が何とか良く進められ、全被害者救出のためになることを切望します」と呼びかけた横田夫妻の願いを見れば明らかです。

解決のヒントは日朝平壌宣言 にあることは言うまでもないでしょう。ここで述べられたことを両国政府と国民は、具体的に確認していく必要があります。

両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した」とありますが、両国政府の動きはだおうだったでしょうか。産経の言うように、その責任は北朝鮮政府にあるのでしょうか。

この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」とした「あらゆる努力」とは何を指しているのでしょうか。

日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」とありますが、それは具体化されたでしょうか。特に産経は、どうだったでしょうか。

双方は…国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした」とありますが、このことの中身は「誠実に協議」されてきたでしょうか。でkていません。それは北朝鮮政府の側に責任があるということでしょうか。

双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致する」という「基本認識」について、合意していますが、このことの意味について、日本政府、産経は、日本国民の合意を形成するようにしてきたでしょうか。

双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した」とありますが、このことはどのようなことを指しているのでしょうか。北朝鮮政府の側に、その責任を負わせていないでしょうか。日本国政府は、国際法を遵守しているでしょうか。

また、「日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」として、「拉致問題の解決」が「今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した」とあります。「適切な措置」とはどのようなことかについて、話し合いができていないことの原因は、北朝鮮政府の側にだけ問題があるということでしょうか。

双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した」とありますが、「互いに協力していく」とはどのようなことか、議論できているでしょうか。

双方は、「この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認する」とありますが、「相互の信頼に基づく協力関係」とは、具体的にはどのようなことでしょうか。議論されているでしょうか。

双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守すること…核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した」「朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した」とあります。しかし、

その直後「北朝鮮は、2003年1月10日、アメリカ合衆国の軍事的脅威を理由に挙げ、核拡散防止条約第十条を根拠にNPTからの脱退を通告した。そして2005年2月10日、公式に核兵器の保有宣言を行い、2006年10月9日に地下核実験を行った事から当条約上で定義された「核兵器国」以外の事実上の核保有国となった」(ウィキ)とあるように、憲法九条をいただく日本国として北朝鮮の側の主張をどのように受け止めるのでしょうか。

ところが、日米軍事同盟を結び、アメリカの核の傘の下にある日本の立場は、「北朝鮮の挑発的言動」などという報道にみるように、テレビ等で日々垂れ流されているとおりです。今や日本全国が、北朝鮮「悪者」論に立っていることは明らかです。戦前の「鬼畜米英」論と同じです。そのことは、産経の主張に如実に示されています。

このことについては、すでに何回も記事にしてきました。愛国者の邪論は、北朝鮮の蛮行を認めるものではありませんが、それを国民に煽って、国民の中に、偏狭なナショナリズムを醸成させているだけでは、国際法と日朝平壌宣言を具体化していくことはできないということを繰り返し強調してきました。このことは、韓国の日本批判に対して「反日」として批判する日本の論調と、同じであることを強調してきました。

更に言えば、こうした扇動が、実は、日本国憲法の平和主義を否定し、憲法を改悪する地ならしであること、日米軍事同盟の深化としての集団的自衛権の行使、その具体化の一つとしての敵基地攻撃論の具体化や武器輸出三原則の空洞化への道であることも強調してきました。国民の北朝鮮への不信感、恐怖感を口実として、利用して、憲法改悪を狙う姑息な手口であることを強調してきました。

拉致問題は、その発生から、認知へ、そして解決に向けて、こうした流れの中で、翻弄されてきたことは、今回の面会でも明らかになりました。

悪者・無法者の北朝鮮と議論するためにはどのような方法があるでしょうか。どのようにすれば国際法の枠内で議論していくことができるでしょうか。

その点で言えば、今回の人道問題は貴重な経験です。北朝鮮政府の「人道に対する罪」を産経は協調していますが、この「慰安婦」問題などにみるように、「人道に対する罪」問題は、日本国政府にも適用されることは、言うまでもありません。しかし、産経は、そのことを覆い隠しています。ここに最大のポイント、アンフェアーがあります。

それは、日朝平壌宣言にあるように「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実」に対して「謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ち」をどのように示していくか、という問題があるからです。

もう一つは、今や国際社会において、常識中の常識となってきた非人道的兵器である核兵器についての日本国の立場についての真摯で、謙虚な対応です。アメリカの核兵器の核の持ち込みを容認しておいて、また世界最強の米軍の配備を容認する日米軍事同盟を結んで、北朝鮮に「脅威」を与えている事実です。このことは北朝鮮に対する「抑止力」として容認しているのです。日米韓は、北朝鮮の「脅威」を理由に、その「抑止力」として合同軍事演習を黄海や日本海で展開しているのです。日本国民も、そのことについては当然と考え、「思考停止」に陥っているのです。北朝鮮にとってみれば、どのような「脅威」となるか、という「想像力」は全く欠落しているのです。これは大問題です。

北朝鮮の「挑発的」言動を「脅威」として煽る日米韓が、実は北朝鮮に対して「脅威」と挑発を繰り返しているという事実、安倍首相の挑発的言動が、どのような「脅威」を与え、北朝鮮の「挑発的言動」「脅威」の「口実」となっているか、北朝鮮にしてみれば、そのような日米韓の「挑発」の「抑止力」として、諸実験や攻撃など、「挑発的言動」を繰り返しているのです。日本国民の側の、そのことに対する「想像力」の欠如の問題は、全く欠落しているのです。

以上のことを考えると、「どっちも、どっち」と言えます。侵略戦争の反省のうえに制定された日本国憲法の人権尊重主義、国民主権主義、そして紛争の解決は、非軍事的手段を使うことを謳った平和主義を掲げている日本国が取るべき政策は、明瞭です。

それは、国家が発動する戦争、武力行使、威嚇=脅し=軍事的抑止力論を放棄することを明確にすること、ヒロシマ・ナガサキ・ビキニ・フクシマを体験した国として、非核三原則を具体化する東アジア非核地帯構想を提唱すること、この提唱にもとづき、日朝国交交渉を実現し、話し合いで、日朝平壌宣言の理念と確認事項を具体化していくことです。

その根底には、北朝鮮政府が具体化した「人道」を積極的に活用していくことです。こうした視点にたってこそ、交渉のテーブルが設置され、話し合いが展開できるのではないでしょうか。日米韓中朝露、そしてモンゴルを含めた関係各国が、同じ視点に、国際法遵守の立場にたってこそ、東アジア、或いは北東アジアの平和共同体が構築できるのではないでしょうか。その突破口の一つに、拉致問題もあることが、今回の面会で示されたように思うのです。

【主張】横田夫妻と孫面会 全員帰国へ圧力緩めるな 2014.3.18 03:08 (1/2ページ)[主張

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140318/kor14031803270001-n1.htm

 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの両親が、めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさんとモンゴルで面会した。母親の早紀江さんは「普通のおばあちゃんとして話せて楽しかった」と語った。父親の滋さんは81歳、早紀江さんも78歳になる。高齢の夫妻が初めて孫に会えた喜びは、どれほどだったろう。だが拉致事件の解決に向けて、事態は何も進展していない。日本政府は拉致被害者の全員帰国へ向け、北朝鮮への圧力を緩めてはならない。

 夫妻の当然で普通の喜びの場を奪ったのは、北朝鮮である。昭和52年11月、13歳だっためぐみさんを拉致して北朝鮮に連れ去った。夫妻はめぐみさんを捜し続け、日本政府はようやく平成9年5月、めぐみさんらの行方不明事案を北朝鮮による拉致と認定した。14年9月の日朝首脳会談で北朝鮮は「めぐみさんは死亡した」と伝えたが、夫妻はこれを信じず、帰国を求め続けた。ウンギョンさんの存在が明らかになっても、平壌での面会は「拉致問題は解決済み」とする北朝鮮の思惑に利用されるとして、会いたい気持ちを抑えてきた。何と残酷な年月だったろう。ウンギョンさんの手料理も食べたという早紀江さんが「夢のようだった」と話すのも無理はない。一方で早紀江さんは気丈に「めぐみや他の被害者も、きっと頑張っていると思った。希望が持てた」とも語った。「一つのことをきっかけに、日朝会談が何とか良く進められ、全被害者救出のためになることを切望します」と記した夫妻の思いに日本政府は応える責務がある。

 面会の場では、めぐみさんに関する新たな情報は、何ももたらされなかった。20年6月に北朝鮮が約束した拉致被害者の再調査も実施されないままだ。現状で制裁の一部解除や経済的な見返りを求められても応じられない。核やミサイル開発についても、北朝鮮は放棄への具体的行動をみせていない。国連人権理事会の調査委は拉致を含む北朝鮮の人権侵害を「人道に対する罪」と断じたばかりだ。日本政府は国際社会とともに、北朝鮮への圧力を強めるべきだ。まず24年11月以来途絶えている日朝局長級協議を再開させ、拉致事件の再調査を強く求め、実現させてほしい。(引用ここまで

日朝赤十字会談 政府間交渉再開狙う 北、外貨獲得へ積極姿勢 2014.2.28 12:44 北朝鮮

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140228/kor14022812470003-n1.htm

遺骨収集再協議を確認 拉致問題など意見交換 日朝赤十字会談で外務省当局者、2時間非公式協議 2014.3.3 20:15 (1/2ページ)外交

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140303/plc14030320190013-n1.htm

(1)北朝鮮遺骨収集に群がる欲得利権と北朝鮮の工作 - 日本のために  2013年10月14日

 

次に、以下の産経抄に書かれた「第三国での面会を認めた北朝鮮に、何らかの政治的な思惑があるのは明らかだ」論のマンネリ的北朝鮮不信感の中に、茨木のり子さんの詩の視点は見えてくるでしょうか。横田夫妻の「政治的な問題がからむ場にしたくなかった」けれども、「一つのことをきっかけに、日朝会談が何とか良く進められ、全被害者救出のためになることを切望します」という願いは通しません。今回の面会を、めぐみさんを含めた全被害者救出につなげることができるか。これからは、まさに政治の出番」というのであれば、「人道主義」を全面にした視点こそ、再構築が必要です。

【産経抄】一番幸せだったのは 3月18日 2014.3.18 03:05 (1/2ページ)産経抄

http://sankei.jp.msn.com/world/news/140318/kor14031803230000-n1.htm

8年前、79歳で亡くなった詩人の茨木のり子さんに、祖母を題材にした「答」という作品がある。「ばばさま/ばばさま/今までで/ばばさまが一番幸せだったのは/いつだった?」。

▼14歳だった茨木さんが問いかけると、「間髪を入れず」に答えが返ってきた。「『火鉢のまわりに子供たちを坐(すわ)らせて/かきもちを焼いてやったとき』」。歓声を上げる子供たちのなかに、茨木さんの母親の姿もある。

▼北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの父、滋さん(81)と母、早紀江さん(78)が、めぐみさんの娘のキム・ウンギョンさん(26)と、モンゴルで面会していたことがわかった。ウンギョンさんが同じ質問をしていたら、早紀江さんは、めぐみさんとのどんな思い出を話し聞かせただろう。

▼「若い時のめぐみの感じによく似ている」。横田夫妻にはひ孫に当たる生後10カ月の女児を連れて来たウンギョンさんについて、早紀江さんはきのうの会見で、こう語っていた。教科書にも掲載されている茨木さんの「わたしが一番きれいだったとき」は、戦争で奪われた青春をうたった詩だ。めぐみさんは、北朝鮮によって13歳以降の人生を奪われた。早紀江さんは、「一番きれいだったとき」のめぐみさんの面影を、ウンギョンさんのなかに見つけたのだろう。

▼横田夫妻は、何よりも知りたいめぐみさんの安否について、面会で触れなかった。「政治的な問題がからむ場にしたくなかった」からだという。もっとも、第三国での面会を認めた北朝鮮に、何らかの政治的な思惑があるのは明らかだ。

▼横田夫妻が「奇跡的な日」とふり返る今回の面会を、めぐみさんを含めた全被害者救出につなげることができるか。これからは、まさに政治の出番である。(引用ここまで 

以下、茨木のり子さんの詩についての記事を掲載しておきます。『ハングルへの旅』(朝日文庫89年3月刊)のなかで「朝鮮語抹殺政策を徹底させながら、遂に叩きつぶせなかったことは、日本が敗退してすぐ、ハングルが息を吹き返して芽ぶいてきたことでもわかる。見えないところで脈々と地下水のように流れているのだ」と書いた茨木のり子さんが、この産経抄を読んだら、どのような感想をもつでしょうか。

茨木のり子·感動の詩

茨木のり子さんの詩をもう一篇 S.S - Bekkoame

筑摩教科書「空と風と星と詩」 - nifty 2005年2月16日

朝鮮·韓国のキリスト教詩人 尹東柱(ユン·ドンジュ)の詩: 醍醐聰のブログ 2011年1月7日

詩 … 聴く力 … 茨木のりこ 作 - Biglobe

「聴く力」を持たなければ、言葉はもはや言葉たり得ない ヒカレものの呟き2013年10月2日

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