愛国者の邪論

日々の生活のなかで、アレ?と思うことを書いていきます。おじさんも居ても立っても居られんと小さき声を今あげんとす

人類普遍の原理である人権を侵害する「命令」は「命令」として有効か?

2012-01-20 | 日記

今大阪で起こっていることは、異常で、関係者は勘違いをしているようであるので、コメントしておこう。問題意識は、
一つには、この大阪・東京で起こっていることが、あの北朝鮮や中国で起こったら、日本のマスコミはどう報道するだろうか?国民はどう思うだろうか?その視点で考えてみたい。
二つには、今起こっていることが憲法を教えるべき教育現場で起こっていることの意味を考えてみるということだ。

彼らの根拠である地方公務員法では、以下のようになっている。

地方公務員法
(服務の根本基準)
第三十条  すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、且つ、職務の遂行に当つては、全力を挙げてこれに専念しなければならない。
(服務の宣誓)
第三十一条  職員は、条例の定めるところにより、服務の宣誓をしなければならない。
(法令等及び上司の職務上の命令に従う義務)
第三十二条  職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。

とある。
「全体の奉仕者として公共の利益のため」「法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実」に従えということである。

「全体の奉仕者」とは、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(日本国憲法第15条)のいうように、「国民全体」という意味だろう。

「服務の宣誓」とあるが、公務員の宣誓については、「職員の服務の宣誓に関する政令」(昭和四十一年二月十日政令第十四号)に以下のように書かれている。
宣誓書
私は、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し、日本国憲法を遵守し、並びに法令及び上司の職務上の命令に従い、不偏不党かつ公正に職務の遂行に当たることをかたく誓います。

とある。「命令」の前にあるものは「日本国憲法」である。公務員であっても日本国憲法を遵守する「義務」「責任」があるのだということだ。

だから「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」(第98条)と憲法の条規に反する「命令」は「効力を有しない」ということだ。

では「君が代」を「命令」として強制できるだろうか?わざわざ「命令の内容は各学校長が教職員に伝え、伝えた日時などを職員会議の議事録などに残すことも求め」なければならないような「命令」は普遍的「命令」だろうか?

しかも、この記事の内容を見る限りでは、子どもへ配慮・教育上の問題が完全に抜け落ちている。子どもに、わが国の「国歌=君が代」を歌え、「国旗=日の丸」を礼拝しろと教えることは教育的だろうか?このことが完全に抜けているのは為政者の「驕り」言っておこう。

そもそも「精神の自由に関する問題を、多数派の意向や思惑で押しきってはならない。それは歴史の教訓であり、近代民主主義を支える精神である。自分とは異なる意見の存在を受け止め、心の内にはむやみに踏み込まない。そうした寛容な土壌のうえに、しなやかで、実は力強い社会が生まれる」という指摘は極めて正しい。

二つ目の問題として考えなければならないことは、「日の丸・君が代」が「国旗・国歌」として「普遍」的であるならば、「命令」でなくして「すんなり」受け入れられるように「教える」ことを、まずやるべきだろう。その際には教えるべき教師の側に教育研究の自由を完全に保障しなければならないことは言うまでもない。さらには、教師は子どもの思想信条の自由、意見表明権も尊重しなければならないことも言うまでもない。

大人が最も考えなければならないことは、人権の守り手として、子どもを育てる学校で、「命令」が横行することの意味だ。こういうことが起こる教育現場では他人の人権を尊重する責任・義務を教えることはできるだろうか?多様な個性=思想や信条を認めあうことこそが、自分を認めてもらうことになるのだ。「いじめ」の根源には、このことの意味が欠落しているのではないだろうか?

何故大阪や東京で、このような問題が起こるか?それは日本では大日本帝国憲法の思想が残滓として色濃く残っているからだろう。「権利を言う前に義務を果たせ」とか、「嫌なら出て行け」「命令に従わなければ公務員を辞めろ」などというロジックが疑問をもつことなく流布している。弁護士である橋下市長に典型的に出ている。単純だが、これは歴史を踏まえないものだ。

これは一つには憲法の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(第99条)という「義務」論に対する無理解である。
二つには「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの」(第97条)という歴史の無理解である。
三つには「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」(第28条)という「権利義務」観の歴史と役割の無理解である。

最後には、大阪や東京で起こっている「国旗・国歌」問題に対して、「多数の」国民が支持している問題をどのように考えたら良いだろうかということである。多数が支持しているから「正しい」ということにはならない。唯一「正しい」のは日本国憲法の「理念」ということだけだ。

一つには、全体の奉仕者である公務員という位置づけである。戦前の天皇の「公僕」「下僕」観から「国民に奉仕する」公の労働者観である。雇い主は税金納入権を行使している国民である。公務員の権利と国民の権利、それらを守る責任・義務をどのように一致させていくか、ということである。
もう一つは、それに関連して言うならば、教育現場で「命令」を発している「上司」は、祝日に、家の門前に日の丸を掲揚しているだろうか、また礼をしているだろうか?国民も同様である。これが祝日に国旗を掲揚せず、礼拝しないというようなことになり、「処分」「排除」ということになってきた時に、この国の「常識」はどのように反応するだろうか?
三つには、南アやロシアあそうであったように、政治体制が変われば、国旗や国歌は変更されるということである。戦前の「遺産」が大日本帝国憲法下から日本国憲法下の日本に大きく変わったにもかかわらず、変更されず、むしろアメリカによって復活させられてきた歴史、公務員法も同様である。

そのなかで日本国の有り様が、根本的に議論されないまま、今日に至ったという事実だ。したがって、この問題をとおして、日本の歴史や有り様が、もっとまきおこることを期待したいものだ。教育現場だけでに任しておいて良い問題ではないからだ。

コメさへも米国の意になることを疑問ももたぬ瑞穂の国か


関連する記事を掲載しておく。

君が代の起立斉唱 大阪府教委が命令 全教職員1万3千人に
 大阪府教育委員会は17日、府立学校の全校長を集めた臨時校長会を開き、中西正人教育長が全教職員約1万3千人を対象に、入学式と卒業式での君が代の起立斉唱を求める職務命令を出した。起立斉唱を義務づけた全国初の「大阪府君が代条例」を踏まえた措置。近年の式典では毎回30~80人が不起立で、大量の処分者が出る可能性がある。
 教育長は、集まった校長と准校長計180人に「条例では国歌斉唱の際に教職員は起立により斉唱を行うことが定められている」「式場内のすべての教職員は国歌斉唱に当たっては起立して斉唱すること」との職務命令を読み上げた。命令の内容は各学校長が教職員に伝え、伝えた日時などを職員会議の議事録などに残すことも求めた。
 府教委はこれまで、起立斉唱は思想信条にかかわる事柄でもあることから現場での説得を重視。事前に「起立しない」と表明した教職員だけに職務命令を出していた。こうした対応が橋下徹・前知事に批判され、全国初の君が代条例成立につながったことから、今後は一律命令を出して条例順守を求める姿勢を明確にする。命令に反して起立を拒めば、地方公務員法に基づく懲戒や訓告などの処分対象となる。

命令違反2回は停職→減給 大阪府知事、最高裁判決受け(MEB上の記載)
職務命令違反2階は減給に 大阪府知事、条例案の修正方針(新聞表現)
 大阪府の松井一郎知事は17日、教育・職員基本条例案の職務命令違反に関する処分規定について、1回目の違反者の減給処分をやめ、2回目の処分も停職から減給に変更する修正方針を明らかにした。16日の最高裁判決で、君が代の起立斉唱をめぐる職務命令に違反した教職員への減給、停職処分に慎重な対応を求める判断が示されたことを考慮した。
 大阪府の教育・職員基本条例案では、1回目の職務命令違反で減給か戒告、2回目は停職の懲戒処分とし、同じ命令に3回背いた場合は民間の解雇にあたる「分限免職」と定めている。
 松井氏は記者会見で、2月府議会に提案予定の条例案で、1回目の違反は減給を削除して戒告のみに、2回目の処分は停職をやめて減給に、3回目以降は停職も選択肢に入れる考えを示した。違反のたびに職員を指導研修して「職務命令に従う」と誓約させ、誓約しない場合は「現場に戻せない」とした。
http://www.asahi.com/politics/update/0118/OSK201201180046.html

君が代判決―行き過ぎ処分に歯止め
 卒業式や入学式のシーズンを前に、最高裁から注目すべき判決が言い渡された。
 「式では日の丸に向かって立ち、君が代を歌うように」。そんな校長命令に従わなかった東京都の教職員への処分が、妥当かどうかが争われた裁判だ。
 結論はこうだった。
 規律や秩序を保つために、戒告処分はやむをえない。それをこえて減給や停職とするには、慎重な考慮が必要だ。式典を妨害したなどの事情がないのに、命令違反をくり返したというだけで、こうした重い処分を科すのは違法である――。
 日の丸・君が代は戦前の軍国主義と深い関係があり、その評価は一人ひとりの歴史観や世界観に結びつく。
 最高裁は、昨年の判決で「起立や斉唱を命じても、憲法が保障する思想・良心の自由に反しないが、間接的な制約となる面がある」と述べ、学校側に抑制的な対応を求めた。今回の判決はその延長線上にある。
 私たちは、日の丸を掲げ、君が代を歌うことに反対しない。だが処分してまで強制するのは行きすぎだと唱えてきた。
 その意味で、戒告が認められたことへの疑問は残るが、最高裁が減給・停職という重大な不利益処分に歯止めをかけたことは、大きな意義がある。
 教育行政にかかわる人、なかでも橋下徹大阪市長が率いる大阪維新の会のメンバーは、判決をじっくり読んでほしい。
 維新の会は大阪府と大阪市で「命令に2度違反で停職」「研修を受けたうえで3度目の違反をしたら免職」という条例の制定を打ち出していた。
 違反に至った背景や個別の事情には目を向けず、機械的に処分を重くしていくもので、今回の判決の趣旨に照らして違法になるのは明らかだ。
 さすがに橋下市長と松井一郎知事は見直す考えを示した。だがそれは、停職処分とする前にも研修の機会を設けるという案で、問題の本質を理解した対応とはとても言えない。
 選挙で圧勝した2人には、民意の支持という自信があるのだろう。もちろん民意は大切だ。
 しかし、精神の自由に関する問題を、多数派の意向や思惑で押しきってはならない。それは歴史の教訓であり、近代民主主義を支える精神である。
 自分とは異なる意見の存在を受け止め、心の内にはむやみに踏み込まない。そうした寛容な土壌のうえに、しなやかで、実は力強い社会が生まれる。
 判決の根底に流れるこの考えをしっかりと受け止めたい。
http://www.asahi.com/paper/editorial20120118.html#Edit2

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国会議員削減で国会と国民のパイプが削られる!喜ぶのは?苦しむのは?

2012-01-19 | 選挙制度

民主党が衆議院議員85人も削る案を決めた。「毎日」が社説を出した。そこでいくつか。

1票の格差と定数 議員が模範を示さねば毎日新聞 2012年1月19日 2時31分
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20120119k0000m070129000c.html
・・・・自民党案は抜本改革と遠い内容だが、次期衆院選を控え当面の是正を急ぐことは国会の最低限の責任だ。議員自ら身を切る模範を示すためには定数削減のみならず歳費の削減、政党交付金見直しなどに幅広く取り組むべき…財政再建や行革の必要性を多くの政党が指摘しながら、自分たち国会議員は「痛み」を避ける。こんな状況が許されていいはずはない。… 今後、区割りを見直しても次期衆院選に間に合うか微妙な状況だ。だからといって「どうせ最高裁は選挙無効判決は出せまい」とたかをくくるようでは立法府の自殺行為だ。抜本改革に先立つ緊急措置として与野党は一日も早く0増5減案の法制化を急がねばならない。 一方、民主党は比例代表定数80削減案も決定した。消費増税に向け定数削減を目指す方向は正しい。だが、比例代表を大幅に削ると少数政党がこれまで以上に議席を得にくくなる側面は無視できない。 中小政党が比例で有利になる小選挙区比例代表連用制の導入を求める議論もある。将来的な選挙制度の抜本改革の方向も含め、与野党で可能な接点を探るべきだ。 国会議員の身の切り方は定数削減だけではない。岡田克也副総理が言及したとおり、国家公務員給与の7.8%削減を目指すのであれば国会議員がそれ以上の歳費削減を打ち出すことは当然だ。 政党交付金も使い道の透明度などで疑問が指摘され、年末の新党結成騒動の呼び水にすらなっている。聖域とすべきであるまい。 1票の格差が10年の選挙で5倍に達した参院も定数削減も含め問題を放置できない。だが、見直しへの動きは鈍く、来夏の選挙までの抜本改革はこのままでは難しくなる。 自民、公明両党は民主党の比例定数削減案に反対する構えだ。確かに複雑な要素のある問題だが、さきの参院選では主要9党のうち6党が定数削減を公約に掲げていた。共通の課題として積極的に協議にのぞまないと、政党不信を深めるばかりだ。

一票の格差や定数削減問題を「少数政党がこれまで以上に議席を得にくくなる」「中小政党が比例で有利になる」ということは「大政党には有利」ということになるということだが、これも問題だが、「少数政党」「中小政党」「大政党」に有利か不利かという問題に眼を向けることで、この問題が党利党略問題としてすり替わっていってしまうのではないか、こちらの方が問題ではないか。

また国会議員が「痛みを避ける」「身を削る」ことと「財政再建や行革の必要性」を関連させることも、この間の政治の劣化と不信の裏返しだが、より本質的には、劣化をつくっている政治家と政党を政治の場から退場させるために、何が必要か、ということこそ、今最も大切なことではないか。そのためにも国営政党化をすすめてきた政党交付金を「聖域とすべきであるまい」は当然。さらには他の「聖域」にも注目してほしいものだ!

民主党の小選挙区5減、比例代表80減案をみて、一人の議員に対する有権者の多さに注目してみた。
比例ブロックの場合、一人の議員に対して有権者の数は  少数第2位を四捨五入
ブロック……有権者・・・議員・・一人当たり……・民主案……・・一人当たり
北海道・・4,593,950……・8………574,243.8……・・4…………1,148,487.5
東 北・……723,504……14……・551,678.9………・7……・…1,103,357.7
北関東・…11,493,173……20………574,658.7………11……・…1,044,833.9
南関東・・13,035,105……22………592,504.8…・・13………・1,035,105.0
東 京・…10,615,950……17………624,467.7…・・10………・1,061,595.0
北信越………6,225,877……11…………566,261.6………6……・……1,037,647.2
東 海……12,091,890……21………575,804.3………12…………1,007,665.0
近 畿………16,828,106……29………580,279.5…………16…… ・1,051,756.6
中 国………5,701,739……11………518,339.9………・6………・…950,289.8
四 国・・…3,327,941………6………554,656.8……・・3………・1,109,313.7
九 州……11,836,329………21………563,634.7……・12…………・986,360.8
合計・・・103,473,564……180………574,853.1………100………1,034,735.6
(総務省2010年3月31日現在)http://d.hatena.ne.jp/longlow/20101211/p1

小選挙区の場合議員削減対象県と議員一人当たりの有権者数
選挙区……・・山梨・・・・・福井・・・・・・徳島・・・・佐賀・・・・・・高知
1区…………219,206………・221,562………・214,727……・236,835……・…214,736
2区…………233,810………・218,403………・226,320…・…225,399………・215,508
3区…………249,696………・213,557……・…215,524……・226,242………・207,688
減区の場合…351,356.0……326,761.0………328,285.5…・344,238.0………・18,966.0
(総務省・2011年9月2日)http://ja.wikipedia.org/wiki/

1.「格差是正」の名の下に議員を減らすことで、国民と国会のパイプは削られる。
2.議員を減らすことで「歳費」は「節約」できる。財政再建には程遠い金額だが。
3.格差を是正しても、議員を削減しても、それだけでは政治の劣化に歯止めはかからないだろう。財政再建は程遠いだろう。かつて議員削減は経験していることだからだ。

マスコミは、をもう一度1年半前の議論思い出したらどうだろうか。忘れないために以下掲載しておこう。

国会議員定数 削減の前にやることが 信濃毎日社説(2010年8月4日)
http://www.shinmai.co.jp/news/20100804/KT100803ETI090003000022.htm
 菅直人首相が記者会見で、国会議員の定数削減について、年内の与野党合意を目指す考えを示した。 民主党は先の参院選で、衆院の比例定数を80、参院定数を40程度減らす公約を掲げていた。比例定数を減らしたら選挙制度は大政党にますます有利になる。「死に票」が増え、多様な民意を国政に反映させるのも難しくなるだろう。 慎重な対応を各党に求める。 今の定数は衆院480、参院242の合わせて722。参院選では自民党も、両院の定数を3年後に1割減らして計650に、6年後には計500にする方針を掲げていた。躍進したみんなの党は衆院を300、参院は100へと、削減幅はさらに大きい。 首相の念頭には、定数をめぐる両党との協議をバネに、国会運営での協力態勢を模索する思惑があるのかもしれない。 会見で首相は、行政経費の無駄削減と並べて「国会議員自身が身を切ることも必要だ」と述べていた。問題の一つはここにある。
 国会は国民主権が体現される場である。在り方を見直すときは、どういう仕組みにしたら民意がより正確に反映されるかがポイントになる。行政改革と同列に論じるのは間違いだ。 そもそも有権者数に比べた議員の数は、日本はほかの先進国に比べむしろ少ない方である。国会議員が身を切るやり方は、歳費のカット、政党交付金の返上など、ほかにいくらでもある。 仮に議員削減を考える場合には、前提として論ずべきことがある。望ましい議員の数、選挙制度の在り方、衆参両院の機能と役割分担-などだ。 こうした問題に目を向けず、各党が削減幅を競うようでは、国民をしらけさせるだけだ。「安易な人気取り」との批判を招き寄せるだろう。
 国会の在り方について、いま緊急にやらなければならないことははっきりしている。第一は、議員一人一人の能力を高めて国会審議を充実させることだ。各党の地道な努力が問われる。 そして第二は「1票の格差」の是正である。7月の参院選について、選挙無効を求める訴訟が早くも東京高裁に提起された。「百年河清をまつ」がごとき国会のスローな対応に、裁判所が向ける目は厳しくなっている。 国会が格差是正をいつまでも先送りしていると、選挙無効の最高裁判決が下される日が、いつかやって来るだろう。

国会議員定数 丁寧な論議積み重ねて(201年8月7日付)
http://www.saga-s.co.jp/news/ronsetu/ronsetsu_backnumber.0.1700493.article.html
菅直人首相は国会議員の定数削減について年内の与野党合意を目指す方針を表明した。衆院、参院それぞれで、どの程度減らすのか。これからの各党による協議次第だが、削減の内容、幅によっては、民意が今以上に反映されない制度となりかねない。政権の実績づくりを急ぐあまり、前のめりになってはならない。議会制民主主義の根幹にかかわる問題であり、慎重な検討が必要だ。 菅首相は民主党の参院選マニフェスト(政権公約)に沿って8月中に党内で意見集約を図るとともに12月までに与野党間で合意するよう枝野幸男幹事長らに指示したという。そのマニフェストの内容は、衆院比例定数を80、参院定数を40程度削減するというものだ。 従って衆院定数削減については、この比例定数80の削減が一つの目標となって協議されることになるだろう。
 1990年代、度重なる政治腐敗を背景に政治改革が大きなテーマとなり、その結果生まれたのが選挙制度の改変だった。94年に政治改革関連法案が成立し、それまでの中選挙区制が廃止され小選挙区比例代表並立制へと変更された。中選挙区制の弊害とされていた利益誘導、派閥政治からの脱却などが理由だった。
 現行の衆院定数は小選挙区300、比例180で構成されている。だが当時の細川政権とき、当初の案は小選挙区250、比例250だった。それが自民党との妥協で小選挙区300、比例200になり、さらに2000年の公選法改正で比例が20減って今に至っている。 現行の小選挙区比例代表制は、現実そうであるように政権交代を可能にする。この制度が二大政党化を促進させる傾向があるからだ。だが一人しか当選できないため、死票が多くなる制度だ。それは民意を正確に反映しないことにつながる。また、比例代表並立制のもとでも昨年の衆院選で見られたように得票率と議席占有率との間に大きな乖離(かいり)が生じる。
 衆院定数削減での民主党公約は、比例代表の部分を、さらに下げようとしている。これでは比例選が議席獲得の柱となっている少数政党が締め出されるだろう。民主党案に「民主主義政治の破壊につながる」との批判が強いのはそのためだ。 菅首相は定数削減に関して行政経費の無駄削減とともに「国会議員が身を切ることも必要だ」と述べている。国民に受け入れられやすい主張ではある。だが国会議員に必要な経費削減が目的なら、ただちに議員を減らすのではなく歳費や政党助成金を減らす道がある。
 月に数日しか働いていないのに1カ月分の歳費をまるまるもらう。この特権的待遇を改める動きがようやく軌道に乗った。日割り支給にするだけでも経費はかなりの額が削減できる。 少数政党がはじき出されれば政治は多様性を失う。定数を論議するに当たっては、民意の反映を保障するものかどうか、この視点こそ重視して当たるべきだ。また国際的に見て日本の国会議員は人口比で果たして多すぎるのか否か。「まず削減ありき」ではなく、丁寧な議論の積み重ねで妥当な定数を導き出してもらいたい。 (上杉芳久)

国会議員削減 選挙制度全体から考えよ[山陽新聞社説] 2010年7月11日
http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2010071109485168/
 政治家自らが身を切る姿勢をアピールし、支持拡大を図る狙いなのだろう。今回の参院選では主要9党のうち共産党、国民新党、社民党を除く6党が国会議員の定数削減をマニフェスト(政権公約)に掲げて戦った。菅直人首相は早期実現に意欲を見せており、選挙後に議論は活発化しそうだ。ここで一度、立ち止まって考えたい。
 現在の定数は衆院480(小選挙区300、比例代表180)、参院242(選挙区146、比例代表96)の計722である。民主党は衆院比例で80、参院で40程度の削減を主張している。それでは不十分として自民党は衆参両院で6年後に計500にまで減らすとした。公明党は選挙制度改革に合わせた削減を提唱。新党改革は定数半減、たちあがれ日本、みんなの党も大幅削減を掲げている。
 国会議員が多すぎると感じている有権者は少なくない。厳しい視線を意識し、財政再建に取り組む前提として国会議員が自ら痛みを負う覚悟を示すのは当然ともいえる。しかし、真っ先に削減数を競い合うのは順番が違うのではないか。 適正な定数は、選挙制度をどう変えるかという議論の中で導き出されるべきである。特に比例の定数削減は慎重な議論が必要だ。1人しか当選しない小選挙区は「死に票」が多いのに対し、比例は民意を反映する。比例の定数が減れば少数政党は議席を得にくくなり、多様な民意が切り捨てられる懸念もある。現行制度が抱える問題点は多く、中でも「1票の格差」は早期に是正しなければならない。 国会議員が身を削る姿勢を本気で示すというのなら、まず歳費や政党助成金の削減に取り組むという方法もあろう。定数削減ありきでなく、選挙制度全体の議論を尽くしてもらいたい。

削減を叫んでみても政ごと変わらぬままに民細りたりけむ
民のため働かぬものしつかりと退ける業をば津々浦々に
百万の民集ひたるスタジアム政治家(や)ひとり声も届かず

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民主が自民案を!政権交代可能の二大政党制破綻を見る日に二人の「巨人」について

2012-01-18 | 日記

今日は別の目線から記事を書いてみる。実に唸ってしまった。

一人は 最後の作品といわれ、「一枚のハガキ」を作成し、キネマ旬報1位を機に、100歳でまた映画をつくると「宣言」した99歳・新藤兼人監督さん

もう一人は100歳を越して、さらに10年の計画をもって世界を駆け巡っている日野原重明さん

新藤兼人さんに聞いた いかなる正義の理由があっても、戦争には反対するhttp://www.magazine9.jp/interv/shindo/shindo.php
僕は、いわゆる「戦争反対」と言っている人たちとは、少し次元が違うんです。32歳で召集され、戦争の中身を体験して帰ってきているわけですから。
 僕が、戦争になぜ反対かと言うと、それは“個”を破壊し、“家庭”を破壊するからです。みんな、戦争は良くない、反対だと、口癖のようにいうけれど、そういった、戦争の本来の原点から言っている人は、あんまりいないんじゃないでしょうか。
 『陸に上がった軍艦』は、それを山本監督がやってくれた。私はシナリオを書き、出演して証言をしていますが、そのうえ監督をするとですね、私の主観的なものになるでしょ? すると他人から「これは嘘じゃないか、新藤君」と言われてもしょうがないことになる。
 でも戦争を体験したことのない若い監督が、このシナリオを演出するとなると、客観的なものが出てくる。そういう意味でも、今回は私がやらずに、山本監督にやってもらったということなんです。勿論、これはプロデューサーが、意欲を持って取り組んでくれたから、できた映画なんです。とにかく戦争を、二等兵から見上げた戦争日記のようなものを、みなさんに知ってもらいたいと思ったんですね
僕は、昭和19年、松竹のシナリオライターとして仕事をしていた時に招集されました。32歳だから、老兵です。帝国海軍二等水兵として呉海兵団に入りました。そこで100人の隊に編成されました。それはいわゆる掃除部隊でした。最初に天理市にいって、1ヶ月ほど予科練が入る施設の掃除をして、そこの掃除がすむと、上官が勝手にクジを引きます。クジで決まった60人は、フィリピンのマニラへ陸戦隊として就くよう出撃命令が下ります。しかしちょうどそのころは、アメリカ軍は沖縄に向かっており、マニラではすでに日本軍は敗走しているわけです。そこへ行け、という命令なんだけれど、ほとんど意味がない。その60人は、マニラ・フィリピンに着く前に、撃沈させられたようです。
 僕らは二等兵として招集されたから、軍隊では一番下の位でしてね、天理での掃除がすんだから、余分な兵隊たちを処理しなくてはならない、という意図があったのかどうか知らないけれど、100人のうちの60人は、実際そういう目にあって、死んでいます。
 残った40人のうち、上官がまたクジをひいて30人が潜水艦に乗せられ戦死します。そして私を含むその10人が残り、宝塚の予科練航空隊に入り、雑役兵として掃除をさせられていましたが、そのうちの4人は、日本近海を防衛する海防艦に乗せられます。最後に残った6名だけが、宝塚で生きて終戦を迎えます。
 僕と一緒に召集されたのは、30歳も過ぎたものばかりだから、みんな家庭の主人なんだ。主人が亡くなってあと、家庭はどうなりますか? 悲惨な運命です。
 しかし、当時の軍隊は、いちいち家庭の破壊のことを考えていては、戦争はできない。軍の司令部は、俺達が国をまかなっているという意識であり、要するに、一人の人間の権利なんて考えていません。しかし、実際に戦争を戦うのは、みんな個人なんだ。そして、ひとり一人の個には家族がある。
 だから戦争は、個の立場から考えると、まったくやってはいけないこと。いかなる正義の理由があろうとも、やってはいけないことなんです。国家として平和を守るということは、つまり国民の、一人ひとりの個の平和を守ることなのに、まるっきり逆のことをやっている。そういう観点からぼくは戦争を見ているし、そういう角度から見て、ぼくは戦争反対なんです。その理由から憲法9条も変える必要はないと思っているのです忠誠とか、正義とか、名誉の戦死だとかということになっていますが、戦争にそんなものはない。しっかりとした思想のもとに戦争するということは、ないですからね。間違った戦争をやって、どんどん死んでいって300万人あまりが死んでいった。司令部の作戦の誤りで、硫黄島やアッツ島で玉砕するとか、そういうこともたくさんありました。
 その人たちの、玉砕した人たちの瞬間の様子を想像してみてください。その瞬間は、国家とか天皇のためとかではなく、一人の家庭人として、一人の人間として、突撃していっているわけです。その心境を思ってみなきゃいけないですね。絶望的に死んでいくわけですよ。
 人間はどうやって死ぬかということは、人間の持っているひとつのテーマでしょう? 誰もが考えてますよ。できるだけ長生きしたいとか、ぽっくり死にたいとか、平和にやすらかに死にたいとか、家族や子供たちみんなに見守られて死にたいとか。そういうのは人間の大きなテーマなんですね。
 それが、戦争によって取り上げられちゃう。人の一生の大切なテーマが、メチャクチャにされてしまうということです。
憲法9条は、敗戦したからこそ、こういういいものが生まれたわけでしょ。戦争に勝つとか、勝たなくとももう少しいい立場で終わっていたら、こういうものはできませんよ。要するに人類の永遠の命題ですね。国家として交戦権と軍隊を放棄したということは、ひじょうに立派なことでね、なかなかそんな発言はできるもんじゃないですよ。それを国家としてできたということは、戦争をやったことによる、わずかな宝ですね。だから戦後はこれをしっかりと守っていかなければならない。そして、憲法9条がなぜ生まれたかをよく見つめるということは、戦争をきちんと考えることなんですね。
国家による戦争は、家庭を破壊するんだということを、一人ひとりの人間の原点に立って、考えなきゃいけないですね。
 みんな憲法9条を守らなきゃいけないと言うけれど、もちろんそれは、いいことなんだけれど、僕みたいに第二次世界大戦を体験した人はですね、もう切実ですよ。100人のうちの94人が死んで、6人しか生き残っていない。僕もクジが当たっていたら、死んでいた。そしてそれは、僕のいた隊だけのことだけではなくて、日本全国全ての隊でこういう風なことになっていたわけです。そして死んだ男の家族たちは、みんな何らかの形で破壊されていったでしょう。大黒柱を失って、愛する人を失って、二度と立ち上がれない人なんかもいたかもしれない。それを、名誉の戦死、だとか言っちゃいけないね。名誉でもなんでもないんだ。みんな絶望的に死んでいったんだから。

参考記事
99歳の新藤兼人監督『一枚のハガキ』を天皇陛下が御高覧 2011年7月13日 MovieWalker
http://news.walkerplus.com/2011/0713/23/
「一枚のハガキ」 99歳・新藤兼人監督“最後の作品”
http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110805/ent11080507470003-n1.htm


「日野原新世紀」に向けて 下
100歳・私の話 あるがまま行く 日野原重明 聖路加国債病院理事長 「朝日」(12年1月14日)
 私は前回のこの欄で、今年101歳を迎える私にとって、新世紀への約束、決意=コミットメントをすることが、私に与えられた使命であろうと述べました。今回は、具体的に例を考えているかをお話ししましょう。
 この連載でもたびたび書いてきましたが、若い世代に対して私たち年長者が出来る最も大事なことは、平和な世界を残すことでしょう。私か10歳の子どもたちに続けている「いのちの授業」でも、平和はいつも大きなテーマです。彼らが10年後に成人した時、平和の必要性をしっかりとその胸に抱いていてほしいと願い、語りかけています。
 私は、平和の礎を築くために、戦争放棄を明文化した日本の「憲法9条」は大きな役割を担うと考えています。もし今後、憲法9条改正が国会で可決されたとしても、国民投票で国民の過半数がNOと言えば改正はできません。確固たる平和への意識を持った若い国民が育つことは、私の悲願です。
 私はこれから、日本の選挙権の行使年齢を、現行の20歳を17歳または18歳に引き下げる運動をするつもりです。選挙権を早くから持てば、社会に積極的にかかわる意識が育まれると考えているからです。
 しかし日本には、平和構築の決断力と実行力を備えた政治的なリーダーが不在なのは否めません。そのリーダーの候補となる女性の育成にも努力していきたいと思っています。
 沖縄の普天開基地の問題も、平和に向けて解決しなければならない重要な課題です。私は以前から、沖縄住民にこの先10年の猶予期間をもらい、その間に在日米軍が撤退し、自衛隊も武器の使用を放棄する、という提案をしてきました。軍備のない自衛隊は、世界で事故や災害が起こった時、医療班を伴って真っ先に出動し救援活動に従事します。私は日本から武器をなくすことこそ、世界平和への第一歩だと信じ、110歳まで生きて、この運動に全力を注ぎたい、そう考えています。
 こうした活動への賛同者をひとりでも多く得るためにも、65歳以上を老人とせず、少なくとも85歳までは自立した生活が続けられるよう健康運動のキャンペーンを日本中に広げたいという思いも新たにしています。

一世紀(ひとせいき)生きたる人のコツをみる平和のためにコツコツ生きる
9条を活かせと語る老人に唸り膝打ち唇(くち)をしむ

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国歌「君が代」の意味・歴史・由来・役割を「想定外」に押し込めた「民主主義」

2012-01-17 | 日の丸・君が代

今日の「朝日」の以下の記事を読んで思うことを記してしておこう。

現場で対応 処分激減  反対者の欠席を黙認・規律不要な受付係に配置
 学校での日の丸・君が代への反対闘争はかなり沈静化している。国旗・国歌法が成立した1999年度から2010年度までに、掲揚や斉唱に反対して懲戒処分を受けた人数は、全国で延べ728人。03年度の194人をピークに減り続け、10年度は21入だった。  
当初は、日本教職員組合が「国民的合意がなく、強制は問題」と批判するなど各地に反発が広がった。教員の不起立は珍しくなく、日の丸を舞台袖に隠すように掲げる学校もあった。
だが、東京都教委が03年、君が代の起立斉唱や日の丸の掲揚位置などを詳細に定め、翌春の卒業式では、教職員の大量処分に踏み切る。式典会場に「監視役」の職員を派遣したり、処分を受けた教職員に研修を科したりして指導を強化。「違反」を繰り返す教職員には、減給➞停職と処分を重くした。
処分者の減少について、都教委幹部は「指導が理解を得た結果」と話すが、学校現場では、処分者を出さない「知恵」も生まれている。①掲揚や斉唱に反対する教員が自ら卒業式を欠席する②学校側が反対する教員に会場の受付係や駐車場の整理係を任せ、起立斉唱を避ける―などだ。
 都教委幹部は「日の丸・君が代に抵抗感の強い世代が退職していったのも減少の一因」という。実際、東京で過去3年間に処分を受けた教職員15人は、いずれも40代以上で、若手が抵抗感なく従っている実態もうかがえる。「処分のリスクを冒してまで抵抗することじゃない」といった声も聞かれる。(引用ここまで

この記事にあるような諸事実は、確かに「事実」であるだろう。だが、ここに出されている「諸事実」は、この問題における本当の問題点について述べていない。そこで、いくつかメモしておこう。

1.起立したかどうか、処分者を出したかどうかだけに話題を集中させている。
これは「命令」によって政府自身の意図を貫徹させようとする行政、国民の中に残存している天皇信奉者の思惑、それらを慮るマスコミなどが、事の本質を後景に追いやることを意味している。

2.問題は、人権思想を教え、訓練すべき学校で起こっていることの意味を「想定外」にしていることだ。このことは、このような問題が北朝鮮や中国で起こったら、どのように報道するか、という視点でみると、日本のマスコミ、或いは日本政府のやっていることが、どれだけ酷いものか、判るというものだ。

3.「君が代」の意味・由来・果たして来た役割などについて、深めていないし、深めようとはしない。このことは、「君が代」を歌う時、どれほどの人が「君が代」の「君」の意味がどのように替えられてきたか、その「代」が「千代に八千代に」というほど永く、さらに「細石が巌」となって「苔が生す」ようになるまで御栄えするように、という歌の意味を理解して歌っているかどうか、だ。主権の存する、この民主主義の国日本で、だ。

4.この歌が、国歌になる時、「今回の法制化は、国旗と国歌に関し、国民の皆様方に新たに義務を課すものではありませんが、本法律の成立を契機として、国民の皆様方が、「日章旗」の歴史や「君が代」の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただくことを願っております」(内閣総理大臣の談話平成11年8月9日)と述べていたにもかかわらず、その後の諸事実は、反対の方向に向かってきた。このことは今回の「朝日」の記事からも覗える。

5.政府自身も言っているように、学校や地域社会で「歴史や由来」などを深めようとすればするほど、実は「坂の上」にあったものが「国際的非常識」という「雲」であったことが白日のものになってしまう。このことをいっさい想定外にしている。

6.国際的感覚からすれば、「戦争及び人道に対する罪に対する時効不適用条約」に加盟していない「自由と民主主義の国である我が日本」の負の面を晒すことになることも「想定外」だ。

7.この「想定外」は、未だ外国の軍隊を駐留させ、不平等条約を「不平等」と自覚できず「同盟国」として国家の枠組みを従属させ「深化」などと述べていることと無関係ではないという問題だ。

そこで、この「君が代」を「国歌」とした勢力の先輩たちが、かつてどんなことをしたか、その一つを紹介しておこう。

<君が代少年>
 昭和十年四月二十一日の朝、台湾で大きな地震がありました。
 公学校の三年生であった徳坤(とくけん) という少年は、けさも目がさめると、顔を洗ってから、うやうやしく神だなに向って、拝礼をしました。神だなには、皇大神宮の大麻がおまつりしてあるのです。
 それから、まもなく朝の御飯になるので、少年は、その時外へ出てゐた父を呼びに行きました。
 家を出て少し行った時、「ゴー。」と恐しい音がして、地面も、まはりの家も、ぐらぐらと動きました。「地震だ。」と、少年は思ひました。そのとたん、少年のからだの上へ、そばの建物の土角がくづれて来ました。土角といふのは、粘土を固めて作った煉瓦のやうなものです。
 父や、近所の人たちがかけつけた時、少年は、頭と足に大けがをして、道ばたに倒れてゐました。それでも父の姿を見ると、少年は、自分の苦しいことは一口もいはないで、
「おかあさんは、大丈夫でせうね。」
といひました。
 少年の傷は思ったよりも重く、その日の午後、かりに作られた治療所で手術を受けました。このつらい手当の最中にも、少年は、決して台湾語を口に出しませんでした。日本人は国語を使ふものだと、学校で教へられてから、徳坤は、どんなに不自由でも、国語を使ひ通して来たのです。
 徳坤は、しきりに学校のことをいひました。先生の名を呼びました。また、友だちの名を呼びました。 ちゃうどそのころ、学校には、何百人といふけが人が運ばれて、先生たちは、目がまはるほどいそがしかったのですが、徳坤が重いけがをしたと聞かれて、代りあって見まひに来られました。
 徳坤は、涙を流して喜びました。
「先生、ぼく、早くなほって、学校へ行きたいのです。」
と、徳坤はいひました。「さうだ。早く元気になって、学校へ出るのですよ。」
と、先生もはげますやうにいはれましたが、しかし、この重い傷ではどうなるであらうかと、先生は、徳坤がかはいさうでたまりませんでした。
 少年は、あくる日の昼ごろ、父と母と、受持の先生にまもられて、遠くの町にある医院へ送られて行きました。
 その夜、つかれて、うとうとしてゐた徳坤が、夜明近くなって、ばっちりと目をあけました。さうして、そばにゐた父に、
「おとうさん、先生はいらっしやらないの。もう一度、先生におあひしたいなあ。」
といひました。これっきり、自分は、遠いところへ行くのだと感じたのかも知れません。
 それからしばらくして、少年はいひました。
「おとうさん、ぼく、君が代を歌ひます。」
 少年は、ちょっと目をつぶって、何か考へてゐるやうでしたが、やがて息を深く吸って、静かに歌ひだしました。

  きみがよは
  ちよに
  やちよに

 徳坤が心をこめて歌ふ声は、同じ病室にゐる人たちの心に、しみこむやうに聞 えました。

  さざれ
  いしの

 小さいながら、はっきりと歌はつづいて行きます。あちこちに、すすり泣きの声が起りました。

  いはほとなりて
  こけの
  むすまで

 終りに近くなると、声はだんだん細くなりました。でも、最後まで、りつばに歌ひ通しました。
 君が代を歌ひ終った徳坤は、その朝、父と、母と、人々の涙にみまもられながら、やすらかに長い眠りにつきました。
「初等科国語・三」(4年前期)より。(引用ここまで

村上政彦『「君が代少年」を探して 台湾と日本語教育』(平凡社新書)によれば、この少年探しの話が書かれている。以下、記しておく。

 教科書には、誇らしげな少年の立像の写真が挿入されている。これが主人公の徳坤(せんとくこん)だろうか。奥付を見ると、昭和十八(一九四三)年朝鮮総督府発行、となっていた。
 「よくやりますよねえ」と隣にいた編集者が苦笑した。「でも、本当かなあ。こんなことってあるのかなあ……」
 それは僕自身の印象でもあった。朝鮮半島で発行された「国語」=日本語の教科書に台湾の少年が主人公として登場している、という状況は一種の眩暈のようなものをもたらした。それは僕にとって、ほとんど未知の領域に触れた感触だった。いつの時代も教科書には政治的な配慮が働いている。ましてこの頃はいわゆる皇民化が行なわれていた時期だった。でも、『君が代少年』がまったくのフィクションだとも思えない。いまから半世紀以上前、僕達が生きているこの東アジアの一隅で何が起きていたのだろうか。
・・・
徳坤の墓
昭和十年四月二十一日
突発セル大震災ニテ
瀕死ノ重症ヲ負ヒ
二十三日朱暁苗栗病舎ニテ
國歌ヲ奉唱シ
十二歳ヲー期トシテ
國民精神ノ花卜散レリ
故二世二君力代少年卜讃称セラレ
公館公学校校庭二
銅像卜化シテ再生スルニ至レリ
昭和十二年七月二日建(引用ここまで

と書かれている。
朝鮮総督府が台湾の少年の話を「教訓」にという事実は「想定外」にしたまま「国歌斉唱」という「儀式」が行われてきたのではないだろうか。

こうした事実を、政府が「『君が代』の由来、歌詞などについて、より理解を深めていただく」ために「教材」としてきたか、はなはだ疑問だ。それに尽きる。

だから「歌うか、歌わないか」「起立するか、しないか」「命令に従うか、従わないか」だけが問題にされてきたのではないか?

このようなことでは、我が日本を本当には愛することはできない!

君が代を歌ふ少年中国の民さへ歌ふ歌なればこそと
将軍は彼の国によりも此の国の東と西に声を荒げて
将軍は彼の国によりも此の国に様にもならぬ毒舌を撒き
わが君を君が代となしおしつける永久の御世詠む歌どこへやら
日の本の誉れの象徴(しるし)何とする九条にこそ民の願ひなれ

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幻想の国会議員削減・公務員バッシングを破綻させるために

2012-01-16 | 日記

改造野田内閣について世論調査が出ていた。そのなかで出ていた「身を削る」論について一言二言言っておこう。

消費税増税のせめぎ合いが激しく行われているが、消費税増税勢力が、今どこを突破口にしようとしているか、見えてくる。予断は許さないが、展望もある。だからこそ増税勢力の弱点を指摘しておくことが大事かなと思う。

内閣支持率35%横ばい 「共同」世論調査 2012年1月15日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2012011502000021.html

「やっぱり思ったとおり」の結果だった。マスコミが言い続けてきたことが「世論」となったということだ。

それは、「消費税増税をめぐっては、国会議員定数と国家公務員給与の削減が実現しない場合には『増税すべきでない』との回答が79・5%に達した」という記事だ。
まず、設問そのものに問題ありだ。誘導質問だ。「増税すべきでない」という理由が達成されたら、「増税はOK」ということになる設問だからだ。「国会議員定数と国家公務員給与」を悪者にして増税をやってしまおうとする意図が見え見えだ。
これでは野田内閣を応戦する設問になる。消費税増税を反対する声を紹介しているかのように振舞いながら、実は応援しているのだ。

これについては、こんな記事が参考になる。
首相動静―1月13日
http://www.asahi.com/politics/update/0113/TKY201201130613.html
7時39分、東京・永田町の日本料理店「黒沢」。政治ジャーナリストの後藤謙次氏ら報道各社の政治部長経験者と会食。

1.この「会食」の意図は何か?何故マスコミ関係者と13日夕方に「会食」をしたか?

2.「各社の政治部長経験者」とは誰か?

3.この「会食」の費用は誰が支払ったのか?首相か?各個人か?各会社か?官房機密費か?その他税金か?

4.「各社の政治部長経験者」は、「会食」の内容を公開しないのか?

5.ぶら下がり会見をしなかった首相が、「各社の政治部長経験者」と「会食」するのは尋常ではないが、何故このような「会食」をしたか、首相は説明責任があるのではないか?

次に結果について、だ。
>岡田克也副総理兼一体改革・行革担当相に「期待する」と答えた人は59・4パーセントに上った。
岡田起用については、各社の社説で書いてあったとおりの結果だった。今後岡田VS小沢の政局報道に明け暮れるだろうな?

>改造内閣が取り組むべき課題(二つまで回答)は「税金の無駄遣い一掃など行財政改革」が43・7パーセントで最多。「景気・雇用対策」30・8パーセント、「年金制度改革など社会保障」27・0パーセントが続いた。
「税金の無駄遣い一掃など行財政改革」の「無駄遣い」の内容については尋ねてはいないのだろうか?ここが一番問題なのに。
そもそも消費税そのものについて、その是非について、どのように尋ねたか、この記事だけでは判らないが、もし尋ねていなかったら、消費税そのものについて、何故尋ねないのか?

今回の記事だけでは「世論調査」に参加した人数や設問数や内容などが不明なので、意図的なものを感じないわけにはいかない。資料探求不足かも知れないが。

次に、
NHKが行った世論調査「野田内閣支持率 4か月で半減」によると  1月10日 19時19分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120110/t10015170591000.html
議員定数削減や公務員の総人件費削減と消費税率の引き上げとの関係をどう考えるか聞いたところ、
▽「議員定数削減などにかかわらず引き上げるべきだ」が9パーセント
▽「議員定数削減などが行われない限り、引き上げるべきでない」が71パーセント
▽「議員定数削減などにかかわらず、引き上げるべきでない」が14パーセント

次は「読売」だ。
一体改革説明に国民が不満?…内閣支持率下落
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20080116-907457/news/20120115-OYT1T00364.htm
消費増税案に反対する人は過半数を占め、「無駄な予算の削減が不十分だ」との反対理由が最も多い。野田首相が、自らの政策や考えを国民に十分説明していると思わない人は昨年11月調査から3か月連続で8割を超え、「説明不足」との批判は根強い。このため、内閣支持率の下落は、今回の改造だけが要因だとは言い切れない。そのことは、岡田副総理の起用を評価する人が半数を超えていることからもうかがえる。

最後は、「朝日」について
消費増税案に反対57%、賛成34% 
http://www.asahi.com/politics/update/0114/TKY201201140525.html
◆政府は、社会保障の財源にあてるために、消費税を2014年4月に8パーセントに、2015年10月に10パーセントに引き上げる案をまとめました。この政府の案に賛成ですか。反対ですか。
賛成 34反対 57
◆野田首相は、消費税引き上げの前に、国会議員の定数削減や、公務員の人件費削減を実施する考えです。野田首相は、こうした削減ができると思いますか。できないと思いますか。
できる 19できない 67
◆消費税を引き上げる場合には、景気の状況をどの程度考慮する必要があると思いますか。(択一)
大いに必要がある32
ある程度必要がある48
あまり必要はない13
まったく必要はない4

調査結果の解説が4面に掲載されている。以下要約してみる。意図がはっきりする。

野田佳彦首相が実現をめざす消費増税への有権者の視線は厳しい。朝日新聞社の全国世論調査では、政府案への反対が、賛成を大きく引き離した。賛成が少なかったのは、首相自らが増税の前提に掲げた国会議員定数や公務員人件費の削減への期待が低いことが関係していると見られる。…いかに身を削れるか、その成果が、増税への反対を和らげるカギの一つになりそうだ。景気の動向も無視できない。…政府案に賛成の人でも、80%が「景気への考慮が必要」と答えている。経済状況が悪化すれば、反対がさらに増えることも考えられる。…増税案が具体化すると現実妹が増し、反対が増える傾向は東日本大震災の復興増税をめぐっても見られたが、今回もその傾向が出た。

さて「身を削る」論についてだが、対案のコピーを考えてみた。

国会議員削減・公務員賃金カットや削減をして消費税を上げたら、社会保障制度は向上するか?非正規のワーキングプワー層の生活は改善できるか?財政再建はできるか?

政府やメディア、識者は、このことについて、まず応えるべきだろう。

また「消費税増税をめぐっては、国会議員定数と国家公務員給与の削減が実現しない場合には『増税すべきでない』と」「回答」した「79・5%」の人、「議員定数削減などが行われない限り、引き上げるべきでない」が71%の人、ホントに消費税の増税分を支払うつもりでしょうか?

最後に「経団連会長が大企業減税財源に消費税増税を主張」という記事も紹介しておこう。こんなことが国会で質疑されていたのかと思うと、嗤ってしまう。今のマスコミの必死さに。
http://www.youtube.com/watch?v=0Pez0V9OFmM&feature=relmfu
http://www.sasaki-kensho.jp/gijiroku/report.php?rid=38

頻繁に会食重ね策を練る民の暮らしを見ぬ永田ムラ
マスコミの垂れ流すゴミ埋めつくす瑞穂の国に春告げる波を

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「身を削る」場を意図的にすり替えるマスコミに、渇!

2012-01-15 | 日記

野田改造内閣論が全国いっせいに行われた。これで国民の意識が形成されると思うと、言っとくことはたくさんある。
まさに、これぞ最悪の「イデオロギー」だ。
目線は国民目線だ。消費税増税は社会保障を充実させ、日本の閉塞を打破改善できるか、社説はそのことをはっきりさせた。国民を身を削る論の土俵に押し込める対案を提示できなければ、苦しみはいっそう拡大していくことになるだろう。残念だが。だからこそ、「世論」をつくらねば、と思う。

全国新聞と地方紙の社説(一部は社説ではない)にみる野田改造内閣論

朝日     岡田氏入閣―一体改革の先頭に立て 
毎日     税制改革と改造 首相こそ説明の先頭に 
読売     野田改造内閣 一体改革実現へ総力を挙げよ 
日経     岡田副総理をテコに一体改革を進めよ
産経     増税以外の懸案どうした 危機意識なき「融和」を憂う 
北海道    増税シフト大義見えぬ 
河北新報   国運を背負う自覚があるか 
東奥日報   難局打開問われる実行力/野田内閣改造 
デーリー東北 背水の陣で国会に臨め 
秋田さきがけ 課題先送りは許されぬ 
岩手日報   復興施策優先忘れるな  
福島民報   本県の復興を遅らせるな 
福島民友   山積する難題どう対処する 
茨城     首相の覚悟を示した 
東京     増税前にやるべきこと 
千葉日報   政権公約の御旗、いつまで 消費税率引き上げ
神奈川    問われる岡田氏の手腕
埼玉     消費増税シフト鮮明
信濃毎日   国民軽視の増税シフト
新潟日報   これで「不退転」貫けるか
北国     政権浮揚にはつながらぬ
京都     背水の陣で改革を前へ
神戸     二枚看板で懸案に道筋を 
山陽     前へ進む政治へ転換せよ 
中国     反転攻勢 問われる力量 
山陰中央   一体で政治の停滞打破を 
愛媛     増税布陣の求心力は疑わしい 
徳島     一体改革に命運懸けた
高知     首相の覚悟にどう応える 
西日本    局面転換に結実してこそ
宮崎日日   野田改造内閣 
佐賀     首相の決意は伝わるが 
熊本日日   政治を一歩前に進めよう
南日本    基盤強化を狙った布陣 
沖縄タイムス 首相は万事説明不足だ 
琉球新報   我慢より安心語れ 普天間撤去で対米交渉を

「増税のためにガンバレ!」コールオンパレードだった社説子に 渇!

しかも「熊本日日」にみるように「改革の必要性は国民も分かっている。問題なのは政治の側だ。3点を注文したい。まずは国民に現状を説明し、認識を共有化するための努力を怠らないことだ。次いで、あるべき社会の青写真と道筋を分かりやすく示すこと。三つ目が政治(家)が「身を切る努力」をすることだ。国会議員の定数削減などがある。これらは同時並行で進めねばならない」との見解が大方の見方だ。

また岡田VS小沢と消費税増税の是非を党内対立に描いて国民との対立、大企業の枠組みと国民の矛盾とは描かないのは政局優先・国民不在の改造内閣評価論といわなければならない。

さらには消費税増税が被災地の国民に対してどのような影響をあたえるか、この点での突っ込みは被災地からも弱い。

マスコミや政府・政治家が繰り返し強調している「身を削る」論だが、百歩譲って、身を削ったとして、それで消費税増税が行われたとして、この両者は等価交換、いや国民に負担をかける以上に国民に利益をもたらすのだろうか?そのことをマスコミは検証すべきだろう。その点で以下の2紙は注目される。

「愛媛新聞」の「行政の無駄排除や公務員制度改革、選挙制度改正を含めた政治改革は永遠の課題であって、本来は増税の交換条件として進める筋合いのものではないはずだ。与野党協議はまずここから始めたい」との指摘と

「高知新聞」の「政府・与党の一体改革案で、増税に見合うだけの社会保障の充実が期待できるのか。野党には国会審議を通じて一体改革の問題点を指摘し、対案を提示することが求められる」のように、

この改造内閣論、現在のマスコミに欠けているのは、従来の国政の枠組み、すなわち国債を発行して国家運営をしてきたことで誰に利益(筆者は大企業だと確信する!)を与えてきたか、国民に利益を与えてきたか、不利益を与えてきたか、検証していないことだ。国債発行による財政危機を規定のものとして、だから消費税で解決を、そのために国民に説明を、そのためにも身を削れと言うだけだ。ゴマカシだ! このことをすべての社説子は一言も語っていない!

このごまかしを打ち破る、すなわち「カネはあるところにはあるのだ」ということを示していくことだ。何故ならば、それだけのカネを国民の労働で作り出してきたからだ。そのための資料はここではあげないが、GDPと国民消費、今日の大企業の利益と国民の賃金・雇用者報酬、海外進出企業と国内雇用などなどを「きちんと、しっかりと」社説で論じることだ。でもしていない!何故か!?

最後に注目すべき地方紙の社説もあった。その主な点をあげてみたい

野田改造内閣 我慢より安心語れ 普天間撤去で対米交渉を琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-186230-storytopic-11.html
表紙の一部を変えても、日本をどう治めるのかという政治の腰は定まらないままではないか。首相は「最強の布陣」と胸を張ったが、何のためなのか。改造の大義は見えない。総じて米国に顔向けし、名護市辺野古に移設する約束履行に腐心する野田政権の姿勢は変わらない。県内移設を強く拒む沖縄の民意に向き合う姿勢はうかがえない。消費増税を主導する財務官僚に取り込まれ、普天間問題では対米追従に塗り込められたのが今回の内閣改造の本質ではないか。
一方の米政府は、中国の軍事力増強をことさら強調して日本人の不安を駆り立てる。東アジア各国の相互不信を高めて米軍の役割の重要性を演出し、日本から相応の軍事費を引き出すことに躍起だが、経済関係が深まる中国と紛争を構えることは想定していまい。対米外交を冷静に見詰め直す時期が到来している。米国と一線を画し、外交政策の思考回路を転換させることこそ、中長期的に見て日本の国益にかなうはずである。沖縄の民意を反映させ、実現性のない辺野古移設見直しを日本側から提示することこそ、野田改造内閣がまず果たすべき役割だ。だが、政権公約を次々と撤回してきた民主党政権のトップが言う「君子豹変(ひょうへん)」の実像は、消費増税や環太平洋連携協定など、国民の反対が強い政策でも強引に推し進めるという意味合いだろう。東日本大震災の発生後、国民に横たわる危機意識と不安感に背を向け、国民生活を厳しくする政策展開に注力するのは「政治主導」のはき違えである。国民が望む「脱原発」にしても、野田政権下では後退ばかりが目立つ。新たな制度設計の過程で、政府がアメとムチを交えた懐柔策を繰り出し、普天間の県内移設を進めようとする局面もあり得る。沖縄やこの国のあるべき将来像を紡ぎ出す構想力と実行力をこの政権に期待するのはないものねだりか。

[野田改造内閣]首相は万事説明不足だ 沖縄タイムス
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-14_28492/
「消費税増税論を4年間封印する」との公約を掲げ、政権交代を実現した。国民との約束が存在するにもかかわらず、消費税増税を最大の政治課題と位置づけ、3月末までの法案提出をもくろむ内閣が民主党政権の下で誕生したのである。この理屈は、詭弁(きべん)といわれても仕方のない主張だ。有権者には「方便」としか聞こえない。その点についての国民への説明も不十分である。持続可能な社会保障制度を実現するため新たな財源確保策が必要なことは疑う余地がない。消費税の増税が最も有力な選択肢であることも事実である。だが、野田首相は、国民向けに社会保障の将来像を説明したことがない。増税の前提となる歳出削減や行政の無駄の排除も、ほとんど進んでいない。岡田副総理がどこまでやれるか全く未知数で、改革実現の見通しも立っていないのに、消費税増税法案だけは3月末に国会に提出する―というのでは、説得力を欠く。

増税前にやるべきこと 野田改造内閣が発足 東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2012011402000074.html
野田改造内閣が発足した。消費税率引き上げに向けた態勢づくりという。しかし、くぎを刺しておきたい。増税の前にやるべきことがあるだろう、と。消費税増税に慎重な小沢一郎元代表に近い松原仁国家公安委員長や田中直紀防衛相を閣内に取り込むことで、小沢氏支持グループ内でくすぶる反対論を封じ込める狙いもあったのかもしれない。すべては消費税増税のためなのだろうが、内閣改造でその展望が開けるわけではない。通常国会では、一体改革法案の取り扱いが議論の中心となる。消費税増税はそもそも自民党の公約であり、協議に応じるべきだとの意見が党内にある。しかし、一体改革案には問題があまりにも多い。それを正さず、増税の「片棒」を担ぐだけなら、国会の責任を果たしたことにはならない。本格的な高齢化社会の到来を迎え、年金、医療、介護などの社会保障費のさらなる増大は避けられない。その一方、国の借金は一千兆円に膨れ上がり、このままでは財政破綻を招きかねない。社会保障制度と税金の在り方を一体的に見直し、社会保障財源の安定的な確保と財政健全化を同時に進める。それが一体改革の出発点だったはずだ。改革の必要性は理解するが、素案は一体改革の名に値しない。例えば年金。受給に必要な加入期間を二十五年から十年に短縮するなど「無年金・低年金」対策を強化するが、被用者年金の一元化などの抜本改革は手付かずだ。改革とは名ばかりで、現行制度の手直しに終わっているのが実情だ。その結果、消費税率を5%引き上げても、所得の低い人の年金上積みや子育て支援など、社会保障制度の拡充に使われるのは1%分にすぎない、という。予算が足りず、消費税率を引き上げると言われても、死力を尽くした後でなければ、納得がいかない。優先順位を無視するから、国民の反発を招くのだ。野党側も増税に安易に協力する必要はないが、単に協議を拒否するのではなく、社会保障の全体像を描くための知恵を政府・与党とともに絞ってほしい。国や地方自治体など公的部門とNPOや地域社会など民間部門がどう役割分担するのか。必要な負担をどう分かち合うのか。「国のかたち」ともいえる論点は多い。気になることがまだある。消費税率引き上げまでに、国民の納得と信頼を得るため、衆院議員定数八〇削減や国家公務員給与の削減、独立行政法人や公益法人、特別会計などを改革する「行政構造改革実行法案」の成立を図るとしているが、必ずしも前提条件にはなっていないことだ。官僚が既得権益死守のために改革案を骨抜きにするのは常套(じょうとう)手段だ。行政の無駄を残したまま増税だけが強いられてはたまらない。天下り先の独立行政法人に多額の予算を投入し、その法人が仕事をさらに下請けに丸投げする。この「天下り・丸投げ」構造を改めない限り、行政の無駄はなくならない。天下り根絶こそまさに行革の本丸だ。民主党政権がすべての政治力を投入する価値はある。

野田改造内閣 増税シフト大義見えぬ 北海道新聞
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/343360.html
政権発足時の最大課題は東日本大震災からの復旧・復興、福島第1原発事故の収束、円高などの経済対策だった。わずか4カ月あまりで消費税問題へ急速に重心が移ってきた。
震災復興や原発対策が進行中のいま、「避けて通れないから」の一点張りで消費税増税へ突進する大義はどこにあるのか。首相は消費税を政権の最重要課題に引き上げた理由をきちんと説明すべきだ。人事を見る限り震災、原発の対策を強化したとは到底言えない。岡田氏を要職に据えたからといって進展する状況ではない。首相は難しい問題を岡田氏に任せ、自らの責任を回避していると見られかねない。一体改革の理念と中身は首相が自分の言葉で訴えることが重要だ。

野田改造内閣 国民軽視の増税シフト信濃毎日
http://www.shinmai.co.jp/news/20120114/KT120113ETI090010000.html
一体改革に対する「不退転の決意」を人事で示した格好だ。これで政権運営に展望が開けるわけではない。それどころか増税路線を一段と鮮明にしたことで、引くに引けない状況へとまた一歩を踏み入れたと言える。岡田氏の起用が増税論議を進める切り札になるかは疑わしい。自民、公明両党は協議拒否の姿勢を変えていない。テーブルにつくべきだとの声にも一理あるけれども、このまま与野党が消費税増税の合意を急げば、国民には「談合」に映るだろう。持続可能な社会保障制度をテーマに、時間をかけて与野党が研究し協議するなら大いに賛成だ。いまの野田政権のやり方はとにかく増税にめどを付ける、その一点張りに見える。最近の世論調査では、消費税増税の方針に説明不足を感じている人が多い。本格的な震災復興が始まる。円高が日本経済の足を引っ張っている。こんなときになぜ消費税増税を急ぐのか理解に苦しむ。首相の前のめりの姿勢が不安になる改造人事である。

改造内閣発足 政権浮揚にはつながらぬ 北国・富山新聞
http://www.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm
http://www.toyama.hokkoku.co.jp/_syasetu/syasetu.htm
消費税増税は「超超円高」を放置し、デフレを加速させる。いまの日本経済には薬どころか、劇薬にしかならない。増税一直線の道を突き進む限り、野田政権は大方の国民から見放され、遠からず解散・総選挙に追い込まれるのではないか。野田政権発足当初からほころびが見えていた「適材適所」の看板は、完全に色あせてしまった。問題閣僚の事実上の更迭と消費税増税をにらんだ人事だったが、菅政権は再浮揚することなく、辞任に追い込まれた。東日本大震災がなければもっと早く寿命が尽きていたはずである。消費税増税に固執する野田政権も早晩、同じ運命をたどりそうな予感がする。民主党が高く掲げたマニフェストは、政権交代から3年もたたずに破綻。国民の熱い期待を裏切り、末期症状を呈する今回の内閣改造だ。もはや小手先の政権運営は通用しない。

今日もまた身削れと叫ぶマスゴミの民の生活どこ吹く風か

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消費税増税を煽るマスゴミは、さらに国民を苦しめるつもりか!

2012-01-14 | 日記

「朝日」(1月8日付)星浩編集委員が「消費増税再生の一歩に」と題する「論文」を書いている。
「朝日」の立ち居地はすでにハッキリしているが、一言、二言言いたくなったのでメモしておこう。以下みてみよう。

>野田佳彦首相は「国債の長期金利が跳ね上がったら、政治の力ではコントロールできない」と周辺に語っているが、その危機認識は正しい。
「長期金利が跳ね上がる」なんて、また脅し?しかも「政治の力でコントロールできない」って、それをやるのが政治の責任ではないだろうか?円高・円安もコンロトールできないって言ってるようなもので、経済対策はできないってことを言ってるようなものだ。これって政権担当能力のなさを自ら証明しているようなものだ。

こういう「脅し」はもういい加減にやめたらどうかと思うが、マスコミに期待するのはムリだろうか?、そこで、以下の記事があったので掲載しておく。

菅首相は、全く的外れ ギリシャの財政危機から何を学ぶのか?2010年7月2日(金)「しんぶん赤旗」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-07-02/2010070204_01_1.html

>国会議員の報酬や定数を減らす。国家公務員の給与を引き下げる。政府の関連組織の統廃合を断行する。そうした歳出削減を大胆に進めるべきだ。富裕層への課税強化も必要だ。ただ、それで捻出できるのは数兆円規模だろう。年に40兆円を超える国の借金には遠く届かないのが現実だ。
これが増税の理由とは呆れる。消費税増税で、借金は減らせるというのだから。
「内閣府の試算では、15年度に消費税率を10%にしても基礎的収支の黒字化は難しく、さらに7%程度の増税が必要」(京都新聞1月7日付社説)との指摘もあることを強調しておこう。

そう言えば、戦争費用を捻出するために「財政難」を創出して公務員賃金を削減した日清戦争の時、昭和恐慌の時と同じ発想かもしれない。「聖域」を設けて、そこには絶対に眼を向けさせない手法だ。

当時と今とでは同じではないだろけれども、「増税の前に身を削る」対象として国会議員・地方議員・公務員を槍玉にあげる論法は、本当に身を削らせるところを後景においやっていく眼くらまし戦法だ。「大儲けしている1パーセントこそ、身を削れ」だろうか?対抗できるコピーは?

>中高年齢者に比べて、若者向けの支援策が手薄なことは明らかだ。雇用、子育てといった分野に予算を振り向けなくてはならない。その原資として消費増税分を活用するのだ。経済成長、歳出削減と消費増税を同時に進めて社会保障を整えていく。その第一歩を踏み出してもらいたい。
雇用に予算を回すってどういうこと?公務員はカットして、非正規を野放しにしておいて、「民間」にどう雇用を保障させるというのか?雇用は企業の責任ではないのか?非正規労働者の雇用を保障させる政治はどうするのか?

また増税で景気が冷えてしまって、どう経済成長をするというのか?

歳出削減は、「国会議員の報酬や定数を減らす。国家公務員の給与を引き下げる。政府の関連組織の統廃合」の断行だけか?

歳入は「富裕層への課税強化」だけか?

これだけでは財政再建は出来ないと言っていることと同じではないのか?

>メディアが「増税を容認する」ことへの疑問はあるだろう。しかし、先進各国で財政赤字が膨らみ、危機からの脱出策を探っている現在、メディアの役割は「監視」だけでは済まない。国の再生に向けて、政治に「結果」を求める・・・そのための材料を提供し、時には警告を発することがメディアに求められる
後ろめたさがあるのだろうか?しかし、肝心なところに眼を向けさせないのだから、「監視」にもなっていないな。また「材料」があまりに乏しくないのか?富裕層の実態を具体的に示した「材料」を提示しないのか?大企業優遇の税制・財政・金融政策は?低率法人税や軍事費はどうなんだ?アメリカだった削減すると言っているのだ。

そこで参考になる記事を紹介しておこう。
格差を縮める 「消費税政局」より大事なこと 愛媛新聞社説2012年01月05日(木)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201201057535.html
>1年で20万人以上も人口が減り、働く人の3人に1人は非正規労働者。夫婦と子2人の「標準家庭」は既に少数派で、今は1人暮らし世帯が3割を超えた。16%もの国民が貧困に苦しみ、来年中には高齢者が25%に達する。20年後は3人に1人が生涯未婚―

これらの国民に増税を課して、果たして財政再建は可能か?今必要なことは国民の懐を温めることではないのか?

昨日、ある30代前半の若者が言っていた。彼は昨年失職。ようやく見つかった職は期限付きの非正規。職を変えようにも、職がないという。彼は「若者が車を買わなくなった」マスコミが報じていたことに対して、「車を買うにも、そのカネがない」と言っていた。

そう言えば高校生や大学生の就職内定率もひどい。彼らに生活の糧を与えないで増税!

消費税増税論議− 「大新聞は国民の敵」 (2011-09-04再掲)2012年1月14日0:11:22 | shavetail1という興味深い記事があった。http://d.hatena.ne.jp/shavetail1/rss
>宍戸氏は消費税率を5%引き上げれば5年目にGDPが約45兆円減少するという試算をまとめている。「国内の代表的なシンクタンクの多くは私と同じく増税が経済成長にマイナスという試算を発表している。内閣府の試算だけが違う結果なのは、悉意的な経済モデルを使っているからといわれても仕方がない。政府やメディアがそうした試算で増税の影響はないと判断するのは危険です」
と語っているが、消費税は投網のように国民から税金を集めるのに手っ取りは早いので、安易に課税しようとしているのではないか。同時に約40パーセントもの非正規労働者を使って大儲けしたカネを適正に労働者に分配せず、政治家・高級官僚で山分けしている構造をマスコミは温存しているのではないか?

そこにこそメスを入れる「材料」を提示する責任があるのではないか?

こんな簡単なことが判らない?いや判っているのだろう。だから必死になって毎日毎日「増税しなきゃ破綻する」って叫んでいるのだろう。マスコミのウラにいるスポンサーに精も魂も売り果たしているのだろう。

そこで星編集委員の記事について批判されている文章を掲載しておこう。
http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/da899ff8f6b38c285497fe3355d572d7

もう一つ、興味深い議論が国会でなされていたことも。
菊池英博公述人:消費税抜きでの税収増を考えるべき|第174回国会予算委員会公聴会
http://www.asyura2.com/10/senkyo81/msg/283.html

増税を言えば言うほど墓穴を掘る仕事人日々信失う
今日もまた政官財に学と報ミンミンゼミのごとなきにけり

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アフガン駐留の海兵隊って日本から派兵?大騒ぎしないのは?

2012-01-13 | 日記

とんでもないニュースがとびこんできたので、そのことについて

米兵が遺体に小便か ネットに映像1月12日 13時52分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120112/t10015213681000.html
アフガニスタンに駐留するアメリカ軍の兵士とみられる男たちが、反政府勢力タリバンのメンバーとみられる遺体に小便をかけている映像がインターネットに掲載され、アメリカ軍は、事実関係の調査を始めました。
アフガニスタンで撮影されたとされる映像は、11日、インターネットの動画投稿サイトユーチューブに掲載されました。およそ40秒間の映像には、アメリカ軍のような制服にヘルメットやサングラスなどを着けた4人の白人の男たちが、反政府勢力タリバンのメンバーとみられる3人の遺体に、笑いながら小便をかけている様子が映っています。いつどこで誰が撮影したのかなど詳しいことは分かっていませんが、アメリカのメディアは、映っていた男たちはその制服などからアフガニスタンに駐留するアメリカ海兵隊の可能性もあると伝えています。アメリカ軍は、この行為がアメリカ兵によるものだとすれば、アフガニスタンだけでなくイスラム圏全体でアメリカに対する感情を悪化させるおそれもあるとして、兵士の特定など事実関係の調査を開始したことを明らかにしました。

NHKは「アフガニスタンに駐留するアメリカ軍の兵士」と表現したが、他のニュースは「海兵隊」と報道している。
そうなると、この「海兵隊兵士」はどこの基地からアフガンに派兵されたのだろうか?或いはどこの基地で訓練を受けて出撃したのだろうか?
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-04-23/2010042303_01_0.html

日本のメディアであるならば、こういう問題はそれこそ眼いっぱい問わなければならない。いつも海兵隊と付き合っているからだ。しかし、何も問われないままで、このまま忘れ去られていくのだろうか?

どこまでいったら、海兵隊の人権軽視問題がなくなるのであろうか?

そこで、テレビが大騒ぎしていない理由をいくつかあげてみることにした。

1.日本から、或いは日本で訓練を受けた兵士がアフガンに出撃しているのではないか。
2.こうした海兵隊を「抑止力」として持ち上げてきた日本政府とメディアの責任は重くのしかかってくるので、あまり騒がないのではないか。
3.こんな破廉恥なことをする軍隊が「抑止力」などいう寝ぼけたことは、もはやありえない。国民の中に「代抑止力」=ウソとデタラメ論が浸透していくことを最も恐れているのではないか。
4.だからこの軍隊の部隊名などもはっきりさせないのではないか。
5.そもそも軍隊とは人殺しを専門とする「暴力装置」だ。だからこそ、人の尊厳などを省みることは難しい。この兵士たちが、破廉恥行為をしたとしても、それは当然の行為であって、こうした軍隊の本質が見えてくることを最も恐れているのではないか。このことは旧日本軍の様々な行為によっても証明できるが、これについても「自虐的」として曖昧にする傾向があった。
6.特に「侵略軍」は、こうした軍隊の本質が浮き彫りになることを恐れているのではないか。
7.こうした行為が行われることそのものののなかに、このアフガン戦争の「大義」の有無が問われてくる。この戦争を支持し、支援し、税金を投入してきた日本政府とメディアの責任は重い。

さてどのような解決の方途が具体化されていくか、注目しておく必要がある。

もう一つ注目する記事があった。ロイターは、この記事を配信する一方で、以下の記事を配信していた。皮肉なものだ。
金総書記の遺体を永久保存、銅像や記念塔も建設へ2012年 01月 12日 18:14
http://jp.reuters.com/article/worldNews/idJPTYE80B05H20120112


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意見の違いはエネルギー源にもなる

2012-01-12 | 日記

今日の「朝日」の「声」欄に興味深い意見が掲載された。一つひとつをみると「その通りだな」と思うが、全体でみると結構意見の違いが見えてくる。

「地域エゴ」と「居住の自由」「絆」がそれを示している。
福島をはじめとして被災地の復興をどのようにすすめていくか、「バイオガソリン」も一つの案だろう。

だが、がれきの最終処分はたった3.5㌫だという。がれき処理がなかなか進まないのは何故か、住民の「地域エゴ」だけではないだろう。「地域エゴ」は何故生じるか。

政治の貧困がそこにある。では何故政治の貧困があるのか、政党や官僚や財界、メディアの責任は大きいが、その問題は脇において別の視点で述べてみる。

政治を営むのは政党や政治家だけではない。国民も同じだ。参政権は選挙権だけではない。人類があみ出した制度である参政権、これを活かすも殺すも、国民意識の改善が必要だ。

風評被害という国民意識も政治の貧困が作り出したものだ。対策が十分取られていないことからくる不安を反映しているからだ。

その点でいえば無党派層が増えるのもある種の風評被害だ。政党や政治家の活動が正しく伝わっていない、伝えられていないからだ。これを改善していくためには何が必要か。やはり国民意識の改善が必要だろう。

どのような改善が必要か、それは民主主義の再考・再興だろう。簡単に言えば民主主義は民が主という主義だから、その民こそが貧困を温存していることになる。デモクラシーのデモは人々、クラシーは統治力だそうだが、デモの統治力が民主主義ということになる。自治ともいえる。あなたまかせではない自らが主役ということだ。

意見の違いを認め合い、交流することで新しい発見=対策が生まれる。こうした共同=コミュこそが、今日本に大切だと思う。学校や職場や地域で、無数のコミュが形成されたとき、どんな社会が生まれるか、考えるだけでワクワクする。

ところで「朝日」の「声」欄は注目しているが、社の姿勢はこの「声」をどのように受けとめているのだろうか?

そう言えば、震災直後のコマーシャルにAC機構のコマーシャルが頻繁に流され、メディアジャックされた。あそこで流されたのはまさに「絆」「オールジャパン」だったように思う。当時、このAC機構を調べてきたら、とんでもないことがわかった。
http://www.ad-c.or.jp/acpartner/regular_list.html
http://www.ad-c.or.jp/manage/board.html
http://gigazine.net/news/20110318_ac_japan/

「絆」で調べてみると、こんな記事があった。
時代の風:「絆」連呼に違和感=精神科医・斎藤環毎日新聞 2011年12月11日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/opinion/jidainokaze/news/20111211ddm002070091000c.html
絆という言葉にもっとも危惧を感じるとすれば、本来は政府の仕事である弱者救済までもが「家族の絆」にゆだねられてしまいかねない点だ。
人々が絆によって結ばれる状況は、この種の改革とたいへん相性が良い。政府が公的サービスを民営化にゆだね、あらゆる領域で自由競争を強化し、弱者保護を顧みようとしない時、人々は絆によっておとなしく助け合い、絆バイアスのもとで問題は透明化され、対抗運動は吸収される。

河合隼雄著「老いのみち」読売新聞社より (79)2008年05月11日 (日)
http://lokulog.blog43.fc2.com/blog-entry-868.html
これは平安時代の物語などを読むと「ほだし」と読まれ、それは馬の足にからませて歩けないようにする綱を意味し、出家して仏門に帰依したいときに、親子の情などの「ほだし」が邪魔になる、という意味に用いられているのである。青年期に人間が自立しようとするとき、親子関係などは「ほだし」として意識されるのではないだろうか。かと言って、親子の「きずな」が弱いほど人間は自立しやすいと言えないところに人間関係の面白さがある。
人間の死を最後の「自立」の完成の機会として把えるときも、この「きずな」と「ほだし」の関係は意味深いものとなるであろう。老人の生を支える「きずな」の存在のなかで、それを「ほだし」として把える老人に「自立」への志向があるとき、老人と周囲の人たちの「絆」の意味が深められてゆくのではなかろうか。絆を「きずな」として一方的に肯定するだけではなく、「ほだし」としてみる態度をもってこそ、老いや死を意味あるものとして迎えられることだろう。

「声」欄から
がれきの搬入拒否は地域エゴ 医師 佐野克行(静岡県掛川市56)
震災のがれきの受け入れを県単位で表明しても市町村で拒否されることが多いという。これは一つの地域エゴだ。
静岡県では島田市が岩手県から受け入れるため地元説明会を開いたが、「少しでも放射能があったらだめ」「風評被害が心配」と、市に数百件の抗議の電話やメールが寄せられた。受け入れを開始した東京都やこれから受け入れを開始する大阪府へは数千件の抗議があった。
岩手県のがれきは汚染されていないにもかかわらず、拒否するというのはいかなることか。風評被害と言うなら、地域の力で跳ね返せばよいではないか。
こどもの健康が心配というなら、全国で放射能の及ばない絶対安全な所があるか考えればよい。被災地のこどもはどう生きればいいのか。私たちはこれまで電気エネルギーの恩恵を受けて生活してきた。原発反対派でさえも、相当の電気を使っている。いまさら危険と無関係ということが許されるだろうか。
市民すべてが放射能を含めて、大災害のリスクを引き受け、安全のためにはどのような未来を設計するか考えるべきだ。自分の身の回りに来ないでほしいというだけなら、その人々も被災者の差別や風評被害の加担者にもなり得るのである。

原発避難居住の自由あるはず 地方公務員 長谷川和好(福島市59)
 福島第一原発事故以来、子どものいる家族を中心に福島市から山形県などに転居する人がかなりいる。
 私の職場でも山形県米沢市など、通勤可能で業務に支障のない程度の距離のまちに転居した人が数人いた。子どもたちの健康を考慮すれば、放射線量の高い福島市から数値の低いところへ転居することはおかしなことではない。
 しかし、最近、私も参加した職員労働組合の大会で、転居した職員が幹部職員から福島に戻るように説得されたとされるケースが報告された。福島市は人口が減り、復興を進めるために戻つてきてほしい気持ちはわかる。
 だが、幹部がそのような発言をすれば、職員は命令されたかのように受け取るのではないか。避難した職員たちは子どものことを考え、決断したのだろう。居住と移転の自由は憲法にも保障されており、その発言が事実とすれば、幹部はやりすぎだと思う。

福島復興はバイオガソリンで 無職大塚久彌 (千葉市花見川区 69)
 福島第一原発で被害を受けた福島県の人々を将来にわたって日本全体でバックアップする仕組みの構築が必要とされていますが、私はバイオガソリンをその起爆剤にしたいと考えます。
 原発周辺の放射線の強い地域は風力と太陽光を活用した一大発電基地とし、その外側の広い地域でトウモロコシを、周辺海域で海藻を栽培するのです。
 トウモロコシや海藻は食用でなくバイオエタノールの原料です。精製しガソリンに混入すれ上ば燃料になります。組成や生産、使用を国が義務付け、全国のスタンドで販売するのです。
 バイオエタノールのガソリンヘの混入比率はブラジルでは20~25%、アメリカでは10%程度ですが、日本ではせいぜい3%で、しかもほとんど普及していません。しかし、これを広く使うことによって、福島で農業・漁業に従事する人は、風評被害におびえず仕事を続けることができます。
 日本国民全体で将来にわたって福島を支援することができ、二酸化炭素の削減にも寄与します。新しい産業をおこし、新しい雇用を生み、日本経済全体の活性化への起爆剤的効果も大きいのではないでしょうか。

「絆」で原発事故を顧みた 無職苫米地好道(福島市 77)
 昨年の漢字は「絆」だったという。清水寺の貫主が書き上げた墨痕に感じ入りつつ、それがどこに当てはまるか戸惑った。
 振り返ると、国と県の対応には早いものと遅いものとがあった。遅いのは、情報提示、避難指示、放射線量測定・被曝検査・除染計画・実施、食品安全確保、賠償など、住民にとって緊急を要するものが多い。
 早いのは、県の健康安全キャンペーン、避難解除、原発輸出再開、コメの安全宣言など。知事のコメの安全宣言はその後基準値超えが見つかり、政府の「原子炉の冷温停止」宣言も同様にならなければよいが。
 私は、国と県のやり方には「絆」の持つ温かさがないと思う。広辞苑には絆は「①馬・犬・鷹など、動物をつなぎとめる綱」とある。この意味で使うと「原子力村」はぴったりだ。
 「原子力村」に甘い綱で繋ぎ止められている人たちよ、そこは危険である。絆を断ち切って自由になれ。

原発の利益に巣食うムラビトの絆(きずな)唱えて民ほだちたり
今の世の加害と被害ウラオモテあちらを立ててこちらも立てる

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消費税増税・議員公務員削減のまえにやることはたくさんあるのに・・・

2012-01-11 | 日記

こんな記事が東京新聞にあったので、また一言二言メモしておくことにした。

主役は官僚と産業界【私説・論説室から】2012年1月9日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2012010902000066.html

 正月三が日が終わり、防衛省に防衛産業の社員が押しかけている。背広組の局長室や陸海空幕僚監部の幕僚長室、部長室を回り、新年のあいさつを交わす。
 再就職した背広組幹部や元将官らが水先案内人を務める。先輩が顔を出せば、後輩が門前払いできるはずもない。仕事らしい仕事もないのに現役当時と比べ、七割程度の年収を保障されている彼らの数少ない公式行事のひとつなのだ。
 防衛省が毎年一兆円近い武器調達費を支払っている契約高上位二十社に過去十年で三百人以上の将官ら高級幹部が顧問や嘱託として再就職している。「人とカネ」を通じた防衛省と防衛産業の癒着は明らかだ。調達費に天下り幹部の報酬が含まれてはいないか。
 民主党政権は出身官庁による再就職あっせんを禁止したはずだが、二〇一〇年防衛省だけで五百二十九人が取引先に再就職した。若年退職者はあっせんできるきまりとはいえ、五十歳も半ばになって若年はない。官僚の軍門にくだった政権の指示など、「何処(どこ)吹く風」といわんばかりだ。
 年の瀬に野田内閣は武器輸出三原則を緩め、米国や友好国との武器共同開発・生産に踏み出すことを可能にした。防衛産業からの支持と引き換えに「平和国家」の看板を降ろすというのか。ずる抜けの天下り禁止をみても、この国の主役は官僚であり、産業界であることは明らかだろう。(半田滋)

>防衛省が毎年一兆円近い武器調達費を支払っている契約高上位二十社に過去十年で三百人以上の将官ら高級幹部が顧問や嘱託として再就職している。「人とカネ」を通じた防衛省と防衛産業の癒着は明らかだ。調達費に天下り幹部の報酬が含まれてはいないか。

という認識そのものは大いに評価できる。しかし「主役は官僚と産業界」だろうか。「私説・論説室」からの発信という点では物足りない。

「ずる抜けの天下り禁止をみても、この国の主役は官僚であり、産業界」を監視するのは誰か、政治家も献金で癒着している。ではマスコミはどうだろうか?

消費税増税のためには議員削減・公務員改革と称して人員削減や賃金カットを声高に叫んでいるマスコミ界にとって肝心のところにメスを入れているだろうか。

「みんなの党」ではないが、「消費税増税の前にやることあるだろう」問題として、この構造的癒着問題に大なたを振るうことこそが、財政再建問題の展望を切り開くことになるのではないか。

こんな癒着構造を温存するために中国・北朝鮮の脅威が繰り返されて、国民の中に日米安保条約容認の世論が醸成されている。沖縄の米軍基地が返還されないのも、こうした本土の世論が背景にある。沖縄県民の苦渋が解消されない最大の構造だ。こうした状況で一番喜んでいるのは誰か?

調べてみたら、一年以上前にこんな記事があった。

『幹部自衛官320人天下り 過去10年2010年9月20日 朝刊
防衛省が毎年1兆円近い武器調達費を支払っている契約高上位20社に、過去10年間で320人の将官ら幹部自衛官が顧問や嘱託として再就職していることが分かった。三菱重工業、三菱電機、川崎重工業、NECの上位4社だけで155人に上る。天下り数と支払額はほぼ比例しており、「人とカネ」を通じた防衛省と防衛産業の密接な関係が裏付けられた。
防衛省は2009年度調達費(1兆2627億円)のうち、上位20社に9212億円を支払った。上位20社には過去10年で、防衛相の承認で顧問・嘱託などになった将官や上級の一佐など320人が再就職していたことが本紙の調べで判明した。
過去10年間に防衛相の承認で再就職した総数は884人で、上位20社に36%が集中、さらに上位4社で18%を占めた。
武器は生産できる企業が限られ、随意契約が多いのが特徴。例えば、戦闘機と戦車は三菱重工業しか造れず、潜水艦は同社と川崎造船(川崎重工業の子会社)にしか建造能力がない。
三菱重工業の09年度契約額は2629億円、過去10年では2兆9000億円に上った。再就職も過去10年間で54人とずばぬけて多い。
07年度以降、契約額が3位から2位に上がった三菱電機が採用した再就職者は40人。同年度4位に転落し、08年度に3位になった川崎重工業は25人にとどまった。
競争入札を通じて燃料を納めている中川物産、新日本石油(現JX日鉱日石エネルギー)などに天下りはいない。JX日鉱日石エネルギー広報部は「雇う必要がない」とした。

これを読むと問題解決に向けた取り組みが進展していないことが判る。何故か。
広告収入で成り立つマスコミは、この決定的とも言える構造的癒着にメスを入れられない事情があるのだろう。そう言えば官房機密費の使途についてもそうだった。

さらに、もう一つあった。

「財政再建」へ「聖域」にメスを 笠井議員の質問 衆院予算委2010年8月4日(水)「しんぶん赤旗」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik10/2010-08-04/2010080403_01_1.html
記事の主な部分をあげてみると、

歴代自民党政治のもと、大資産家は数々の優遇税制の恩恵を受けてきました。 所得税の最高税率は、1974年の75%から現在の40%まで段階的に引き下げられました。株式配当にかかる税率は、本来20%だったものが現在10%に軽減されています。 笠井氏は、1億円以上の報酬をもらっている大企業の役員が全体で約170社、約290人にのぼることを紹介。このうち223人でみると減税額(98年時の税率と比較)が52億8000万円(1人あたり平均2368万円)に達することを指摘しました。

 笠井氏は、「思いやり」予算が1978年当初は62億円だったのが年々増加し、09年までに総額5兆6000億円にものぼり、今年度は米軍再編経費などを加えると日本側負担は合計3370億円の過去最高となったことを示しました。 軍事費をめぐってただすべき問題として笠井氏が取り上げたのは、軍需企業との癒着の構図。ミサイルや戦闘機などの研究・開発・試験のために軍需企業から「技術支援」の名目で職員を受け入れ、「役務の対価」として平均10万円超の高額な「日当」を支払っている問題です。 過去5年間に平均60社から職員を受け入れており、今年度から調達が始まった「10(ひとまる)式戦車」を生産する三菱重工業など発注関係のある企業がずらりと並んでいます。
 笠井亮 企業側に支払った「日当」の05年度から今年6月末までの総額はいくらか?
 北沢俊美防衛相 約267億円。
 笠井 何人の職員に、1人1日あたり平均いくら支払ったのか。
 北沢 正確な数字がまだ出ていない。
 笠井 払った金額をなぜ答えられないのか。職員1人あたりの「日当」が明らかになると、国民の常識から理解できないくらい高すぎるからではないか。

「企業側に支払った「日当」の05年度から今年6月末までの総額は約267億円。何人の職員に、1人1日あたり平均いくら支払ったのか、正確な数字がまだ出ていない」などと平然と国会で答弁する。こんな政治家が「脅威論」をことさら言うのだ。

それにしても、なぜこのような税金の使い方が「大問題」として世論にならないのか、不思議だ。

税金が使われて、それが政治家に献金されている実態を軍需産業で働いている労働者・国民はどう思っているのだろうか?

「防衛関係費5兆円のうち、装備品等を購入するための経費は毎年2兆円程度」(「防衛生産・技術基盤及び武器輸出三原則等について」平成21年3月26日防衛省)という数字をみると、この「2兆円程度」の税金がどのような構造的癒着で決められて使われているか、監視が必要だろう。

これらの税金が「国債発行」によって雪だるま式に増え、「財政危機」が作り出され、今消費税増税へ、そのために「身を削る」などという口実がまことしやかに振りまかれているのだ。

身を削るのはどこか!そこをまずハッキリさせることが必要だろう。

身を削る恥部に大なた振るう時血税活かす政生まれる
ひたすらに増税叫ぶマスコミの弱みはひとつ糧の広告

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