石井宿があったと思われる辺りを抜け、現在は県道25号線の旧道を更に10分ほど行った地点の左カーブの右手に、スッと伸びる松が見えてきました。
松の傍には大きな地蔵が建っており、またベンチも設置されているなど、ちょっとした休憩スペースのようになっているその前には、県道とは別に左カーブの細い道が(上段写真)。
何の関心も無ければ、そのように造られたスペースのように映りますが、私には旧道の名残り、と . . . 本文を読む
平塚橋より平塚地区を歩くこと約20分、小畔川(こあぜがわ)に架かる「とげ橋」を渡って左カーブの緩い坂を下った川越市大字小坂1030付近で、歩きはじめて最初の庚申塔を、右手に見つけました(上段写真)。
かつて児玉街道にもあったはずの一里塚は、現在では旧奈良梨宿跡あたりの「かな?」と云う一箇所以外(後述)は全て消滅しており、また「児玉街道」そのものが地図上では存在していないことなどもあって資料が極 . . . 本文を読む
板橋仲宿の追分から「川越街道(川越往還)」として始まる、中山道の脇往還。
川越宿から先は「児玉街道(児玉往還)」として、現在の埼玉県川越市から坂戸市を経て東松山市、比企郡嵐山町、同 小川町、大里郡寄居町、埼玉県本庄市、児玉郡神川町を通り、上州藤岡(現 群馬県藤岡市)まで続いています。
当時の道筋は現在も活用されていますが、国道と県道の合わせて7本の道路にそれぞれ分断・整備されいるため、「児玉街 . . . 本文を読む