“金剛地”地区を抜けて再び県道6号線に合流し、塩川に架かる塩川橋を渡れば、甲府柳町宿より3里、まもなく韮崎宿に。
予定通り、ほぼ3時間かかって到着。
武田晴信(信玄)がこの地で治水工事を行って以降だんだんと人が移り住むようになり、やがて宿場町が形成されたのだとか。
上段写真の右手が本陣跡で、現在は眼科医院となっています。
町並みそのものに当時の面影はないように見えますが、道沿いの一部の建 . . . 本文を読む
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- 嵐悳江(あらし とくえ)──手猿樂師にして、傳統藝能創造家にして、鐵道愛好家にして、古道探訪者にして、文筆家氣取り。
雅号は「李圜(りかん)」。
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