迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

これが“わたし”じゃ。

2019-11-16 23:40:23 | 浮世見聞記
来る12月14日(土)、15日(日)に横浜市南区の蒔田公園で開催される『光のぷろむなぁど』内で行なはれる、“水辺の光コンサート”の説明会に出席するため、同区の吉野町市民プラザへ出かける。



昨年、初めて現代手猿楽をもって参加する予定だったが、生憎の雨で取り止めとなり、無念の涙をのまさるる。

それから一年、今回は担当者から参加のお誘ひを頂ひたので、今年こそは! と改めて応募す。



チラシに活字化された自分の名と自分の創った藝能に、「これこそが“自分”といふ存在の証なのだ!」との気持ちを、改めて認識する。




十年以上前、それまでいた“組織”に失望して外界へ飛び出し、

それから色々な場面に遭遇して、

その延長線上に現在(いま)がある。


いくつもの失望を経た先の、

納得世界。




帰宅すると、今度予定してゐる装束を箪笥の底から引っ張り出す。


これぞ嵐悳江(わたし)の存在証明。




何も無いヒトになど、なるものか。



怖いのは、

何も無いことより、

その自覺が無いことのはうなのだ。











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