昭和三十年(1955年)の今日、我が國初めての人間國寶選出が行なはれ──認定は2月15日──、歌舞伎からは七代目坂東三津五郎がその榮譽に浴する云々。
(「道行旅路花嫁」奴)
それは“歌舞伎役者”としてではなく、歌舞伎舞踊の“踊り手”としての選出であったところに、七代目三津五郎の役者としての運命を感じる。
映画で遺ってゐる晩年の「傀儡師」や「喜撰」を觀たことがあるが、私の鑑賞眼ではその良さと云ふものが今一わからなかったのが、正直なところ。
同じ時代にやはり舞踊の名手と謳はれた上方の二代目林又一郎は全く知らず、その又一郎が個人的趣味で撮影して今日に遺した、やはり舞踊の名手六代目尾上菊五郎の「鏡獅子」については、大舞臺を圧倒するその素晴らしさを實感することが出来る──小津安二郎が監督した例のフィルムは、やはり出来映えが良くないこともよくわかる──。
噺が逸れたが、人間國寶とはその人の技藝が國寶なのであり、その人そのものがおタカラなのではない。
その人については“重要無形文化財保持者”と云ひ、技藝を行なってゐなければタダのヒトである。
(「京鹿子娘道成寺」白拍子花子)
確か七代目三津五郎が“重要無形文化財保持者”と認定されたのち、彼がつとめる舞踊には、外題のほかに「文化財鑑賞狂言」と云った角書きが付ひたと聞いてゐる。
このおタカラ保持者、私が樂しみとしてゐる傳統藝能については、それに相應しいと納得できる人もゐれば、「……?」な人もゐて、外野からではその選定基準がよくわからない。
いつであったか、人望なくしてリエンの主に成田屋(なりたや)と窺ってゐる暴優……、いや忘優が、「オレは人間國寶だ」などと放言したとして報道屋の恰好のネタにされてゐたが、
案外これは選定の本質を衝いてゐるのではないかと、私はこの噺だけは面白く聞いたものだ。