五島美術館の特別展「西行 語り継がれる漂泊の歌詠み」を觀る。
能の「西行櫻」、また「江口」から取材した長唄「時雨西行」、そして岡本綺堂の戯曲「佐々木高綱」では“涙もろい男”と揶揄されてゐることなどで私にも馴染みある西行法師、しかし二十三歳で佐藤憲清の名と北面武士の職を棄てて出家したと云ふほかは經歴がはっきりせず、遺された和歌(うた)を元にほとんどが傳説化された挿話に彩られた、平安末期の放浪歌人。
そんな西行法師ゆかりの斷簡や繪巻物をかき集めた意欲的な企画ながら、意外と遺されてゐないと云ふ西行法師の肖像画と、
(※案内チラシより)
ほとんどが“傳”の但し書付きな西行法師の遺墨中、
(※同)
間違ひなく“真筆(ほんもの)”とされてゐる消息の二點が目に出来れば、それで充分な内容。
實際の人物像がわからないぶん、他人(ひと)にとっては好きに噺を作れるわけで、それはその人のことをろくに知りもしない者が、さも面識があるが如くその人について語るのと同じだな──
そんな“語られる側”だった昔噺を、ふと思ひ出す。