昨年正月と同じく、神奈川縣秦野市の出雲大社相模分祠へお参りする。
三が日を過ぎたためか、混雑はおさまってゐたのがなにより。
秦野は湧水の名所云々、境内の龍蛇神様がこの時期だけ公開云々、
拝しに訪ねたものの、本當の關心は古への日本人が龍と蛇とを混同して認識してゐた名殘りを確かめることにあり。
昨年末に觀た國立公文書館の企画展にて初めて氣付かされた歴史で、私などは學んだことなど片っ端から忘れてしまふ性質(たち)だが、最近のことならまだアタマの片隅に殘ってゐるおかげで、
かういふ時に他人(ヒト)とは別な方向から謂れ因縁故事来歴が見られることを、ありがたく思ふ。
参拝のあとは北方へ約四キロの、源實朝公首塚を昨夏以来再訪する。
初の武家政權が樹立された揺籃期に命を奪はれた源氏将軍だが、和歌を通して歴史に名を殘したことは、敗者を意味しない。
靜かな地で靜かに眠る、その靜かな力に合掌することで、
私はやうやく今日の本意はここにあったことを知るのである。