神戸地区を抜けて約10分後、再び中央本線のガードをくぐり抜け、国道19号線に合流すると、すぐに左へ分かれ、標高740㍍の板敷野地区へ。
その外れでアスファルトの道から分かれて、中央本線に沿って伸びる細い草道が、かつての道筋。
進むうちに草道の旧道は、盛り土の上に建つ小さなお堂の前で、途切れてしまいます(上段写真)。
右手のお堂は「沓掛馬頭観世音」と云い、木曽義仲が川で溺れ死んだ愛馬を弔うために建立したもの。
本来はもっと南寄りにあったそうですが、明治42年に中央本線を敷設する際、沓掛一里塚(東塚)の上へ移されました。
ちなみに西側の一里塚は、その際に取り壊されてしまいました。
迂回路を経て国道19号線に入ると、上松宿の手前まで木曽川に沿って進みます。
かつてこのあたりの道は、“木曽のかけはし”と云って、崖伝いに丸太を組んで渡した、いわゆる桟道だったそうです。
つまり、崖という、道をつくれない場所に、人工的に道を通していたわけです。
その当時の岸壁の石垣が現在でも一部が残されていて、橋の上から見ることが出来ます。
国道19号線を行くこと約40分後、「笹沢」信号を左折して中央本線沿いの道へ入り、部分的に残っている旧道を線路の向こうに見ながら進むうち、十王橋を渡って上松宿へ。
↑写真の宿場入口あたりにのみ、かつての風情が残されています。
その外れでアスファルトの道から分かれて、中央本線に沿って伸びる細い草道が、かつての道筋。
進むうちに草道の旧道は、盛り土の上に建つ小さなお堂の前で、途切れてしまいます(上段写真)。
右手のお堂は「沓掛馬頭観世音」と云い、木曽義仲が川で溺れ死んだ愛馬を弔うために建立したもの。
本来はもっと南寄りにあったそうですが、明治42年に中央本線を敷設する際、沓掛一里塚(東塚)の上へ移されました。
ちなみに西側の一里塚は、その際に取り壊されてしまいました。
迂回路を経て国道19号線に入ると、上松宿の手前まで木曽川に沿って進みます。
かつてこのあたりの道は、“木曽のかけはし”と云って、崖伝いに丸太を組んで渡した、いわゆる桟道だったそうです。
つまり、崖という、道をつくれない場所に、人工的に道を通していたわけです。
その当時の岸壁の石垣が現在でも一部が残されていて、橋の上から見ることが出来ます。
国道19号線を行くこと約40分後、「笹沢」信号を左折して中央本線沿いの道へ入り、部分的に残っている旧道を線路の向こうに見ながら進むうち、十王橋を渡って上松宿へ。
↑写真の宿場入口あたりにのみ、かつての風情が残されています。