支那の研究所から漏れたとされる人災疫病が日本國内で初めて確認されて、今日で三年云々。
私がこの疫病禍を本氣で意識したのは、使ひ捨てマスクがいよいよ手に入りづらくなった、それから半月後のことだ。
マスクひとつ日本(じぶん)で作れぬ國力の低下ぶりが明るみに出た事件であり、その状態は諸物価の高騰が示す如く、三年が經った現在も全く変はってゐない。
この人災を機に自給自足──國産に目覺めるかと期待したおのれの甘さを、嗤ふばかりだ。
大相撲初場所の九日目、昨日は鼻血を出した貴景勝、今日は佐田の海をものともせぬ押出しで圧勝、
結びの一番の中繼に間に合ふやう、帰り道を急ひだ甲斐あり。
夕方のスーパーで50圓値引のシールが貼ってあった砂肝の鉄板焼レモン風味が、夕食のお惣菜。
盛り付けの九条ねぎにそそられて、手に取ったもの。
砂肝の食感より、おねぎの藥味と歯触りにシアワセを感じる。
些細なシアワセこそ、
大きな幸せ。