上方漫才の喜味こいしさんが今日午後、肺ガンのため83歳で亡くなられたとのこと。
先年亡くなられたお兄様の夢路いとしさんとコンビを組んだ「いとしこいし」のしゃべくり漫才には、大阪時代に関西ローカル局のお笑い番組を通してよく接し、親しんでいました。
お二人ともいつもジャケットを羽織ったラフなスタイルで一本のマイクの前に立ち、イマドキのお笑い芸人モドキの如く、いかにもウケ狙いの見え透いたギャグ叫ぶわけでもなく(そしてそれは決まって、つまらないの域にすら達しない低レベルさ!)、オーバーリアクションをするわけでもなく(自信が無い人ほどオーバーリアクションになります)、相方をやたらとひっぱたくわけでもなく(とにかく相方を叩けば客が笑うなど幼稚以下の発想、それを見てウケている客もまた然り)、ひたすら淡々と、まるで世間話しでもしているかのような落ち着いたテンポと内容で、いとしさんのちょっとピントのズレた感じでの(これがポイントなのです)ボケに、こいしさんがごくごく常識的な言葉で(これもポイント)ツッコミを入れる、その絶妙な掛け合い、つまり“間”に、お客様は笑いを誘われる-。
お笑いの基本は“間”の取り方にある、その芸人が上手いか下手かは、ちゃんと“間”が取れるかどうかだ-と云うことを、思えば私は、大阪時代にこのご兄弟のしゃべくり漫才から学んだのでした。
ですから平成11年に大阪市指定無形文化財に指定された時だったと記憶していますが、
“上質な笑いをお茶の間に提供した”
ことが理由の一つとして挙げられたのには大いに頷き、またその時に、
「私たちはコンビを結成した時から一番手は狙わず、常に二番手・三番手としてやってきました」
とコメントされたその謙虚なお姿に、この気持ちこそがお二人を第一級の上方漫才師へと導いたのだ、とますますファンになりました。
何でもかんでも「俺が俺が…!」ではないあの謙虚な姿勢は是非とも学ばなければならないと、私はいま、改めて身を律しているものであります。
平成15年にお兄様を亡くされてからは漫才を封印され、バラエティー番組などにゲストコメンテーターとして時折お顔を出しておられましたが、あの一流の漫才がもう聴けないことを残念に、寂しく思ったものです。
若手芸人のなかにも、才能のある方は沢山いらっしゃいます。
そういう方たちは、テレビなどに出てあんなヘラヘラチャラチャラすることなく、地道に寄席や地方巡業などの舞台に出て、懸命に芸を磨いておられます。
この方たちにこそ、あの本物の芸と精神を受け継いでいってほしいと、心から願います。
合掌。
先年亡くなられたお兄様の夢路いとしさんとコンビを組んだ「いとしこいし」のしゃべくり漫才には、大阪時代に関西ローカル局のお笑い番組を通してよく接し、親しんでいました。
お二人ともいつもジャケットを羽織ったラフなスタイルで一本のマイクの前に立ち、イマドキのお笑い芸人モドキの如く、いかにもウケ狙いの見え透いたギャグ叫ぶわけでもなく(そしてそれは決まって、つまらないの域にすら達しない低レベルさ!)、オーバーリアクションをするわけでもなく(自信が無い人ほどオーバーリアクションになります)、相方をやたらとひっぱたくわけでもなく(とにかく相方を叩けば客が笑うなど幼稚以下の発想、それを見てウケている客もまた然り)、ひたすら淡々と、まるで世間話しでもしているかのような落ち着いたテンポと内容で、いとしさんのちょっとピントのズレた感じでの(これがポイントなのです)ボケに、こいしさんがごくごく常識的な言葉で(これもポイント)ツッコミを入れる、その絶妙な掛け合い、つまり“間”に、お客様は笑いを誘われる-。
お笑いの基本は“間”の取り方にある、その芸人が上手いか下手かは、ちゃんと“間”が取れるかどうかだ-と云うことを、思えば私は、大阪時代にこのご兄弟のしゃべくり漫才から学んだのでした。
ですから平成11年に大阪市指定無形文化財に指定された時だったと記憶していますが、
“上質な笑いをお茶の間に提供した”
ことが理由の一つとして挙げられたのには大いに頷き、またその時に、
「私たちはコンビを結成した時から一番手は狙わず、常に二番手・三番手としてやってきました」
とコメントされたその謙虚なお姿に、この気持ちこそがお二人を第一級の上方漫才師へと導いたのだ、とますますファンになりました。
何でもかんでも「俺が俺が…!」ではないあの謙虚な姿勢は是非とも学ばなければならないと、私はいま、改めて身を律しているものであります。
平成15年にお兄様を亡くされてからは漫才を封印され、バラエティー番組などにゲストコメンテーターとして時折お顔を出しておられましたが、あの一流の漫才がもう聴けないことを残念に、寂しく思ったものです。
若手芸人のなかにも、才能のある方は沢山いらっしゃいます。
そういう方たちは、テレビなどに出てあんなヘラヘラチャラチャラすることなく、地道に寄席や地方巡業などの舞台に出て、懸命に芸を磨いておられます。
この方たちにこそ、あの本物の芸と精神を受け継いでいってほしいと、心から願います。
合掌。