迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ニッポン徘徊──東海道26 袋井宿

2018-11-29 07:39:52 | 旧東海道
行人坂を下ると、大正時代に植えられたらしい松並木を経て(↑写真)、今度は長い直線の上り坂をのぼり、両側に住宅が続く三ヶ野へと入ります。

すると10分ほど行ったところで、旧道はいきなり林のなかへと入ります。

道を間違えたかと一瞬驚きましたが、ここはかつての古戦場跡にあたり、案内板によれば左に下って行くのが江戸時代の旧東海道(赤矢印)、斜め右に下るのが、鎌倉時代の古道とのこと(青矢印)。



道は先で合流するらしいので、ならばと、交通の要所であった中世の名残りである鎌倉時代の古道に進路をとります。



山道を抜けると、向こうには旧東海道の松並木が見えてきます。




旧道はその先の太田川のほとりで国道1号線に合流して三ヶ野橋をわたり、埃っぽい道を15分ほど直進して袋井市に入ると、間もなく遠州トラックの車庫の先で、左に分かれて行きます。

「木原畷」というこの地区は、かつて徳川方と武田方が戦った古戦場跡でもあり、



沿道の許禰神社の鳥居脇にある岩は、戦勝祈願に訪れた徳川家康が腰掛けたとか云う、こういうテの史跡によくある逸品──全国に点在する「○○の腰掛け岩」というやつです──が遺されています。

本来の位置から600㍍西に復元されている一里塚を右に見てしばらく行くと、



旧道は再び国道1号線に合流、川井交差点を過ぎ、左に逸れる国道とは再び分かれて、直進。

左手に残る長屋門の建物を過ぎた先で、道は枡形の名残りか、右から左へと緩やかな曲線を描き、



東海道五十三次のちょうど中間にあたる、袋井宿へと入ります。



かつての面影など無いのはもちろんのこと、両側に寂れた家屋が続くだけで見るべきものは何も無く、門だけを復元して整備された本陣跡もなにやら空々しく、そのまま通り過ぎることにします。


宿場の外れで道筋は袋井市役所の敷地にかかって一部が消滅しているため、右手のスクランブル交差点を迂回、その先のコンビニ裏を斜めに行く旧道へと入り、二里十六丁(約9.6km)先の掛川宿へ向かいます。
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