迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

陰徳を積む、その精神文化。

2018-11-28 17:13:47 | 浮世見聞記
横浜市港北区の大倉山記念館で、研究所資料展「世の為に田を耕す~大倉家三代の生き方~」を見る。





明治の初め、出版業で身を興した初代大倉孫兵衛、

その後を継ひで二代目となり、実業家として活躍しつつも五十七才の働き盛りで急逝した大倉文二、

三代目の邦彦は文二の養子、戦後に多額の負債を抱へた大倉洋紙店をわずか二年半で立て直すなど実業家としての手腕を発揮する一方、

「物質的な豊かさのみでは精神的な豊かさは得られない」

と、精神修養を主とした教育活動にも力をそそぐ──

さうして設立されたのが「大倉精神文化研究所」であり、現在では「横浜市大倉山記念館」として、市民の憩ひの場に活用されてゐる。



周辺の地名と、東急東横線の駅名「大倉山」は、この大倉邦彦にちなんでゐることは、言ふまでもない。


二代目文二と三代目邦彦はそれぞれ養子のため、初代の孫兵衛と血のつながりはないが、しかし実業家としての精神は、たしかに受け継がれてゐる。


事業とは、公共の利益を目指したものでなくてはならず、決して私利私欲のためであってはならない──

さうしたものを子孫に残せば、子孫もそこから有益な事業を経営することが出来、

『ただ財産を譲られただけの子孫のように堕落することは少ない』──

この最後の一文は、なかなか深いところを衝ひてゐる。

土地転がしに見事にしてやられ、天下にマヌケぶりを曝した大手不動産会社や、

日本人幹部の古典的“作戦”によって見事に拘置所送りにされた、大手自動車製造会社の異人元会長などを思ひ重ねると、

大倉家三代の精神が、より鮮明に浮かび上がってくる。


『観に来てくれた人に、楽しんで行っていただきたい』──

これは私が大阪で学んだ、一番の真理。


『踊る人も、見る人も、どちらも楽しいもの』──

踊りを趣味としてゐた、亡き祖母の言葉。


私が学んだ人にものを見せることの根本と、

大倉家三代の精神は共通してゐる。


だから私は、

いまの自分を信じて、

これからも生きていく。




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