第二次“お手上げ宣言”が、七日に發出予定云々。
飲食店より、そこに出掛けるヒトたちを捕獲對象にするべきだらうが、それらをいちいち追ひ掛けてなどゐられないので、代はりに疫病が捕獲してゐるやうにも映る。
なんであれ、飲食店系にとっては新年早々の受難であらうことに違ひはない。
そのまま正月明け宣言とも取れるこの報に、令和三年の本格始動を感じるのが悲しい。
前回は人の集まりやすい業種が軒並み“自主休業”となったが、今回は飲食店系のみが休業要請の對象云々。
飲食店より、そこに出掛けるヒトたちを捕獲對象にするべきだらうが、それらをいちいち追ひ掛けてなどゐられないので、代はりに疫病が捕獲してゐるやうにも映る。
なんであれ、飲食店系にとっては新年早々の受難であらうことに違ひはない。
が、一日で○○○萬圓の賣り上げを弾き出すと豪語する忘“夜の店”が、休業した途端にカンバンを下すと云ふことは、もともと賣り上げはあっても儲けが無いわけで、人災疫病に関係なく何かキッカケがあれば潰れることは必然だ、と同情的にはなれない。
もっとも、飲食店へ出かける生活文化を持たない私にとって上の事情などだうでもよく、むしろ活動の大切な情報源である文化系施設の如何のはうが、私には氣にかかる。
幸ひ、自粛要請の對象外とはなってゐるが、こちらとて不心得者次第で事情は変はる。
最初の“お手上げ宣言”が延長戰の末に解除された昨年の六月初旬、隣町への散歩の際に時おり立ち寄る驛ビル内の書店が時短営業でやうやく再開されたとき、「生活文化が少し戻ったかな……」と安堵感を覺えたことは、私の地元密着派生活における最も印象的な出来事だ。
──が、二度は味はひたくはない。