昼前から雨が本降りとなる。
その雨音を聴きながら、錦の小裂で“扇袋”を縫ふ。
マスク作りのおかげか、これくらゐならまう手馴れたものよ。
ふと思ひ立ち、約三十年も昔に録画した「京鹿子娘道成寺」を、飛ばし飛ばしで視る。
主演の白拍子はこの頃が品位と美貌の最盛期であり、演奏の長唄囃子連中も立唄の聲質が好きではないものの、最高の陣容であることは間違ひない。
この舞踊劇が録画された木晩町の芝居小屋では、八月から一狂言毎の入替制で興行を再開云々。
それこそ動画配信で充分な狂言立と配役に、現今におけるこの業界の限界を見る。
それにしても上の「京鹿子娘道成寺」、いま誰が演じられるのだらう──?
夕刻ちかくになって、太陽が顔を覗かせる。
散歩に行く支度をしながら、ここ最近は天氣が讀めないな、と思ふ。
はっきりと讀めるのが、皮肉にも支那病菌の感染状況。
尻輕どもが、率先して人体感染實験に検体として協力してゐるゆゑなるらん。
先走った抑制解除により戻ったのは、“日常”ではなく“異常”である。
支那病菌との“共存”など、事態が収束(終熄)した後の話し。
なぜなら、この病菌は死滅しないらしいから。
現在(いま)はまだまだ、“闘ひ”の最中にある。
敵に、“忖度”など無いのだ。