迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

ヒトに不都合な夏。

2020-07-05 18:24:00 | 浮世見聞記
昼前から雨が本降りとなる。

その雨音を聴きながら、錦の小裂で“扇袋”を縫ふ。



マスク作りのおかげか、これくらゐならまう手馴れたものよ。


ふと思ひ立ち、約三十年も昔に録画した「京鹿子娘道成寺」を、飛ばし飛ばしで視る。



主演の白拍子はこの頃が品位と美貌の最盛期であり、演奏の長唄囃子連中も立唄の聲質が好きではないものの、最高の陣容であることは間違ひない。


この舞踊劇が録画された木晩町の芝居小屋では、八月から一狂言毎の入替制で興行を再開云々。

それこそ動画配信で充分な狂言立と配役に、現今におけるこの業界の限界を見る。


それにしても上の「京鹿子娘道成寺」、いま誰が演じられるのだらう──?



夕刻ちかくになって、太陽が顔を覗かせる。



散歩に行く支度をしながら、ここ最近は天氣が讀めないな、と思ふ。


はっきりと讀めるのが、皮肉にも支那病菌の感染状況。

尻輕どもが、率先して人体感染實験に検体として協力してゐるゆゑなるらん。


先走った抑制解除により戻ったのは、“日常”ではなく“異常”である。



支那病菌との“共存”など、事態が収束(終熄)した後の話し。

なぜなら、この病菌は死滅しないらしいから。

現在(いま)はまだまだ、“闘ひ”の最中にある

敵に、“忖度”など無いのだ。






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 今年もまた遭ふたる言葉。 | トップ | “まんえん”の元凶を知る。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。