県立神奈川近代文学館の特別展「巨星・松本清張」を見る。
私がはじめて読んだ松本清張の作品は、税務署の内実を曝いた「歪んだ複写」で、新聞記者が鉛筆で記事原稿を書く場面に、“昭和”を感じたものだった。
以来、代表的な作品をはじめ、手当たり次第に諸作読み続けて現在に至るが、不惑になってからの作家業といふ“遅れ”を取り戻すかのやうな量産ぶりは、やはり作品によって出来不出来の落差も大きい。
傑作は徹底的に傑作だが、駄作はまた徹底的に駄作で、私が読んできて知る限り、中間(まずまず)といふものがない。
それでも松本清張の作品に惹かれるのは、万年筆の手書き原稿から紡ぎ出される、文章表現の絶妙さゆゑだ。
情景描写もさることながら、その人物の表面的な言動から内面(うち)の心情を抉り出す活写ぶりは、松本清張の独壇場だと私は考へてゐる。
特に、「黒革の手帖」に登場するブランド品で身を固めた成金男について、“人間が汚いと着ているものまでが汚く見える”といった一文に出逢ったときは、その妙味に思はず唸ったくらゐだ。
かうした味はひは、私の文筆家気取りをいたく刺激する。
自分も、文章といふやつを無性に書きたくなる。
──結果、撃沈するのだが……。
今回の特別展では、あまりに膨大な執筆量のために書痙を痛め、昭和34年から九年間は速記者を雇って口述筆記で作品を発表してゐた、と云ふことを、初めて知る。
「強き蟻」や「迷走地図」には女性速記者が登場し、描写もかなり具体的なのは、実体験に基づいてゐるから、といふわけだ。
どちらの作品も女性速記者は共通して、まだ若いが“女”として魅力に乏しい人物、に描かれてゐるのも、その時の印象からだろうか。
だが、「迷走地図」では“謀殺”された雇ひ主の捜査のやり直しを、警察署に駆け込んで懸命に訴へるなど、無情うずまく政界を描いた作品のなかで唯一、人間らしい情をもった人物に描かれてゐて、なかなか皮肉が効いてゐる。
代表作──それだけでも膨大な数だが──の直筆原稿と初版本、関連資料を展示したコーナーでは、とくに印象深かった「小説帝銀事件」のところで、しばらく足をとめる。
会場の後半には、松本清張のライフワークでもあった日本古代史のコーナーが設けられ、氏がその考察について述べた抜粋に、はっと胸を衝かれる。
『われわれアマチュアのありがたさ、だれに気がねすることもなければ、袋叩きをおそれることもない』
私が現代手猿楽を興した考へと、見事に合致してゐる!
私が言ひたいことを、松本清張がすべて言ひ表してくれてゐる!
松本清張の作品に惹かれるのは、このやうに考へ方に共通するものがあるからだらう。
私の活動を、
巨星がうしろから背中を押してくれたやうな、
そんな励ましを確かに感じて、
さらなる創造へと気持ちが奮へる。
昨夏、横浜市南区の吉野町市民プラザで開催されたダンスイベントが今年も企画され、その参加者募集のチラシに、私が前回に演じた現代手猿楽「猩々」の写真も、バッチリ使用されてゐるのを見つける。
継続は力なり。
そなたには、“巨星”がうしろにつひてゐる!