この出来事は、現在でもはっきりと記憶してゐます。
日本の報道屋が連日のやうにかの國との不穏な政治情勢を傳へ、その印象ばかりを抱ひてゐた私は、「あの國にそんな人がゐたのか……!?」と、驚きと戸惑ひを感じたものでした。
そして間もなくこの出来事は映画となり、私も劇場へ出かけました。
主人公の韓國青年の父親役が、静かに見守るなかにも男親としての“大きさ”を見せる好演ぶりが、印象的でした。
報道屋が傳へる政治情勢と、人とは全く別に考へなくてはならない──
現在の私の認識は、あの映画を観たこともその一助となってゐるはずです。
キムチも、コチュジャンも、海苔も、そしてお伽噺な映像作品も、私の関心事として生活の一部分になってゐます。
この國難がすっかり終熄したら、實際に海を渡り一見せばやと存じ候、でもあります。
そしてその時には、日本でも件の写真展を開催してほしいものです。
はっきりしてゐることは、お互ひ同じ黒髪族、争ってもただ“共喰ひ”に終るだけ、といふことです……。