迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

頼朝の因縁。

2021-08-10 19:37:00 | 浮世見聞記
世田谷區には、“駒澤”“駒繫”“駒留”、そして“上馬”“下馬”と、“ウマ”に因んだ歴史を思はせる地名や名稱がいくつもある。


その世田谷區が目黒區と接する道の真ん中、ちゃうどそこだけ道を割るやうにして、古い石塚ありけり。



住所では世田谷區下馬五丁目に遺るそれを、「葦毛塚」となむ云ひける。


今は昔、源頼朝公奥州征伐に向ふ途中、乗ってゐた馬がこの地で“何か”に驚き俄かに暴れ、沼澤にはまり死にける。



件の塚は、その馬を葬った古跡なりと云ひけるとぞ。



……相模川に架けた橋の落成式に出席した帰りには落馬するなど、武家の総大将はよほど馬とはウマが合はなかったやうだ。








コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 草木師匠。 | トップ | ご縁に理由なし。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。