世田谷區には、“駒澤”“駒繫”“駒留”、そして“上馬”“下馬”と、“ウマ”に因んだ歴史を思はせる地名や名稱がいくつもある。
住所では世田谷區下馬五丁目に遺るそれを、「葦毛塚」となむ云ひける。
件の塚は、その馬を葬った古跡なりと云ひけるとぞ。
その世田谷區が目黒區と接する道の真ん中、ちゃうどそこだけ道を割るやうにして、古い石塚ありけり。
住所では世田谷區下馬五丁目に遺るそれを、「葦毛塚」となむ云ひける。
今は昔、源頼朝公奥州征伐に向ふ途中、乗ってゐた馬がこの地で“何か”に驚き俄かに暴れ、沼澤にはまり死にける。
件の塚は、その馬を葬った古跡なりと云ひけるとぞ。
……相模川に架けた橋の落成式に出席した帰りには落馬するなど、武家の総大将はよほど馬とはウマが合はなかったやうだ。