一年ぶりに川崎能樂堂の川崎市定期能へ行き、金春流「亂(みだれ)」を觀る。
シテは金春安明師、ワキはそれまでの森常好から改名した寶生常三師、川崎能樂堂と云ふ、座席の位置によっては觀辛いが舞薹と見所(客席)との距離が近いぶん、一体感に浸りながら能が樂しめる空間で、シテの鳥肌が立つやうな姿の良さ、ワキの生来の美聲を堪能したひととき。
狂言は大藏流宗家一門の「空腕(そらうで)」で、本當に髷を結ってゐる宗家嫡男のつとめる太郎冠者(シテ)が、現代劇の一人芝居にも通じるやうな細やかな表現を見せ、和泉流のシェイクスピア役者とはまた違ったその雰囲氣に狂言の演技とはさういふものなのかしらんと、やや腑に落ちぬものを覺ゆ。
川崎まで来たので、併せて川崎浮世繪ギャラリーの「浮世絵にみる異国」展も觀る。
開國間もない幕末における庶民たちの、見たこともない異人たちへの興味關心、またさうした欲求に應へるべく、乏しく不確かな情報から想像力を逞しくした浮世繪師たちの奮闘ぶりは、涙ぐましくもあり、喜劇的でもあり。
どこかで得た“angel(天使)”の情報が、どこかの段階で異國に實在するものと勘違ひされて、“ウミン國(羽民國)”として描かれてゐるところに江戸庶民の認識の混亂ぶりが窺へて、
(※ウミン國 案内チラシより)
可笑しいと云ふより、どこか微笑ましい。
そして、唐國古来の孝行譚に西洋画法を採り入れた浮世繪をつけた作品群を眺めてゐるうち、病の母の願ひで雪中に生えてゐるわけのない筍を掘りに出た孝行息子の前に筍が姿を現す奇跡を描いた、歌川國芳の「二十四孝童子鏡 孟宗」の一枚に、あまり樂しくもない記憶が蘇って、得意の苦笑となる。
一度記憶されてゐる以上、かういふことはこれから先も、起こり得るだらう。
やれやれ。