やがて、誰かに肩を軽く揺すられて、僕は意識を取り戻した。
ハッと頭を上げると、中年の男性が、
「電車、動き出したみたいですよ」
と声を掛けながら通り過ぎて行くところだった。
「あ、ありがとうございます。すみません…」
僕は茫としたまま立ち上がり、辺りを見た。
それまでコンコース外から凄まじい勢いで聞こえていた風の音は止んでいた。
うたた寝の間に、ピークは過ぎたらしい。
“大変にお待たせをいたしました…”
の構内アナウンスをBGMに、それまで滞留していた人の流れが、再び動き出していた。
僕は翔のことが気になって、すぐにポケットからケータイを取り出してみたけれど、こちらは未だに圏外のまま。
いくらなんでも復旧遅すぎだろ…。
僕は舌打ちした。
結局アパートに帰宅したのは、バイト先を出てから七時間後のことだった。
今日の暴風雨は全国規模でとんでもない被害をもたらしたようで、TVではどこも特番を組んで、各地の様子を中継で伝えていた。
画面上部のテロップに“ケータイも順次復旧”と出ていたので、テーブルの上のそれを速攻手に取ると、やっと電波が三本復活していた。
おっ。
メールの着信を確認しようとした時、メールセンターから三件、自動着信。
一件目は翔から。
そうだよ、これを待ってたんだ。
着信時間は、僕が萬世橋駅から送信した五分後となっていた。
画面を見て、
「マジ…」
と顔が固まる。
駅の階段で転んで足を全治一ヶ月半の捻挫、ダンスシーンはとても出来ないので、代役が立つことになった-といった文面だった。
つまり、休演決定、と云うこと。
まるで翔らしくない!
舞台の初日まであと七日。
ここへ来てケガするなんて、これまでの宮嶋翔には無かったことだ。
先日から翔の様子が、いつもと違うことが気に掛かっていたけれど、それらは全て、この災難の予兆だったのか?
僕はすぐに翔へ電話をかけた。
ところが、
“電源が入っていないか、電波の届かない所にいるため…”
いくらリダイヤルしても繋がらなかった。
僕は翔の精神状態に思いを馳せた。
一番ショックなのは、翔本人のはずだ。
いまは、そっとしておいた方がよいかもしれない。
また折りを見てからの方が、いいだろうな。
そのうち向こうから連絡してくることもあるだろうし-しばらく電話もメールもしないでいると、絶対に翔の方から何か言ってくるんだ。『俺を避けてるだろ、こいつ~!』とか。
二件目は馬川朋美からで、僕の安否を尋ねる文面だった。
後半は、
『こちらは、大学がお昼から臨時休講になりました。嬉しいけど、雨と風が強すぎて、これじゃ帰れないよー。天気ヒドすぎで、かえって吹きました』
最後に笑顔の絵文字。
呑気なご身分だ…。
誰かがエッセイのなかで、
“大学生の、あのヌルさが大嫌いだ”
て書いているのを読んだことがあるけれど、僕もその気持ちは解る気がする。
街中で、あのフヤけた顔付きで世間離れした会話をしているのを耳にすると、確かにイラッときたりする。
宅配便の配達助手のバイトをしていた時、何度か組んで心安くなった少し遊び人風なドライバーのお兄チャンが、
“女子大生なんてのはね、あれはただ、ヤるためだけにあんだよ”
なんて言っているのを聞いて、ええ~っなんて思ったことがあるけれど、そんなふうに軽く見られても仕方のないような雰囲気が、たしかに連中にはある。
全くオメデタイね、と呆れつつ、『風で飛ばされませんように』とだけ、返信しておいた。
三件目は、アパートに帰り着くちょっと前の着信で、バイト先の事務所PCからの、連絡メールだった。
今回の暴風雨で倉庫の屋根が著しく破損したため、明日は業務が出来るかどうかかなりビミョーなため、明日出勤の人は、とりあえず全員自宅待機で、とのことだった。
休みでいいじゃん、と思った。
どうせ時給は出してくれないんだから。
ケータイをテーブルに置いて、TVのニュースを眺めながら、僕は萬世橋駅での、山内晴哉との会話を思い出した。
彼の口から、まさか宮嶋翔の話題が出てくるとは思わなかった。
それから、“運”だとか“チャンス”だとか、そんなことを随分と言っていたな。
そう考えると、翔が今回の舞台を休演せざるを得なくなったらしいのは、“運”が悪かったと云うことか?
僕が大和絵師として未だ筋道がつかないのも、同じことかしら?
「いけない、いけない…」
考え方が、マイナス思考に偏りかけている。
でも、プラス思考には頭が回らない。
疲れているからだよ、今日も。
そうなのか?
そうさ。
そう思うことにしようよ。
寝ようぜ、自分。
本当に欠伸が出て来た。
TVニュースでは、台風や強風時の定番映像-街中を行く人のさしたビニ傘が、風で瞬く間に破壊されている様子が映されている。
大変だ、何もかも。
僕はTVの電源を切った。
〈続〉
ハッと頭を上げると、中年の男性が、
「電車、動き出したみたいですよ」
と声を掛けながら通り過ぎて行くところだった。
「あ、ありがとうございます。すみません…」
僕は茫としたまま立ち上がり、辺りを見た。
それまでコンコース外から凄まじい勢いで聞こえていた風の音は止んでいた。
うたた寝の間に、ピークは過ぎたらしい。
“大変にお待たせをいたしました…”
の構内アナウンスをBGMに、それまで滞留していた人の流れが、再び動き出していた。
僕は翔のことが気になって、すぐにポケットからケータイを取り出してみたけれど、こちらは未だに圏外のまま。
いくらなんでも復旧遅すぎだろ…。
僕は舌打ちした。
結局アパートに帰宅したのは、バイト先を出てから七時間後のことだった。
今日の暴風雨は全国規模でとんでもない被害をもたらしたようで、TVではどこも特番を組んで、各地の様子を中継で伝えていた。
画面上部のテロップに“ケータイも順次復旧”と出ていたので、テーブルの上のそれを速攻手に取ると、やっと電波が三本復活していた。
おっ。
メールの着信を確認しようとした時、メールセンターから三件、自動着信。
一件目は翔から。
そうだよ、これを待ってたんだ。
着信時間は、僕が萬世橋駅から送信した五分後となっていた。
画面を見て、
「マジ…」
と顔が固まる。
駅の階段で転んで足を全治一ヶ月半の捻挫、ダンスシーンはとても出来ないので、代役が立つことになった-といった文面だった。
つまり、休演決定、と云うこと。
まるで翔らしくない!
舞台の初日まであと七日。
ここへ来てケガするなんて、これまでの宮嶋翔には無かったことだ。
先日から翔の様子が、いつもと違うことが気に掛かっていたけれど、それらは全て、この災難の予兆だったのか?
僕はすぐに翔へ電話をかけた。
ところが、
“電源が入っていないか、電波の届かない所にいるため…”
いくらリダイヤルしても繋がらなかった。
僕は翔の精神状態に思いを馳せた。
一番ショックなのは、翔本人のはずだ。
いまは、そっとしておいた方がよいかもしれない。
また折りを見てからの方が、いいだろうな。
そのうち向こうから連絡してくることもあるだろうし-しばらく電話もメールもしないでいると、絶対に翔の方から何か言ってくるんだ。『俺を避けてるだろ、こいつ~!』とか。
二件目は馬川朋美からで、僕の安否を尋ねる文面だった。
後半は、
『こちらは、大学がお昼から臨時休講になりました。嬉しいけど、雨と風が強すぎて、これじゃ帰れないよー。天気ヒドすぎで、かえって吹きました』
最後に笑顔の絵文字。
呑気なご身分だ…。
誰かがエッセイのなかで、
“大学生の、あのヌルさが大嫌いだ”
て書いているのを読んだことがあるけれど、僕もその気持ちは解る気がする。
街中で、あのフヤけた顔付きで世間離れした会話をしているのを耳にすると、確かにイラッときたりする。
宅配便の配達助手のバイトをしていた時、何度か組んで心安くなった少し遊び人風なドライバーのお兄チャンが、
“女子大生なんてのはね、あれはただ、ヤるためだけにあんだよ”
なんて言っているのを聞いて、ええ~っなんて思ったことがあるけれど、そんなふうに軽く見られても仕方のないような雰囲気が、たしかに連中にはある。
全くオメデタイね、と呆れつつ、『風で飛ばされませんように』とだけ、返信しておいた。
三件目は、アパートに帰り着くちょっと前の着信で、バイト先の事務所PCからの、連絡メールだった。
今回の暴風雨で倉庫の屋根が著しく破損したため、明日は業務が出来るかどうかかなりビミョーなため、明日出勤の人は、とりあえず全員自宅待機で、とのことだった。
休みでいいじゃん、と思った。
どうせ時給は出してくれないんだから。
ケータイをテーブルに置いて、TVのニュースを眺めながら、僕は萬世橋駅での、山内晴哉との会話を思い出した。
彼の口から、まさか宮嶋翔の話題が出てくるとは思わなかった。
それから、“運”だとか“チャンス”だとか、そんなことを随分と言っていたな。
そう考えると、翔が今回の舞台を休演せざるを得なくなったらしいのは、“運”が悪かったと云うことか?
僕が大和絵師として未だ筋道がつかないのも、同じことかしら?
「いけない、いけない…」
考え方が、マイナス思考に偏りかけている。
でも、プラス思考には頭が回らない。
疲れているからだよ、今日も。
そうなのか?
そうさ。
そう思うことにしようよ。
寝ようぜ、自分。
本当に欠伸が出て来た。
TVニュースでは、台風や強風時の定番映像-街中を行く人のさしたビニ傘が、風で瞬く間に破壊されている様子が映されている。
大変だ、何もかも。
僕はTVの電源を切った。
〈続〉