上久保の一里塚を過ぎると、すぐに左へ折れて下り坂に。
道は舗装されていますが、左端にはかつての石畳がのぞいています(上段写真)。
再び木立のなかの上り坂を、10分ほどで上がりきると、左手の沢に「蛇石(へんびいし)」なる巨石が。
元禄16年(1703年)まで、道はここから沢に沿ってのびていたそうで、その痕跡とおぼしきものが、いまも微かに見られます。
ただし私有地のため、立ち入りは不可。
その先の妻籠城址への入口前から、道は長い下り坂となり、再び坂を上がった先が、妻籠宿の入口にあたる、恋野地区。
妻籠宿は昭和四十年代、日本で初めて町並みの保存に着手した宿場で、特に京寄りの寺下地区は、江戸時代の風情を、見事なまでに現在(いま)に伝えています。
それはしばし佇んで、いにしえの旅人たちへ想いを馳せたくなる、そんな感動的な雰囲気でさえあります。
道は舗装されていますが、左端にはかつての石畳がのぞいています(上段写真)。
再び木立のなかの上り坂を、10分ほどで上がりきると、左手の沢に「蛇石(へんびいし)」なる巨石が。
元禄16年(1703年)まで、道はここから沢に沿ってのびていたそうで、その痕跡とおぼしきものが、いまも微かに見られます。
ただし私有地のため、立ち入りは不可。
その先の妻籠城址への入口前から、道は長い下り坂となり、再び坂を上がった先が、妻籠宿の入口にあたる、恋野地区。
妻籠宿は昭和四十年代、日本で初めて町並みの保存に着手した宿場で、特に京寄りの寺下地区は、江戸時代の風情を、見事なまでに現在(いま)に伝えています。
それはしばし佇んで、いにしえの旅人たちへ想いを馳せたくなる、そんな感動的な雰囲気でさえあります。