緩やかなカーブに沿って古民家が点在するなかを通り、梨子沢(なしざわ)に架かる橋を渡って宿場を過ぎると、旧道は左手の「菱屋」と表札の掛かった民家と、蔵の間を、すり抜けるようにして通って行きます(上段写真)。
畑や民家に沿った、静かな風情のなかをしばらく進むうち、江戸時代に国学で名を馳せた神官“園原先生”の石碑が建つ、和合(わごう)地区に。
ここはかつて、木曽山中初の地酒「和合酒」がつくられていたとか。
右手の眼下に中央本線「南木曽駅」を見て過ぎると、道はまもなく、木立のなかの急坂を、曲がりくねりながら上って行きます。
そして、こじんまりと美しい神戸(ごうど)の集落↓を過ぎると、
沿道には「かぶと観音」というお堂が、鎮座しています。
これは木曽義仲が治承四年(1180年)に挙兵した際、妻籠城の鬼門の方角に建立したと伝えられるもので、参勤交代の大名たちも必ずそうしたように、自分も立ち寄って参拝。
再び歩をすすめて坂の上り下りを繰り返すこと約10分、竹林のなかに復元された石畳の道の先に、「上久保(うわくぼ)の一里塚」が。
東西そろって遺っており、片側は崖上に現存しています。
畑や民家に沿った、静かな風情のなかをしばらく進むうち、江戸時代に国学で名を馳せた神官“園原先生”の石碑が建つ、和合(わごう)地区に。
ここはかつて、木曽山中初の地酒「和合酒」がつくられていたとか。
右手の眼下に中央本線「南木曽駅」を見て過ぎると、道はまもなく、木立のなかの急坂を、曲がりくねりながら上って行きます。
そして、こじんまりと美しい神戸(ごうど)の集落↓を過ぎると、
沿道には「かぶと観音」というお堂が、鎮座しています。
これは木曽義仲が治承四年(1180年)に挙兵した際、妻籠城の鬼門の方角に建立したと伝えられるもので、参勤交代の大名たちも必ずそうしたように、自分も立ち寄って参拝。
再び歩をすすめて坂の上り下りを繰り返すこと約10分、竹林のなかに復元された石畳の道の先に、「上久保(うわくぼ)の一里塚」が。
東西そろって遺っており、片側は崖上に現存しています。