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前を歩く下校中の小学一年生らしき腕白そうな男の子が、「こんにちは!」と挨拶をしてきたのが縁(?)となって、数十メートル先にあるその子の自宅前まで“道連れ”となり、今度は「さようなら!」と挨拶して別れて奈良梨宿跡を過ぎ、隣りの能増(のうます)地区から大里郡寄居町へ。
やがて右カーブの上り坂、その先が次の今市宿跡への入口である、今市地蔵前交差点(上段写真)。
ここを左折するのは宿場の“お約束”だった桝形の名残り、その右手に見えるのが、交差点名ともなった、町指定文化財「今市地蔵」。
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高さ3,14メートル、寄木づくりのこのお地蔵さまは、正式には「木造地蔵菩薩立像」と云うそうで、お堂の内の格子の向こうに安置されているそれは、頭と胸と背後の光輪が金色に塗られていることから、かつては全身眩いばかりの金色に輝いていたと思われます。
制作年代は室町時代の推定されていますが、地元の民話「いぼじぞう」では、
『今から約800年前、若き日の北条政子が、顔のイボがとれることを願ってこの地の桜の大木を彫らせて建立した』
と伝えています。
今市地蔵を過ぎ、もう一度左折した先の直線区間には床屋などの個人商店、時宗「高蔵寺」といった寺院があり、その雰囲気からここがかつての今市宿と見て間違いはなさそうです。
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やがて右カーブの上り坂、その先が次の今市宿跡への入口である、今市地蔵前交差点(上段写真)。
ここを左折するのは宿場の“お約束”だった桝形の名残り、その右手に見えるのが、交差点名ともなった、町指定文化財「今市地蔵」。
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高さ3,14メートル、寄木づくりのこのお地蔵さまは、正式には「木造地蔵菩薩立像」と云うそうで、お堂の内の格子の向こうに安置されているそれは、頭と胸と背後の光輪が金色に塗られていることから、かつては全身眩いばかりの金色に輝いていたと思われます。
制作年代は室町時代の推定されていますが、地元の民話「いぼじぞう」では、
『今から約800年前、若き日の北条政子が、顔のイボがとれることを願ってこの地の桜の大木を彫らせて建立した』
と伝えています。
今市地蔵を過ぎ、もう一度左折した先の直線区間には床屋などの個人商店、時宗「高蔵寺」といった寺院があり、その雰囲気からここがかつての今市宿と見て間違いはなさそうです。
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