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宿場跡と思われる直線道路を10分ほど行ったところで、右手に真新しい薬師堂を見ながら道は左へカーブ、この先にある小中学校や商店の看板には、“男衾(おぶすま)”の名を多く見掛けるようになります。
これはもちろん、かつてこの辺りを「男衾村」と云ったことに因んでおり、遠く奈良時代の記録にも、その名が認められるとか。
そんな千年以上の歴史を誇る地名も、明治29年に近隣との合併によって消滅、現在は“大里郡寄居町”となっていて、地名としての男衾は、今では存在していません。
しかし、地元の学校名や東武東上線の駅名のほか、商店にも『〇〇〇 男衾店』と、かつての地名が現在も通称的に用いられており、地元における浸透度の深さが窺えます。
東京で言えば、ちょうど「汐留」のようなものでしょう。
あそこを現住所の「東新橋」と言う人を、私は見たことがありません…。
さて、男衾村の辺りにはかつて次の赤浜宿があり、そのすぐ先の「荒川の渡し」に備えた宿場だったとのこと。
しかし、痕跡が全く見当たらないために所在の見当がつかず、とりあえずは現在の赤浜地区「花園橋南」交差点付近で写真撮影。
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…と、消防車がサイレンもけたたましく何台も交差点を東方向へと走り去って行ったので、私もつられてそちらを見ると、彼方には白煙がモクモクと…。
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これはもちろん、かつてこの辺りを「男衾村」と云ったことに因んでおり、遠く奈良時代の記録にも、その名が認められるとか。
そんな千年以上の歴史を誇る地名も、明治29年に近隣との合併によって消滅、現在は“大里郡寄居町”となっていて、地名としての男衾は、今では存在していません。
しかし、地元の学校名や東武東上線の駅名のほか、商店にも『〇〇〇 男衾店』と、かつての地名が現在も通称的に用いられており、地元における浸透度の深さが窺えます。
東京で言えば、ちょうど「汐留」のようなものでしょう。
あそこを現住所の「東新橋」と言う人を、私は見たことがありません…。
さて、男衾村の辺りにはかつて次の赤浜宿があり、そのすぐ先の「荒川の渡し」に備えた宿場だったとのこと。
しかし、痕跡が全く見当たらないために所在の見当がつかず、とりあえずは現在の赤浜地区「花園橋南」交差点付近で写真撮影。
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…と、消防車がサイレンもけたたましく何台も交差点を東方向へと走り去って行ったので、私もつられてそちらを見ると、彼方には白煙がモクモクと…。
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