迦陵頻伽──ことだまのこゑ

手猿樂師•嵐悳江が見た浮世を気ままに語る。

歩いていまを聴く。

2019-12-04 18:29:53 | 浮世見聞記

雨がビショビショ降ると決まってありがたさを痛感する、今日はその晴天の一日。


さりながら、覺書のままとなってゐる作品を型附へ清書したり──それによって作品は正式に出来上がりとなる──、


すでに仕上がってゐる作品へさらに手を加へて試演したりしてゐるうちに午前が過ぎ、さらに正午も過ぎる。

せっかくの快晴だ、部屋に籠もりきりはもったいない……。

キリの良いところで一度片付けて、散歩に出る。


立ち寄ったショッピングモールで古本二冊と甘酒缶と云ふ予定外の買ひ物をし、袋を提げて古い川を整備した遊歩道をゆっくり通り、


古刹の門前に過ぎ去る秋を眺める。


その空気に誘はれるまま山内へと入り、鐘楼のもとでいま自分が生きてゐる時間に、しばし耳を傾ける。


私の遠い先祖も、やはりかうして耳を傾ける時間に、出逢ってゐたはずだ──


わけもなく感じたことは、おそらく當たりといふ意味だ。


山門をあとにした時、お爺さんと散歩中の柴犬に逢った。

柴犬は私と目が合ふと、人懐っこい瞳(め)で私に寄って来た。


すべての生き物に、

目と、

心がある。


私が差し出す手へ鼻を近づける柴犬の姿に、

私も柴犬も、

おなじ土の上でおなじく生きてゐるといふ、

ごく當たり前のことを、

どこか忘れてゐたやうな気がした。







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